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第132話 憎まれても仕方ない

 朝食が遅めだった上、処置後にも長く休憩をしていたため、昼食も遅くなって智洋とは会わなかった。その代わりといってはなんだけど、浩司先輩と辰が一緒にご飯を食べていて、俺と携が視界に入った途端に食事そっちのけですっ飛んで来た。 「カズ!」  ハモる二人に抱き締められて、ごめんとありがとうをいっぱいいっぱい言いながら抱き締め返した。二人それぞれの温もりが嬉しくて、凄く心配してくれてたのも伝わってきて、涙が出そうになりそれを堰き止めるのに必死だった。 「どんな具合なんだ?」  興奮して思わず駆け寄ってきたものの、我に返ったのか浩司先輩が腕を緩めて顔を見つめてくる。  一緒に居たのに、俺の姿が消えて。戻らないのを怪訝に思って探し回ってくれたその間、一体どんな思いでいただろう。責任を感じているんじゃないかな? 本校では、近寄り難くて敬遠されていたという先輩だけど、俺のことは懐に入れて大事にしてくれてて。情に厚いのが解っているから、心の底から申し訳なくて有り難くて、携に対するのとは違うけど、大好きって叫びたくなる。 「気をつければ、日常生活はなんとかなりそうです。ただ、発作がいつまで続くのか判らなくて……ちょっと授業が始まると怖いんですけど」  事情は恐らく知っていることと思ってそれだけ言うと、黙って頷いて頭を撫でてくれた。  辰は何処まで知っているのか判らないけど、今までの態度からみても凄く空気を読むというか、相手のことを慮る能力に長けていて、こういう時は「無事でよかった」って嬉しい気持ちだけを伝えてくれる。  前の時にもそうだったけど、俺が皆に迷惑を掛けて心配させたり手間をかけさせたりするのを一番気に病むっていうのを理解してくれているのが判る。絶妙な接し方をしてくれる。  今は、二人のそういう態度に凄く救われていた。  午前中に殆ど手付かずだった課題と予習を済ませた後、今度は校舎に移動して医務室で中の洗浄をしてもらってからの注入。少し早めの時間に始めたものの、何しろ中和剤を吸い取ってから洗浄している間が辛すぎる。  最初に感じたものを敢えて言葉にして表現するなら、といったあの時のまま、体の中を何百匹もの蚊に刺されたようなとんでもない痒みに苛まれ、意志の力でなんとか抑えようとしても跳ねたり暴れたりする体がどうにもならなくて、もう拘束はしないと断言した携が、殆ど覆い被さるようにして力ずくで押さえてくれた。  口を開けば絶叫しか出てこないのが判るだけに、ぎりぎりと歯を食いしばり、仁先生に当たらないように大きく開いた足を蹴りあげないようにするだけでも気力が磨り減った。自由ならまた下腹部を掻き毟ろうとしただろう両手は携がしっかりと上半身ごと押さえてくれて、生理食塩水も吸引してからようやく中和剤を注入されて体の震えが治まった。  三人が三人とも髪を振り乱し、互いを傷つけないように抑えて処置するというのは、かなり大変なことなんだと改めて実感した。  汗で額に張り付いた髪を手櫛で除けるように梳きながら「お疲れ様」と携に微笑みかけられる。 「こっちこそ、携も仁先生も、ありがとう」 「お仕事お仕事!」  軽い調子で手を振り答え、片付けを始める仁先生の目で追いながら、後何日こんなことを続けなければいけないのかとぼんやり考えた。  体を休めながら、明日からについて三人でもう一度打ち合わせをする。  今晩、点呼後に一度処置をして、朝までは持たないから夜中にもう一度。それから少し早めに登校して、洗浄を含む処置をこの医務室で。毎回洗浄するのは体に負担が掛かるからと苦肉の策なんだけど、これから食事を重ねれば腸内洗浄もきちんとしないと中和剤が入れられないし、考えただけでも眩暈がしそうだった。  昼休みまで持つかどうかも微妙な感じで、余裕を持って三校時が終わった後に処置した方が良いけど、授業に間に合うかどうか。ただ、教師陣には話が通っているから、後は遅れて教室に入るということに、そしてそれに伴うクラスメイトからの視線やらに耐えられるならば、そうすべきというのは理解できるし、それが最善だとも思う。  この発作が、授業中に起こったら……。その時の醜態を想像すれば、少しくらい変な目で見られたり嫌味を言われたりしても耐えられるんじゃないかと思う。  それに何より。この耐え難い痒みを必要最低限でしか体験したくはない。  それにしても、と思う。 「これってさ……俺は、処置してもらえてるからまだいいけど……川上とか、黒凌ではどうしてたんだろう」  ふと、浮かんだ疑問だった。その呟きに、傍らの椅子に腰を下ろしていた携が、苦々しく唇を歪めた。 「聞き取りの時に知ったけど、本当に知りたいか?」  あまりにも嫌そうな口調だったため、躊躇する。それでも、自分も辿る筈だった道だと思えば、知っておいた方が良い気がした。  頷く俺を見て、吐息して少し考えてからようやく携が口を開く。膝の上で組んだ両手の指に、力が入るのが判った。 「授業の間の休憩の度に、先輩の誰かが来るんだそうだ。人目を避けてくれる場合もあれば、時間がないからと教室で立ったまま壁に手を突かされて後ろから突っ込まれることもある。何しろ学校ぐるみで推奨されている行為だから、咎める者などいない。もしも授業中に発作が来てしまえば邪魔になるからと放り出される。そうすると授業についていけなくなる。勉強にしか力を入れていないあそこでは、それはどんな苦痛にも勝ることなんだそうだ。面白半分に放置されれば、今度は土下座してクラスメイトに強請る場合もあるらしい。そうやって、短期間であっという間に自尊心など粉々に砕かれてしまう」  川上の言っていた〈地獄のような三日間〉の正体に、俺は絶句するしかなかった。  そうやって、誰か知らないやつらに犯され続けて、中に吐き出されて、そんな体でも授業は受けないといけないというプレッシャーに突き動かされて、兎に角まともに勉強したいからと、社会通念上のまともな思考力は奪われてしまう。  焦点を失くして、それでも周に向けて哄笑していた川上の姿を思い出し、不覚にも涙が零れそうになった。  そんなところから抜け出した……ようやく掴めたと思った普通の学生生活が、同級生の元黒凌生たちにより打ち砕かれて。それでも同室に周がいたから、川上は耐えようとしたんだな。  縋られた周だって、迷惑だったろうと思う。俺だって、どうとも思っていないやつに勝手に生きる支えにされていたとしたら、そのことで責められたとしたら……嫌だ嫌だと思っていても、自分に咎がないだなんてきっぱり振り切ることなんて出来ない。  心の支えに省みられなくなり、そのただ一人の人が他の男を見ていたら。  憎いなんて言葉じゃ言い尽くせなかったろう。  心が、壊れるほどに──思いつめて。それでも、日常の生活では、そんなことひとかけらも悟られないように演技を続けていたんだな。  俺が憎まれるのは仕方なかったんだ、と。ストンと心に落ちて来た。  憎めないと自覚していたのは、無意識にでもこういうことだと悟っていたからなんだな──。  声に出さずに涙だけ零した俺を、黙って携は見守ってくれていた。

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