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第128話 許しではなく

「周! いやだ、行かないで……駄目だよ、こんなことで辞めないでよ。周は悪くない、周のせいなんかじゃない。だから辞めないでっ」  なんて言えばいいのかとか道々考えていたことは全部ぶっとんでしまった。ただ、これからようやく始まるだろうごく普通の高校生活を楽しんで欲しい、その一心で駆け寄ると、周の両腕を握り締めてひたすらその目を見つめた。  困ったように眉を寄せて緩やかに首を振る周の面差しはやつれている。眠れなかったのかもしれない。 「周、三年間耐えてようやくここに来れたんじゃないか。俺は周と一緒に卒業したいよ。川上の気持ちに応えられなかったっていうのが周の罪になるなら、周の想いに応えられない俺はどんな罰を受けたらいいんだ?」 「カズ、それは違うだろ」 「同じだって! 川上のしたことに、周は責任なんて負わなくていい。確かに中学時代に全員が堕ちるトコまで堕ちたんだろう、だけど今っ、ここは黒凌じゃない! あっちでまかり通っていた常識は通用しねえ! 周はそのことちゃんと判ってるじゃないか。頭いいくせにそんなことにも気付かなかったあいつらとは違う。周は、これからもここで友達増やして、俺や辰とビリヤードしたりして遊んで、それからもっと他にも楽しいこといっぱいいっぱい一緒にやるんだから! だから……辞めるなよ」  握り締めたシャツがくしゃくしゃと皺になっている。  噛み付くように言い募る俺を見下ろしていた周は、助けを求めるように俺の背後の携に視線を向けた。 「周っ」 「カズ、ありがとうな。だけど、俺は自分で自分が許せない」  携が何も言わなかったからか、再び視線が俺の顔に落ちる。 「俺が許す! なあ、被害者の俺が許す、全部許すから!」 「カズ……」  自棄になって、腕から離した手で襟首を掴み揺さぶった。  晩の内に決心を固めてしまっただろう周は、ただ困ったように俺を見つめていて、俺を引き剥がそうともしないでされるがままになっている。  もう、触れてもくれないんだろうか。  好きだって言っていた俺の頼みも聞けないくらいに、周の絶望は深いんだろうか。  俺にはもう、周の気持ちを動かせるほどの力が、ないんだろうか。 「周──っ」  鼻の奥がツンとして、視界が緩んでくる。  あ、と声にならないまま口を開けた周に、叩き付ける様に背後から携の声が発せられた。 「和明を泣かせたら許さない」  一緒になって叱られた気分になり、じわりと盛り上がっていた涙がそのままの位置で止まる。  振り向かなくても判る。こんな時の携は、きっと無表情で怒ってる。空気が凍りついたようにかてえよ……! 「罰せられたいのか? 谷本」  声は硬いまま、そっと俺の肩に両手が載った。その手の平は優しい温もりを伝えてくるから、携は本当のところ怒っているわけじゃないんだと察した。 「ならばこれから償えばいい。お前への罰は、和明が決める。正直なところ、学園側としても中途退学は歓迎しない。精々良い大学に進学して合格率を上げてくれ」  言葉はきついけれど、それは事実上卒業までここにいろと言っているのと同じだった。そんなさり気ない後押しを受けて、俺は涙を湛えたままにひたすら周を見つめた。  周は、確かに先刻の言葉に心を動かされているようだった。  深い闇を抱いたままの瞳が揺れて、それを隠すかのように瞼が落ちる。吐息が揺れて、細く長い息継ぎが、窓から差し込み徐々にドアの方へと足を伸ばしていく陽光を震わせた。  これから俺が駄目押しのように言おうとしている言葉は、きっととてつもなく酷い言葉だ。  何も知らなかった俺なら、誰にも何も気がねすることなく軽い気持ちで口に出来た。だけど今は違う。  身をもって知ってしまったから──大好きな人に、一番でも唯一でもなく、ただ他の大勢と同じような存在として扱われること。それがどんなに苦しいことか、理解しているから。  だから。  あの、ハンバーガーショップで、「俺と同じ意味で好きになって欲しい」と、そう俺に言った周に対して、それはひょっとしたら退学してそのことで親と揉めるよりも、もっと傷つけるであろう行為。  俺のエゴでいい。きっと周の将来のために、今辞めない方がいいだなんて、そんなの俺のエゴイズムだ。今傷付いている周を、目の届かないところへ遣りたくなくて、傍にいて欲しくて、そんなのは只の我侭だろう。 「周は、許しが欲しいんじゃないんだよね」  そっと、囁くように唇に乗せる。  睫毛が震えて、ゆっくりと現れた黒い瞳が、ゆらりと俺を見つめた。 「なら、俺からの罰をあげる。ここからいなくなるなんて許さない。俺がもういいって言うまで、ずっと友人として傍にいろよ」  瞠目する周の襟首から手を離すと、俺はそのまま半歩下がって携に体重を預けた。それだけで、携は俺の気持ちを察してくれたのか背中から柔らかく抱き締めてくれる。その腕を抱くように手の平に納めて、胸に頭を摺り寄せた。 「携のことを大好きな俺を、卒業まで見守ること……それが、周から俺への、償いだよ」 「……ああ」  糸を紡ぐように微かに零れた言葉が、瞼と同時に落ちた。

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