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第103話 グローバル・タイム

「みっけ」  背後で声がして、背中を叩かれた。  声で、辰って判る。気配で、もう一人……恐らく周が一緒にいるだろうことも。 「綺麗だな、藤の花」 「風で花弁が舞ってる方が好きだな、俺は」  何処の学校にもあるだろうから取り立てて珍しくはないものの、二人口々に言い見上げているような気配が感じられる。  ギュッと目を瞑り、涙が引っ込んだことを確信してから手を下ろしてそっと振り返ると、二人がふいと顎を下ろして視線が交わった。 「毛虫が降って来なけりゃベンチで昼寝したい気分だけどな」  にやりと笑って見せると、 「ここのは毛虫なんていねえよ」「小学校レベルの藤棚じゃんそれ」  ぷっと二人して噴き出した。 「それよかさ、いかねえの? 視聴覚」  場が和んだところで、辰が背後の校舎を肩越しに親指で指した。 「え? 何?」  意味が解らなくて二人を見比べると、苦笑を返された。 「あー……やっぱり記憶に残らなかったか。今日ずっと心ここにあらずだったもんな」  辰は、昨日からずっと気遣わしげにしながらも何も尋ねては来ない。俺から言うのを待っていてくれてるのかもしれない。周も不審そうにしている。 「さっき放送で、一年で興味があるやつだけグローバルタイムに参加できるって流してたんだよ。今日から当面毎日、昼休みに視聴覚教室でやるからって。内容は講師との日常会話で、室内では必ず大陸共通語で会話することってさ。講師も見てみたいし、俺ら行こうかなって思ってんだけど」  周が説明しつつ、校舎を見上げる仕草をする。  今から五階まで上がっても、途中入室になるんだろうな。  気は進まなかったけど、俺のことを心配してこっちに来てくれた二人の気持ちが嬉しくて、「行く」と頷いた。  はっきり言って、筆記ならともかく会話は苦手だ。講師と話すよりはまだウォルター先輩に頼んだ方がいいんじゃないかというくらいに腰が引けてしまう。  そんな感じでびくびくしながら視聴覚室の分厚い扉を開けると、座席は全部埋まって立ち見も出ている盛況さだった。これなら後ろでこっそり観察だけしていればいいだろうと肩の荷が下りる。  それにしても二クラス全員が着席してもゆとりがある座席になっている筈なのに、そこに詰め詰めになってる上通路にもしゃがんだり立ったりしているって、これかなりの人数だよね。  そう思って前の人の隙間から下の方の教壇に立っている人物を見ようとしていると、頭上ではヒュウッと周が口笛を吹いていた。 「すっげえ、シャンだな」 「んま、周ったら下品っ」  こっそりと会話する二人は身長があるから見えるんでしょうけどね!  なんとか隙間から~と頑張っていると、マイクからの声が聞こえてきた。 『途中入室の方たちは、スクリーンも見てくださいね』  声に聞き覚えがある。  変声期を過ぎているだろうに、通常より高めのボーイソプラノぎりぎりの透明感のあるその声は。  黒板の前に大きな白いスクリーンが下りていて、おそらく今までの会話の一部が抜粋されているのだろう。今も刻々と文字が刻み込まれている。教卓の上にパソコンを置いてキーボードに向かっているのは携だった。  そう、講師はあのシャールさんだったんだ。  用事ってこれのことだったのかとほっと安堵する気持ちと共に、シャールさんと毎日かなりの時間を共有しているだろうことに胸が痛んだ。痛いというか、苦しいというか……。息が出来なくなる感じがして、俯いて深呼吸した。  前の方に座っている人たちが、手を上げては次々に質問している。  どこら辺の出身なのかとか、好きな食べ物はとか、初めて会う人に対する当たり障りのないものばかり。当然全てが共通語で、会話は要約してスクリーンにも映し出されていく。  今すぐ抜け出したい気分だけど、二人に無断で出るわけにも行かないし、声を掛ければきっと二人とも一緒に退出してしまう。興味深そうにしている二人には、俺の個人的な感情なんて押し付けるわけにいかない。昼休み早く終わらねえかなと身を縮こまらせて腕時計と睨めっこを続けた。  会話は少し突っ込んだものも出てくるようになった。 『好きな人は居ますか? 勿論恋愛感情で』 『いますよ~。命を賭けて愛している人がいます』 『それは社長ですか?』 『内緒です』  にこやかに進められる質疑応答の内容に、周と辰もくすくす笑っている。 『社長と身内って噂だけど、血が繋がってるの?』  これまた誰かがずばりと切り込んだ。シャールさん、他にも知っている人がいたんだな……。 『んん? 血の繋がりはないけど、この体はローレンスのものだからね。だから身内みたいな感じかなあ』  さらりとした答えに、私語でざわめいていた室内が静かになった。  シャールさんは相変わらずの天使の笑みだけど、携が手を止めて視線を向けている。 『だから傷なんか付けたら只じゃ済まないよ。勿論僕だって黙って酷いことされるつもりはないけど、悪戯するつもりの人は命懸けだからよろしくね?』  にこにこと、屈託なく微笑んでいるその姿からは、その言葉の意味は図れなかった。他の連中もそんな感じだろう。  二人はどうなのかな……。  見上げると、周が辰の耳元に囁いているところだった。俺にも聞こえてしまう。 「直球過ぎるだろ、あの牽制」 「いやー、案外ジョークのつもりなのかもよ?」  さっきの答えはタイプされていないため自分のヒアリング力しか頼りに出来ない俺は、内容が理解できなくて首を傾げるしかない。  体は社長のものってどういうこと? 悪戯とか酷いことってなんなんだろ……。何か他の意味の言葉、聞き間違えたのかも。  悶々としていると、掃除開始五分前のチャイムが鳴り始めて、携の一声でその場は解散になった。

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