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第122話 【幕間】切り裂くことば

 ようやく薬が効いたのか、白いシーツの上で和明は瞼を下ろして静かになった。傍らで見守る携も、深々と息をつく。貫頭衣のような真っ白い布地を纏った和明の顔は、涙と鼻汁と涎で大変なことになっていた。濡れタオルでそっとそれを拭き取りながら、げっそりとこけた頬と目の下にある黒々とした隈に切なくなる。  両手には包帯の上から更に分厚い綿の紐が巻かれて、腕と手首をベッドに固定されている。簡素な衣類の下も包帯でグルグルに巻かれて、柔らかな肌は引き攣れた傷を残していた。 「和明……すまない……」  痛ましげに見つめる携の顔は、泣くのを堪えているかのように歪んでいる。  強引にドアを開けて踏み込んでみれば、飛び込んできた無残な状態の和明に我が目を疑い、怒りで一瞬我を忘れそうになった。  それでも「確保」と言えば「了解」と短く応じた讃岐が次々と黒凌出身の生徒を抵抗不能な状態にし、同じことばかり繰り返し呟きながら哄笑する川上はそのままに、和明に駆け寄る周一郎を押し退けたのだ。  焦点を失ったままの瞳からは光が消え、全身から力が抜けていた。口を覆う布テープを剥がそうと手を遣れば、鼻からも息が漏れていないことに気付き、痛みなど考慮せずに強引に次々とテープを取ると驚くことに口内にはタオルまで突っ込まれていた。  どれほどの時間苦痛を耐えていたのかと思うほどに湿気を含んだそれを引き出し、腕の拘束も引き千切る。前で縛られているならともかく、背後では本人も辛いばかりか手当ても出来ない。  弛緩した体を気にしながらも出来る限りのスピードで事を成し、ようやく気道を確保して人工呼吸をすることが出来た。  苦しげに呼吸を始めてくれたときには、ひとまずだけれど安心した。けれど変わりにすとんと落ちた瞼と共に、意識は手放したままだった。  シーツの上も体も誰だか知らない奴らの体液で汚れ、それでもなるべく早くそこから連れ出したくて、床に落とされたままだった彼の服を着せると抱え上げて医務室へと急行した。  待機していた仁が処置している間、携は濡れタオルで和明の体中丹念に清めた。行為者を特定するのと体の負担を取り除くためにと、仁は細い管になっているバキュームで体内に残る精液を吸いだしていく。  それを目の端で捕らえながら、携は胸の内で燃え盛る暗い炎と戦っていた。 「──聞きたくないかもしれないけど、これ結構な量だし奥まで入ってるよ。事前に腸内洗浄もされたんじゃないかなっていうくらい腸の中綺麗だしね」  淡々と説明する仁だったが、その眉間には深い皺が刻まれていた。 「讃岐が届けてくれた小瓶、解析に掛けてる。薬物使われたのは間違いないだろう。注射器にもチューブにも同じ液体が付着していたし。さて問題は、それがどんな風に体に作用しているかって事だよね」  タオルを握り締めた拳が震えた。  怒りと恐怖と──深呼吸してそれらと戦いながら、携は静かに和明を見つめる。  怒りに任せて奴らを処罰することは出来ない。  個人的には、骨の一本や二本折ることを躊躇しないほどの怒りに捕らわれているが、それを瞳以外表すこともしない。ずっと、そうやって己の感情を抑えてきたし、それが功を奏して動じない人物と周りが見ることにも満足していた。それが乱されるのは、たったひとり、この目の前で横たわる人物が関係する出来事だけだったのだ。  あらかた中のものが吸い出され、一応生理食塩水で洗浄でもしようかと仁が提案した時、唐突に和明の体が跳ねた。 「っうあっ、あああああああぁーっ!」  カッと目を見開いた和明が跳ね転がり、押さえる間もなく床に転がり落ちたかと思えば、それを痛がる様子も見せずに爪を立てて臍の下辺りを掻き毟り始めたのだ。  気圧されて呆然とそれを見ていた二人は、慌ててその手を掴み体から引き剥がす。爪の間にはこそげた皮膚と抉り取られた肉、そして手の平までが血に染まるほど力の限り己の体を傷めつけていた。  何処にこんな力が残っていたのかというほどに暴れ続ける和明に圧し掛かるように携が押さえ、隙を見て片方ずつ拳を包帯でぐるぐる巻きにして爪を立てられないようにする。それだけでは口に持っていき解こうとするので、さらにバンテージできつく巻いてからベッドに戻し、両脇の柵へと腕を固定した。  それでも和明は喉を枯らして叫び続け、辛いのか溢れ出す涙に濡れた瞳は曇っていて、恐らくはちゃんとした意識はないものだと推察される。  跳ねる体もベルトでベッドに拘束された姿は、見るに忍びなかった。 「お……おねがい、」  ビクビクと体を震わせながら、ようやく意味のある言葉が出て、二人はハッとその口元を凝視した。  かさつき紫色になった唇が戦慄き、掠れた声が吐息と共に零れ落ちる。 「おねがい、誰か……誰でもいいから、早く、入れて……」  ゆっくりと膝を立て、大きく開いていく。その下は、処置のため何も身に着けてはいない。 「入れてっ、早く……頂戴、精液っ! おね、おねがいします……っ」  耳に届いた言葉が信じられなくて、携はただただ和明を見つめていた。 「どうして、くれないの……? 入れたいんだろ? そのためにあんなの使ったんだろ? 早く突っ込めよ! さっさと腰振って気持ちよくなればいいじゃん……」  その瞳には携の姿が映っている。けれど、それは携として認識されてはいない。  焦れているのか、それともただ辛いだけなのか、全身を細かく震わせ続けて和明は「入れてくれよ」と繰り返す。 「も、耐えられない……ッ! 駄目なら、今すぐ殺して……殺せ、殺せよ……どうせもう、こんな汚ねえ体、いらねえよ……」  言葉が、凶器のように携を切り裂いていく。 「ッは……」  己の顔をわし掴むように両手で覆い、携は慟哭した。  呆然と佇んでいた仁も、尻尾のような毛先を翻してさっと薬棚に駆け寄っていく。  すぐに戻って来た仁に鎮静剤を打たれ、ようやく和明は大人しくなったのだった。

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