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第131話 学園の処遇
開いたドアから悠然とした足取りで入室した人物を見て、慌てて俺も椅子から下りる。今まで遠目にしか見た事がないけれど、確かに学園長だった。細いグレーのストライプの入った三つ揃えを着こなした壮年の男性は、流石「長」の付く役職にあるという独特のオーラを放っている。けれど、後ろに撫で付けられた紅茶色の髪は少し乱れていて、薄い茶色の瞳が気遣わしげにこちらをじっと見つめているのに気が付いた時に、少し安堵した。
なんだかラブラドール・レトリバーみたい。失礼にも、そんな印象を持ってしまったんだ。
「霧川くん、谷本くんを説得してくれてありがとう」
僅かに笑みを湛えた唇で、学園長は俺の正面に立つや否や深く頭を垂れた。
まさかの言葉に、飛び上がりそうに驚く。
ええっ!? どうしてここにって思ったら、まさか俺にいきなり頭を下げるだなんて……そんなの、予想外すぎる。
「あ、あのっ、よしてください! 俺が勝手にしちゃって、こちらこそ受理していただいて凄くありがたいって言うか」
こんな言葉遣いでいいんだろうかと考えながらも、ぱたぱたと手を振り首を振り、逆だとアピールしてみる。
ゆっくりと顔を上げてほっと息をつく学園長に、携が自分の椅子を勧めた。生徒用の部屋には勿論応接用の椅子とかないし、床なんて論外だし、立ちっぱなしっていうのもどうにも心苦しい。
沈着冷静な携ですら困っているような雰囲気が伝わってくるから、俺なんか冷や汗モノで。そんな俺たちの態度に気付いたのか、「では遠慮なく」と学園長は腰を下ろしてくれた。
それから携が俺に目配せして自分はベッドに浅く腰掛けたので、俺も自分の椅子に座った。正直、長く立っているとまだいろいろな箇所が辛い。きっと携は、俺を座らせるために自分が先に腰を下ろして見せたんだろうと思う。
「体の方は、少しは良くなっただろうか? いや、昨日の今日で、辛いだろうとは思っているんだが、どうにも気に掛かってね。私などが来ても君の負担にしかならないことは重々承知しているんだが、礼だけは直接伝えたかったんだよ。本当にありがとう」
もう一度軽く頭を下げる学園長に合わせて、俺も会釈で返した。
「仁からあらましは聞いているから、あとどれくらいの期間体が辛いのか、想像も出来ないが……私にも年頃の娘がいてね。あの子が同じ目に遭ったらと思うと怒りで目の前が赤くなって、どうしても君に会いたくなったよ」
そっか。娘さんが同じ目に遭ったら、そりゃあ大抵の親なら憤怒で気が狂いそうになるだろう。
「大丈夫です。俺、これでも男ですから」
そっと笑みを浮かべて見せると、学園長はくしゃりと顔を歪めた。
「それでも……なんとも感じないわけじゃあないだろう」
真っ直ぐに見つめてくる瞳に、心の中まで見通されているように感じる。
言われた事は本当だったから、何も言えずにただ小さく頷いた。
「男だからこそ、というのもある。プライドをずたずたにする行為だ。あんないかがわしい薬まで使って、そこまでして誰かを屈服させたいのかね、彼らは……。
あの三人の処遇だが、退学というより放校処分というのかな。やはり放り出してそのままというのも良くないしね、それぞれ別々の学校に編入できるよう手配しているところだよ。きっと君はそれも気にしていると思って、伝えたかった」
「そうなんですか」
そう、あんなやつらでも、未来が閉ざされてしまうのは嫌だった。川上に誘導されなければ、きっとあいつらだってここまでおおっぴらには行動しなかった筈で。色々な悪い要素が引き合って、こんな結果になってしまっただけなんだ。
ちゃんとした社会常識さえ身につければ、あいつらだってこれから大学に進んで、それなりに社会人として真っ当に生きていけると思うから。
「随分説教したんだよ。最初は何が悪いのかも解っていなくてね……それを理解させるために、結構時間を掛けてしまった。最後には、あの学校以外では許されないということは解ってくれたと思うけれどね。後は追々肌で感じてもらうしかないな」
処分だけ言い渡して手を離せば済むことなのに。
ここまで心を砕いてくれるんだ……この人は。
なんだか凄く安心して、口元が緩んでしまった。
つられたように、学園長も笑みを零す。
「君は優しいね。……そして、強い」
目の端に皺を寄せて微笑みかけられて、かあっと顔が熱くなった。
「や、優しくなんて、ないです……俺は、ただ自分が納得できるように我侭を押し付けているだけで」
「その芯にあるものが、優しさだと思うよ。そしてそれを実行に移す強さを持っている」
あわあわと口を開閉させるだけで言葉も出ない俺に、そっと右手が差し出される。
こ、これってやっぱり握手を求められているのかな?
「これからも、どうかそのまま真っ直ぐに進んで行って欲しい」
──こんな俺で、このままでいいだなんて。
夢でも見ている感じにふわふわした頭のまま、そろりと自分の右手を差し出した。その手をギュッと握り締められて、大きくて温かな手の平に包み込まれているのはその部分だけだというのに、全身に労わりの気持ちが伝わってきて、体が弛緩する。
それと共に、体の奥から湧き上がってくる、もう馴染みになってしまった感覚に気付いた。
また体を硬くして、脂汗の滲む俺に気付いたのか、学園長の顔色が変わる。
「す、すみません、あのっ」
それ以上口を開けば叫び声になりそうで、俺はギリッと奥歯を噛み締めた。
「和明」
名を呼んで、サッと荷物の中から道具を取り出す携の素早い反応に、学園長もそっと手を離して腰を上げた。
「発作か! すまない、どうも長居をしてしまったようだ」
挨拶も出来ずに震え続ける自分の体を抱き締めた俺を案じながらも、学園長は踵を返して辞去していく。
その後ろ姿を見送り鍵を閉める携に促されて、俺はよろけながらベッドに横になった。
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