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第93話 部屋に帰れないよ

『タズサー! 遊ぼう』  一応俺にも会釈してくれたけど、そのまま携に抱き付いて頭すりすりしてる。携もその凄く触り心地良さそうな髪に指を絡めて頬にキスを落としてる……。  その手、今までは俺の頭撫でてくれる手の平だったのに……。俺だって、キスなんてされたことねえし!  呆然と見つめながら、頭の中でそんなことを考えている自分に驚いた。  本当は、一通り自分の連休の出来事を話したら、携にも尋ねるつもりだった。この人の事。だけどもう駄目だ。至近距離で見る携が、本当に優しい瞳をしているから。  よろよろと立ち上がると、自分の荷物を全部抱き締めるようにして二人の後ろを擦り抜けた。 「あ、和明!」  気付いた携が手を伸ばしかけたけれど、俺は見えなかったように一目散にドアノブに手を掛けた。 「お、教えてくれてありがと! 後は自分でやるからっ。ごゆっくりっ」  振り返る勇気はなかった。  飛び出るように廊下に出て、後ろ手にドアを閉めると、よろけながら歩き出す。  駄目だ……部屋に帰ったら、もしかしたら携が来るかも……。今智洋に会ったら、縋り付いて泣いてしまいそうなのが判るだけに、そんな場面を携に見せるわけにはいかなかった。  そうだ、同室のやつはいつも帰省するって言ってたな。  俺は、すぐ近くにある辰の部屋のドアをノックした。  明るい声に引き込まれるように中に入る。確かにもう一人は不在のようで、辰はベッドに寝転んで漫画を読んでいるところだったみたいだ。 「カズか~。遊びに来たの?」 「うん……ちょっと」  まだ二十時半だから、消灯間際まで出来れば部屋には戻りたくない。智洋だってその心積もりだろうと思う。携の部屋に行くと、いつも入り浸りだったから。  安心したら、手の力が抜けてばさりとノートなんかが床に落ちた。 「カズ?」  それでも立ち尽くしている俺を見て、辰が体を起こしてじっと顔を見つめている。  ごめん、いきなり来て、わけわかんねえよな。  でも、言い訳も思いつかねえし、何をどういう風に説明すればいいのかもわかんねえよ……。  涙で霞む視界に、辰が床の物を拾って自分の机に置きに行ってくれる姿が入って来た。 「とにかく座って」  腕を引かれて、辰のベッドに腰を下ろした。その隣に同じように腰掛けて、そろりと頭の後ろに手が添えられる。 「何かあったのか? 俺には言えねえならそれでもいい。泣きに来たなら泣いていいから」  柔らかく言われて、ぎゅっと瞼を閉じたもののそこから涙が溢れてきた。 「っふ……ごめんな、辰……っ」 「いいって」  会長と同じように、腕の中に頭を囲い込まれて。顔が見えないのをいいことに俺は辰の腕の下から肩甲骨の辺りに腕を回してしがみ付くように抱き締めた。  どっかのブランドの、プリントの入った黒い長袖Tシャツが涙をどんどん吸い込んでいく。ゆっくりと後頭部を撫で続けてくれる手も、俺よりちょっと広い胸元もあったかくて、甘えて遠慮なく嗚咽を洩らし続けた。  かっこわりいって思う。  でも、辰と俺だと会長よりなんだか近い感じがして、安心しちゃうんだよな……。まだ仲良くなってから長くはないのに、それでもなんか昔から知ってるみたいに安堵してしまう。それは、浩司先輩に感じるドキドキを除けた時の印象と似ている。顔とか雰囲気とかちょっと似てるし、だから親近感湧いてるのかな。同級生の浩司先輩みたいな存在? それもなんだか変な感じだけど。  携から気が逸れたのが良かったのか、直に嗚咽が収まり涙も止まっていった。辰のシャツはぐしょぐしょで、いくら五月に入ったとはいえ寒いだろうと気付いた。 「あ、あのっ、ごめん、辰! 服脱いで。俺洗濯してから返すからっ」  体を離すと、辰も腕を緩めてくれた。でも、 「洗濯はいいから」  なんて脱いでくれない。 「でも風邪引いたら困るから脱いでってば」 「大丈夫だって」  脱がせようとする俺と、それを阻止しようとする辰とが絡まって、ベッドに倒れこむ。よっしゃ、マウント取った!  俺は驚いている辰に圧し掛かるようにして一気にTシャツを捲り上げた。

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