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第111話 体育会の朝
足を止めた俺を覗いつつも、智洋は一人でトレイを持って並んだ。さり気ない心遣いに感謝する。こういう時に傍で待っていられるのは苦痛にしかならないだろうから。
「いよいよだな」
ふっと目を細めて、眩しそうに俺を見る。
「ずっと頑張ってきたんだ、集大成じっくり見させてもらうから……とちるなよ」
「ああ。気合入れる」
期待していた言葉じゃなかったけど、それだけで気分が浮上した。
携は、嘘は付かない。あの時のあれは……ノーカウントとして、だけど。
だったら、演舞のときのたった十数分であれその時の携の心は俺だけのものだ。その瞳に、心に、記憶に焼き付けてくれるのなら、もう今はそれだけでいい。
──絶対にミスはしねえ。
指先から爪先まで、きっちりと遣り切るから。だから俺だけを見ていて。
登校のため外に出ると、それは見事な晴天だった。これこそが五月晴れってもんだろうというほどの、遠くに僅かに雲が浮かんでいる程度の抜けるような蒼。小・中みたいに万国旗を張り巡らせているわけでもなく、ましてや地域住民に周知しているわけでもないのでそんなに騒がしくはない。
一旦寮の門を出て正門から入るときに、一応立て看板が置いてあることに気付いた。グラウンドには、トラックの更に外側に杭を打ちロープが張ってあり、生徒用のスペースの後ろに各クラスの看板が堂々と立ててある。我がクラスは、携が下絵を描いた龍虎対決図で、かなり迫力満点だった。
本部席放送席に教師陣が利用する役員席などはテントが張ってあり、一応外部にも解放されているため若干観覧席としてパイプ椅子も設置してある。
一般的には地元の人が散歩がてらにちょいと覗こうかって寄って行ったりもするところだけど、流石に敷地全部が社長の個人資産ってケースのここに立ち寄る人はいないだろう。しかも土曜だから学生は多分来ないだろうって感じで、随分と気楽なイベントだった。
教室に学生服上下と白手と革靴を置いて、いつもの練習着に使っているTシャツとハーフパンツ姿で赤い鉢巻と襷を掛ける。自分の参加競技もある為、エール交換のとき以外は応援団全員この二点しか身につけない。
その後、周と一緒に登校してきた辰と二人三脚の練習をしていると、何だか急にグラウンドが騒がしくなってきた。
まだ開始時刻じゃないけど、何かあったのかな?
騒ぎの元は正門の方から近付いてきている。登校する寮生たちの中を軽やかに駆けて来ているのは、なんと翔子さんだった。
「タツくーん! カズくーん! やっほうっ」
最後には俺たち二人に飛びついて来たもんだから、倒れないようにするだけで精一杯だった。
「翔子さんっ」
なんとか二人で姿勢を立て直したけど、他の生徒たちからの好奇の視線は防げない。
「きちゃったー。ねえ、浩司くんは?」
「さあ? てか、俺たち練習中なんだけど」
ちょっと迷惑そうにしている辰に「ごめんねえ」って全然反省して無さそうな顔でぺろりと舌を出している翔子さんは、今日も胸元が大きく開いたラグランスリーブにヒラッヒラのミニスカート。肩口からはわざとなのかブラの紐らしきものが覗いてたりして足も生足だし、うっかり足同士が密着している俺は顔がかっかしてしょうがなかった。
はいはいと言いながら引き剥がした辰の目が、昇降口を見てキラリと光る。
「おーい! ヒロー!」
呼ばれてゲゲッと顔を顰めているのは智洋。電光石火の早業で振り向いて駆け出した翔子さんは、躊躇なくTシャツにジャージ姿の智洋に抱きついた。
「おっはよーん! 今日もかっこいいね、ヒロくんっ」
「はよ」
律儀に応じながらも特に拒む様子でもないのを見て、クラスメイトたちに囃し立てられている。
「さて、生贄に食いついている間に練習練習~」
ぐいと腰を抱き寄せられてなるべくくっ付くようにと言われて、ぴったりと辰に寄り添う。
二人である程度足並みが揃うようになった頃、集合を促すアナウンスが流れ始めた。
校庭に集合して学園長の挨拶と大野生徒会長からの注意事項の後、まずは広がってお決まりのラジオ体操をしてからトラックに添って輪になり、赤白対抗の大玉送りから競技はスタートした。
滑るように転がり出した大玉を、頭上に手をやった全校生徒が次々に送っていき先に三周させた方が勝ち。練習では途中で落としちゃった箇所もあったけれど、本番ではどちらのチームもとちることなく無事にゴール。僅差で白の勝ちだった。幸先悪いなあ……。
そうそう、周と辰は同じ赤組なんだけど、智洋も携も白組なんだよな。携は最初赤に入ろうとしてたけどクラスの中で一人だけ足らなくて、止むを得ず移ったんだ。穏便に済んだけどちょっと寂しい。
応援団は、全員参加の競技以外は専有スペースでそれぞれの組を応援することになっている。とはいえ、一つ前のプログラムで入場門に集合しないといけないから結構忙しく、バタバタと入れ替わりが激しい。
プログラム二番が棒倒しだったため二・三年は全員参加、その次が二人三脚なため俺も準備しなければならず、残り数人の一年生だけじゃあ殆ど太鼓の添え物みたいなものだった。
鼓舞するような太鼓のリズムに心が浮き立つ。
足首を結んだまま辰と俺は背伸びしてグラウンドの中を見つめる。浩司先輩は赤組でウォルター先輩は白組。二人とも目立つからすぐに判ったんだけど……金髪王子、やる気ゼロっすね。一番外れの方でポケットに手ぇ突っ込んで傍観者ってあんた。もう少しなんとかポーズだけでも作れないもんですか。あの大野会長だって懸命に白組の棒支えてるじゃないっすか。
その後は浩司先輩の活躍によりあっという間に決着して赤組の勝利。
続けて入場した俺たちは、練習の成果を発揮して俺と辰のペアが他のクラスを牛蒡抜きにしてトップをもぎ取った。
次の競技が一年生の棒倒しだったため、クラスメイトの大半が入れ替わりにグラウンドに出て行く中で、残った数人にバシバシと背中を叩かれ賞賛される。笑顔で受け答えしながら、辰は足首の手拭いを外すのに悪戦苦闘。ぴったりくっ付いている方が走りやすいからときつめに締めたのが災いしたようで、なかなか外れない。引っ張って更にきつくなってもいけないから、俺は立ったままこれ以上ないくらいに下半身を寄せていた。
「なあ、カズ」
手拭い相手に奮闘しながら、辰が話し掛けてくる。
「ん?」
「あのさ、なんか力になれることあったら、遠慮せずに言えよ?」
しゃがんで俯いたままの辰は、ようやく解けたのかシワシワになった手拭いを持って立ち上がった。
ここのところずっと、俺のことを気にしながらも特に口を出してはこなかった辰。だけどしっかりと目を合わせてくれた、その色素の薄い瞳には俺を心配する気持ちが揺れていて、嬉しくて何度も頷いた。
歓声が上がりグラウンドに目を遣ると、赤組の棒が倒れるところだった。自分の仕事を思い出して、俺は辰に手を振ってから先輩たちの居る太鼓の方へと回って行った。
俺たちが目を離している間に一進一退の攻防の末、制したのは白組だった。智洋が棒の先端引き下ろしたのが勝因だっただけに複雑な気分。
周も参加していたけど、負けても楽しそうだった。黒凌って体育会もなかったらしい。辰に抱きつくように話しかけている周を応援団のスペースから眺めながら、胸の奥がじんわり暖かくなった。
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