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第6話 サトルの願い

◇◇◇  サトルが目を覚ましたと聞いてからも、忙しくしていたため様子を見に行くことが出来なかった。ようやく翌日の面会時間ギリギリになって店を出ると、病院までの道のりを全力で走った。  ここ最近全力で走ることはそうなかったため、すぐに肺が痛くなる。運動不足が影響し始める年齢になっていることを痛感していた。 「あーキッツイ! けど、これでも数分しか話せないな。急げー!」  信号待ちで独言ていると、周りにいた知らない人たちから怪訝な目で見られてしまった。年とともに体力が落ち、独り言が増えていく。恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じながら、息を整えた。 「す、すみません、市木です。あ、あの……今日世理さんから預かる予定のものがあって、まだ面会できますか?」  急いで来たものの、面会時間を数分過ぎてしまった。    本来なら殺人未遂事件の被害者かもしれないサトルに、他人が面会時間を超過して会うのは難しいかもしれない。俺も普段なら行かないだろう。  だが、今日はサトルから呼び出されてここに来ている。  仕方なくナースステーションに立ち寄って許可を得てからにしようとしているところで、サトルの事件を担当している刑事さんと、ちょうど鉢合わせした。 「ああ、市木さん、どうも。我々も世理さんにお話を伺おうとお約束いただいてるんです。お先にどうぞ。あなたが来られた事は、こちらでも共有しておきますので、ご心配なく」 「本当ですか? ありうがとうございます。では、すぐ済ませますので」  俺は刑事さんにぺこりと頭を下げて、サトルの病室へと急いだ。  ここへ来るときは必ず警察へ連絡を入れるように言われている。あの事件の犯人は、まだ捕まっていないからだ。  サトルが誰になぜ襲われたのかの検討もついていない状態であるため、それは仕方がない事だろう。分かってはいても、かなり面倒だ。その手間が省けただけでも良かったと思えた。  走ってはいけないだろうから、パタパタと早歩きで病室へと向かう。  一番奥の四人部屋を、サトルが一人で使っている。  今は入り口に見張りの警察官が二人立っていた。  その二人はスマホをチェックした後、俺の足音に気がつくと、軽く会釈をしてくれた。俺も近づきつつ、会釈をする。  ちょうど入り口のスライドドアの前に立つと。中から看護師さんの声が漏れ聞こえてきた。 「世理さん、警察の方がお見えですけど。今よろしいですか?」  サトルの返事は聞こえてこないが、「では、伝えてきますね」と看護師さんがこちらへ戻ってくるのが見えた。  サトルは意識が戻ってすぐに仕事をしようとしたらしく、優希が宥めすかしてなんとか一日は我慢していたらしい。  今全く返事の声が聞こえなかったと言うことは、おそらくタブレットに目を向けたまま頷くだけの返事をしたんだろう。  熱心なのはいいが、大人なのだから周囲への気遣いも少しは考えて欲しいものだ。  部屋のドアをコンコンと軽くノックする。すると中から「はい?」とやや不機嫌そうな声が返ってきた。  人を呼びつけておいてなんとも態度の悪い声が返ってきたので、腹いせに勢いよくガーッと扉を開いてやった。  中に入って見てみると、刺されて死にかけていた男は、タブレットをスタンドで固定した状態で、自分はほぼ寝た状態のまま仕事をさせてもらったいた。キーボードは手元に置いてある。  俺は、研究者とはそこまでして仕事をしたいものなのかと呆れてしまった。 「えー、ちょっと何やってんの。まだ休んでないとダメなんじゃないの? 死にかけてだんだろ?」  警察が来ると思っていたサトルは、俺がやや間の抜けた声で話すのを聞いて、ピタッと動きを止めた。 「なんだ葵か。今日はもう来ないのかと思ってたぞ。店が忙しかったのか?」  サトルは、枕に半分埋もれるようにしてぐったりしている顔を、ゆっくりとこちらに向けた。当たり前だが、まだ顔色もそう良くなっておらず、体も重だるそうにしている。  そんな中でもする仕事とはなんだと思いディスプレイをチラリと覗き見た。  そこには、「佐藤優希」と記載があった。 「優希のデータチェックしてたのか」  俺がそう問いかけると、サトルはふっと息を吐いた。 「ああ。今日は調子がいいみたいで、問題なく過ごしている。昨日は俺とも会っていないから、俺自身への依存の心配も無いみたいで、安心した」  そう言うと、眩しそうに目を細めた。  その姿を見るだけで、サトルがどれほど優希を大切に思っているのかが良くわかる。  俺はこういう風に、二人の強い絆を垣間見るのが好きだ。  優希の足につけられているGPSは、今日は珍しく早い時間に会社を出たことを教えてくれていた。  犯罪者予備軍リストに名が載せられている優希は、行動をこれによって把握されている。  本来このリストからはもう外れてもいいと言われているらしいのだが、本人が希望してまだ行動管理をされていた。 「しかし、女性に刺されるなんて迷惑なことだったなあ、サトル。色男の方が絶対良かっただろ?」  俺が茶化してそういうと、サトルは眉を寄せ、心底嫌そうに俺を見た。 「ふざけんなよ、お前。男だろうが女だろうが、誰にも刺されたくなんかないわ。信じられないくらい痛てーぞ。そんなことを言うやつには痛みをうつしてやろうか、このエセ好青年め!」  サトルはそう言って、俺にUSBメモリを投げつけた。俺はそれをキャッチすると、ニヤリと笑った。 「これを持って帰ればいいわけ? 警察に渡す分はちゃんと別に用意してあるか?」 「いや、警察には研究所に行ってもらえばいいだろ。今からそう伝えるから。警察、来てただろ?」  警察は、サトル自身を恨んでいるものを犯人とみて捜査をしていくらしい。  その可能性のある人物をリストアップしていて欲しいと言われたサトルは、病床から研究所内のシステムにアクセスして準備をしていた。  それを提出するにあたり、元データを改竄される心配が無いようにと、俺にそのリストのコピーを預かっていて欲しいと連絡してきたのだった。  研究所の人間さえ、ある程度は疑っておくべきだと思っているようだ。  ただ、間違いなく刺した人間はそこにはいないと思っているらしい。  元データは、研究所のシステム内にある。何度も病院に来られるのはサトル自身も病院にも負担がかかる。  それを避けるためにも、警察にはそっちに行ってもらいたいのだと言う。 「念のために用心はするけれど、研究所の人間は人を恨むどころか、お互いのことを知っている者自体が少ないんだ。それくらい、皆自分の仕事にしか興味がない。同じ研究所の人間でも、違う研究をしている者ならお互いにほぼ何も知らないからな。同期ぐらいだろう、話をするやつなんて」  ちょうどその時、ポコンと音がした。タブレットに優希が帰宅したという通知が届いている。サトルはそれを見て、小さく頷いた。  俺は病室を横切って窓側へと向かう。夕焼けに赤く染まる空の下で、優希が帰り着いたマンションの方角へと目をやった。そして、サトルの方へと向き直り、あまり気が進まないが確認しておきたいことを口にした。 「なあサトル、あれからずっとペドフィリア被害者の会の方々とはうまくいってるよな? あちらに恨まれて刺されたなんてことは無いよな?」  サトルは目を伏せたまま、小さく答える。 「ああ、俺が知る限りはな」  サトルは優希と知り合う前から、ペドフィリアの治療の研究をしていた。  多様性の叫ばれる昨今、同性愛者であるサトルに、非難の目を向ける人はそういない。それでも全く無いわけでは無いが、特に気にしていないタイプのサトルにとっては、今のレベルならなんということもないらしい。  昔はそれは酷く罵られ、蔑まれ、たくさんのことを奪われたと言っていた。  自分が楽になってきてから、ふと考えることがあったらしい。  いくら時代が変わろうとも、許されない性嗜好の人というのは一定数いる。その人たちは、これからもずっと、あの苦しみを味わっていかなければならないのかと。 『好きだと言うことさえ許されない、言ってはならない辛さ。報われることがなく、体に溜まり続ける熱、それに伴う痛み。それが死ぬまで続く。自分がそれを望んで生まれて来たわけではないのにも関わらず、その中に囚われて生きていくしか選択肢が無い。きっとそれは生き地獄だろうなと思ったんだよ』  その疑問が生まれたときから、治療の研究をしているチームに異動させてもらっている。これまでにも治療法はいくつかあったらしいのだが、完治したという証明が出来ていないらしい。 『何を持ってそれとしたらいいのかが定まっていない。それならば、自分が研究の中心に入って答えを探そうと思う』  そう話していたサトルに、俺は優希を託した。  苦しんでいることはわかっていても、何もしてあげられなかった俺の無力感をも、サトルは救ってくれていた。  ただし、サトルのその活動はペドフィリアに寄り添い過ぎていると思われてしまい、被害者の会から執拗な嫌がらせを受けるようになっていた。 『なぜ、加害者を守ろうとするのか。被害者の事はないがしろにするつもりか!』  そう言われ続けた。  そこで当時弁護士だった俺が間に入って、話し合いを持った。とても複雑で繊細な問題を孕んでいたため、数年かかる長い話し合いとなったが、その話し合いの後からは嫌がらせを受けることはなくなった。  今はまた揉めることが無いように、定期的に報告会をさせてもらって、良好な関係を築いているはずだ。 『知らないと人は攻撃したがるのだから、自分を相手に知ってもらう努力をしろ』  それが、俺からサトルへ一番力を入れて伝えていったことだった。 「あの時の嫌がらせはそんなに酷くなかったしな。生ごみをブチまけられる、無言電話と夜中の突撃、研究所への抗議の電話くらいだったな。ただ、夜中の突撃の頻度がすごかったから、寝不足で事故に遭って死にかけたけど。その程度の嫌がらせしかしていなかった人たちが、暗がりで突然背後から一突きするなんて、考えられないだろう?」  おどけたように両手を開いて同意を求めてくる。普段はそんなお調子者では無いので、俺への気遣いなのだろう。 「しかも刺した犯人は、声から判断すると中年の女性だった。俺が対応した関係者の中に、中年の女性は確かいなかった。しかもあの女、ナイフを引き抜いていっていたらしい。ナイフを抜けば、大量出血するのは大体予想がつくだろう? それができなかったとしても、普通わざわざ抜かないはずだ。かなりの力が必要だからな。深く刺し、勢い良く抜いている。明確な殺意があったとしか考えられない」  サトルは痛みを堪えるように頬を引き攣らせていた。話しながら、刺された痛みを思い出したのだろう。その姿が痛々しくて、俺の胸が痛んだ。  どれほど強がっていても、暗がりで刺されたことは恐怖心としてサトルの中に居座っている。  それでも俺といる間は少しでも気を楽にしてもらいたい。気分を変えようと思い、俺はややおどけたトーンで返した。 「しっかし、そんな深く刺されて凶器引き抜かれて、よく助かったよな。すげえ生命力」  俺はサトルのサラシのような包帯を指さして、ニヤリと笑いながら言った。 「まあな。普通なら、あっという間に亡くなっていただろうな。俺もちょっと覚悟したぞ」  そう言いつつ、左手の指輪を無意識に触っていた。  サトルはもう一人ではない。その帰りを待つ人がいる。  指輪に触れながら優希へ思いを馳せていることがわかった。  サトルが指輪をキュッと握りしめると、キラリとダイヤが光った。  それはまるで、サトルの声に答える優希の笑顔のように甘やかで、二人の繋がりの深さを物語っているようだった。

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