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第107話 知らない奴に呼び止められて
まだかまだかと気になりつつも、もう体育会は週末に迫っていて、生徒会役員は勿論のこと教師も生徒も全員がバタバタと落ち着かないのは当たり前で、もしも何らかの答えがもらえるとしても来週だろうな、なんて諦めてもいた。
俺たち応援団も、全員型通りに舞えるのは最低ラインで、後はどれだけ一糸乱れぬ動きが出来るかと呼吸のタイミング、腕や足の角度を揃えるのに毎日懸命だった。仮装の連中は手作りの衣装製作に悪戦苦闘、看板はそれぞれに仕上げたパーツをくっつけて全体像の見える大きなキャンバスを作り、木材で組んだ足場に当日朝載せるだけ。
そんな慌しく人が行き交う金曜の放課後、これから最後の仕上げに向かう為教室で着替えてから荷物を持って外に向かおうとする俺を呼び止める人がいた。
「霧川くん?」
教室から出てすぐの廊下で、後ろからの呼び掛けにピタリと足を止めて振り返る。見たことはあるような気がするけど、恐らく口は利いたことがないし名前も知らない細面のやつがぽつねんと立っていた。身長は俺と同じくらいで、顔のパーツはどれも細くて華奢な造り。やや病的な感じにも見える色の白い両手を胸の前で握り締めていて、特に危険な感じはしない。
「あの、僕はA組の川上と言います。突然ごめんね。今日、後で話がしたいんだけど」
おずおずと首を傾げている様子はまるで俺を怖がっているようにも見えて、理由は判らないまでも断るのは申し訳なく思った。
「話? 今じゃ駄目なのか?」
「いや、流石にこの場所はちょっと……」
ちらりと視線を巡らせる川上に倣い、どたばたと足早に皆が行き来し、ともすれば廊下に座り込んで作業をしているやつらもいるこの場所で話せることじゃあないんだろうなと察した。とはいえ、いくらひ弱そうな体格の相手でも、今日が初対面だし二人きりはマズイだろう。
迷っているのが伝わったのか、慌てて再度口を開いた。
「応援の練習の後か、食事の後でいいよ。談話室の洋室の方、使う人はヘッドセットしてて会話は聞こえにくいし、あそこならどうかな?」
あー……あそこならいいかな。仕切りはあるけど遊戯室から丸見えで二人きりというわけじゃない。まさか俺相手に告白もないだろうけど、何か大事な話っぽいし、ちゃんと聴かないと。
「わかった。じゃあ食後にそのまま遊戯室に行くよ。五時半……は早いか、六時くらいでいい?」
飯を食うスピードは速い方だけど、もしかしたら練習最終日で応援団が長引くかも知れないことを考えて、少し遅めの時間を言ってみる。これなら、悪くても食事前に直接行けば間に合うだろう。
「六時だね。じゃあ、また後で」
微かな笑みを浮かべて会釈すると、川上は踵を返して自分のクラスに戻って行った。
それを見送ってから、俺は中庭へと向かう。いつもの練習場所へと。
一足先に出ていた周が、そっと声を掛けてきた。
「さっき、優太郎と話してなかったか?」
「優太郎? さっきのやつ、そういう名前なの? 川上って名乗ったけど、周の知り合い?」
眉を顰めている周を見上げると、こくりと頷いた。
「ルームメイトだけど……なんて?」
「それはまだ聞いてない。後で話せないかって声掛けられただけでさ。親しい? どんなやつなの」
俺と智洋みたいに仲が良いケースばかりじゃないのは知っているけど、周の知り合いなら少しは安心できるかとほっと息をついた。
ところが、意に反して周の方は顎を指先で掴むようにしてなにやら思案している。
「それが良く判らないからな……俺たち、部屋にいる間は黙って勉強してるし。まあ、明るいやつじゃないよな」
ふうんと首を傾げた時、集合の太鼓の音が鳴った。
練習の後、いよいよ明日に迫ったエール交換での演舞に向けて、浩司先輩から短い挨拶があり、それから衣装である短ランの学生服と赤地に白と金で刺繍された腕章、鉢巻、白手袋が配られた。革靴は事前に聞いていたので各自用意してある。
それらを抱えているだけで、心臓の音が自然に速まった。
うわあ……絶対ぜったい、明日は失敗しないようにしねえと!
皆とドヤドヤ寮に帰り、荷物を部屋に置くともう五時半を回っていた。六時を過ぎた頃が一番食堂が混雑するから、今のうちにさっさと食べてしまおうと、同じ頃に帰ってきた智洋と夕飯を食べる。その時に川上の件を報告すると、案の定、自分もついて行くと言い出した。
まあ、そうなるのは解りきっていたし、なるべく近くにいてくれた方が心強いのも確か。
ただし、少し離れたビリヤード台の辺りで待っていてくれるようにお願いして、二人で遊戯室に入って行った。時刻は十七時五十八分。ギリギリセーフ。
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