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第108話 震えが止まらない
腰高の仕切りの向こう側にそれらしき人影を見つけて、足を止めた智洋を残して近付いていく。
「おまたせ」
俺の声にパッと振り返ると、安心したように微笑んだ。俺とは別の意味で小動物的な動きをするやつだなあ。
腰掛けた方がいいのか悩むところだけど、隣り合って座って話すのも変だし、このまま立っていようと決めて「それで……」と促してみた。
川上は制服のまま上着までしっかり着込んでいるのを、胸の内ポケットに手を突っ込んでそこから何かを引っ張り出した。
「あのね、実はこれ」
恐る恐る差し出された両手の上に載っていたのは、俺が書いて携に渡した筈のあの封筒。しかもぐしゃぐしゃにされた後に引き伸ばしたのがよく判る汚さで──。
目にした瞬間、体がふらつき、腰壁に手を突いて何とか半歩後ずさるだけで済んだ。
「それ……なんで」
口の中が乾いて仕方ない。
全然知らないやつの手の中にある俺からの手紙。それが示していることって、一体なに……?
「見つけたのは月曜日なんだ。だけど、和明って名前しかなかったからクラスとか探すのに時間が掛かって……。僕、ゴミ当番で焼却炉に行った時に、それがあってさ、綺麗な色だからなんだろうと思って広げたら手紙で。で、失礼だと思ったんだけど中を見たら、大事な手紙みたいだったからさ……もしも書き損じを捨てたんだったらごめんね? それだったら凄く失礼なことだよね。でも、そういう風には見えなくて……あの」
俺の前に差し出したままのその物体に、震える手を伸ばして掴み取った。
確かに俺が渡した現物そのものだった。書き損じは確かにあるけど、封筒には入れていないし自分で破って寮の焼却炉に突っ込んだ。とっくに灰になっている筈だ。
何も言わずに真っ青になっている俺を、不安そうに川上は見ていた。
「あの、霧川くん。大丈夫? 本当に中を見ちゃってゴメンね。許してくれる?」
許すも許さないも、川上に対しては何も感情が動かなかった。視線は凍りついたように手の中の紙に釘付けのまま。
「いや、気にしてねえから……ホント。うん。黙っとくことも出来たのに、ありがとな」
何処かで別人が俺の口を借りて喋っているかのような、現実感のなさ。
それでも、そんな俺に納得してくれたのか、川上はぺこりと頭を下げて小走りに部屋を出て行った。
入れ違いにやって来た智洋に名前を呼ばれた途端、今度こそ俺は腰が抜けたようになってそれを慌てて智洋が支えてくれた。
「どうした? 何があったんだ!?」
勢い込むその視界に入るように、手を持ち上げて封筒を見せる。
ハッと息を呑んで、智洋もそれを凝視した。
「……月曜に、焼却炉にあったんだって。拾って中を見ちゃったけどごめんって……謝られた……」
手も、声も、震えてしまって定まらない。
「そんな馬鹿な」
緩く首を振った智洋は、それでも力強く俺を抱き締めた。
その腕に縋り付くように、この無残な封筒の示しているものを理解しようと、必死で色んなパターンを考えた。
落としたのを誰かが拾ってゴミだと思ってゴミ箱に入れた。普通なら、そうだろう。
だけど俺は、鞄の外ポケットに入れるところまで確認した。あそこから自然に落ちる筈はない。それに良識で考えて、手紙が落ちていたら普通は落し物として届け出る筈だ。
川上が直接届けてくれたのはこれが焼却炉にあったからで、もしも廊下や教室に有ったなら担任か事務に届ける筈だ。わざわざ手間隙掛けて見知らぬ差出人を探す奇特なヤツは、いないとは言わないが大抵の人はやらないだろう。
──そう、単純に考えても。意識的に握り潰して捨てた、としか思えない。
それに、日にちのこともある。
いくら忙しいからって、今まで全然落としたことに気付かないなんてあるだろうか? 落としてゴメンと謝り、また内容を聞かせてと俺に言うのが筋じゃないか……?
考えれば考えるほどに震えが止まらなくなる俺の腕を肩に回して、腰を支えながら智洋が足を踏み出した。
「とにかく、部屋に帰ろうぜ。ここじゃあ目立つ」
少し意識を戻してゆるりと視線を動かすと、具合の悪そうな俺に気付いたのかあちこちから視線を向けてくる奴がいる。幸いその中に知った顔がなくて安堵しながら、弱々しいながらも足を動かし、自分たちの部屋へと帰った。
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