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第110話 【幕間】寮長と副寮長の、ある夜の営み

 バインダーに挟んだ用紙にチェックを入れながらちらりと目の前の後輩を観察する。  ここ最近門限ギリギリに帰寮するようになった一年生の氷見携は、一部生徒しか知らないが生徒会副会長職に就いている。しっとりと艶やかな黒髪は目に掛からない程度の長さで、サイドも襟足も短く整えられている。中性的とは言えないが整った綺麗な顔立ちについ見惚れてしまうのだが、その表情は悄然としてついつい声を掛けたくなってしまう。 「まだ見つからないのか?」  囁くように尋ねると、携は落としていた視線を上げて満と目を合わせた。そうすると十センチほど背の低い満の方が見下ろされてしまう形になるのだけれど、今更そんなことは気にしていられない。小柄とはいえない満より身長のある生徒の方が多い学園なのだ。 「はい」  軽く顎を引いて応じた声にも力がない。  月曜の夜、点呼の後自室に引き上げるところをそっと引き止められ、落し物の届けはなかったかと尋ねられた。大事な手紙を失くしてしまったのだというその顔は、今にも倒れるのではないかというくらいに蒼ざめ、いつもとりすましている携には珍しく動揺が現れていた。  そして今日は金曜日だ。校舎内でも見つからなかったらしく、上級生や特別教室の辺りで床ばかりに視線を遣って探し物をしている姿を、休み時間に何度も見掛けた。  執行部の仕事に加え、大元であるシルバー・シュバルツ・コーポレーションとの直接的契約があるという携の忙しさは、寮長の比ではない。そのことをよく知っているから、満はそれとなく相手と直接話をするように水を向けてみたのだが、それは今は出来ないのだという。  どんな理由があるのかは知らないが、一旦受け取った手紙を読む前に失くしたなどと相手には言い難いのは理解できる。満も色々と自分ひとりで考えては勝手に心の中で決着をつけてしまうタイプなので、ひとりで何とかしようという携の気持ちも考え方も良く判るのだった。  だから満自身も今までになく足元や外の植え込みなどを気にしてはいたのだけれど、事態は好転する気配はなさそうで。  点呼が済んだ部屋の者は室内に戻って良いことになっているため、今一年生の階で廊下に出ているのは、携と満と隆生の三人だけ。しかも隆生はまるで満の影のように半歩下がって気配を薄くしている。投手といえば花形というイメージを抱くが、今現在の隆生はまるで忍びの者のようだ。  それでも辺りを憚り、満はそっと吐息した。 「もう、きっと灰になっちまってんだろ。何かの手違いで」  諦めて正直に言えと、常夜灯以外に明かりの落ちた廊下に声を滲ませた。  携は再び視線を落とすと、くっと唇を歪めて息を呑み、拳を握った。 「そう、ですね……」  細かく震えるその手に目を遣り、それからもう一度顔を見た。  手紙の差出人は、訊かずとも知れている。同じく一年の霧川和明だろう。それ以外に携がここまで感情を揺らされる相手に覚えがないからだ。  小学生の頃、みっくんみっくんと自分の後をついて回っていた子犬のように元気な後輩が瞼に浮かび、くすりと笑みが漏れる。その空気を感じ取り、携も視線を上げた。 「あいつなら──カズくんなら、正直に言えば責めることなんてないだろ?」  そんなことは分かっていると言いた気に眉を顰める携は、満からすれば微笑ましいばかりだった。  ──なんで素直にぶつかれないのかねえ。  優柔不断な自分のことは遠くの棚に放り投げ、満はトンと軽く携の肩を押した。 「まあさ、明日が終われば少しはゆとりも出来るんだろ? ちゃんと話しろよな」  おやすみと言い置いて階段へと向かう二人の背に、ささやかに礼の言葉が届いた。  服を脱いでいる最中にしつこいくらいに念を押され、言われた通り湯船で百まで数えてすぐに満は風呂を出た。  浸かった気がしねえとぶつくさ言いながらも、甲斐甲斐しく髪の毛から水気をとり乾かしては指と櫛で梳かしてくれる隆生の手に夢見心地になってしまう。 「明日は本番なんだから、団長が風邪で声が出ないなんてことになったらいい笑いモンだ」  尤もらしい理由を告げられればぐうの音も出ない。  お前はおかんかと言いながらも、隆生に身を任せるのは好きだった。  毎日硬球を投げ込んできた手の平は、指は細くとも骨ばっていて皮も厚くあちこちタコのようにカチカチになっている箇所すらある。それでも、その手の平が、肩が、自分たちを支えてきてくれた。くすぐったくて、愛しくて、柔らかな笑みが浮かぶ。  椅子の背に反り返るように身を預けている満を、後ろから覗き込むように隆生がその髪に指を滑らせる。  耳の後ろを滑り、首筋を撫で、顎をこちょこちょとくすぐる長い指先。 「くすぐってえよ、隆生」  じゃあと首の後ろに移り、後頭部を支えながらつぼを押されて、んっと息を吐いた。 「気持ちいいか?」 「いい……もっと」 「ベッドに行くか」 「抱っこ」 「何処の姫だ」 「いい、お姫さまだっこ~」  閉じていた目を開けて下から強請られ、隆生が抗える筈もない。満は長男の癖に甘えたなところがあり、それが母性本能をくすぐるらしく、星野原本校ではファンクラブまであった。流石にこの男子校ではそこまでの人気はないものの、小等部から毎日ずっと一緒に野球を続けてきた隆生も満には甘い。  そっと息をついてから腰を落とすと、リクエストに応えて背中と膝の下に腕を入れて抱き上げる。至近距離になったその頬に唇を落とすと、くふ、と声を立てて満は笑った。  仮にも白組応援団長に選ばれているくせに、こんなに可愛くていいのだろうかと思わないでもないが、いくら満でも後輩たちの前ではそれなりに威厳のある姿勢を見せている。  こうしてすっかり体を預けて見せるのも、隆生に対してだけだ。それが解っているから、更に甘やかしてしまう。 「あー、気分いい」 「良かったな」  ベッドに下ろす時の恭しい仕草にも満は声をあげて笑い、明かりを消したベッドで二つの影が重なった。

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