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第7話 襲撃
◇◇◇
俺の後に刑事さんが控えていたため、早々に切り上げて帰宅することにした。病院から自宅へはバスで移動した方が早いため、バス停へと向かう。日が暮れてまだそう時間の経っていないこの時間は、この路線のバスは混みやすい。そこには到着を待つたくさんの人が並んでいた。
その列が少し歪んでいた。そして、遠くの方で何か小さく騒ぎが起きている。
どうしたのだろうと思いよく見てみると、列が乱れていることに躍起になってケチをつけているご老人がいた。そのご老人は、「しっかり真っ直ぐ並びなさい! 全く今どきの子たちは……」と顔を真っ赤にして捲し立てている。
叱られている方はもう、今時の子なんていう年齢ではない。迷惑そうに一瞥をくれるものや、あからさまに舌打ちをして煙たがる者などばかりだった。
「なんだあの爺さんは」と迷惑そうにしている。普通はそう思うのだろう。
——俺はそういうのは無いからなあ……。
俺は細かいことにこだわって喚き散らす人を見ても、大して何も思わないタイプの人間だ。思ったとしても、「多少曲がっていても問題ないとは考えないのかな」くらいだ。
目玉焼きには醤油でないと許せないとか、書類はキッチリ揃えなければならないとか、そう言うこだわりがある人全般に関して譲ることしかしない。
ソースをかけられたとしても卵は美味しいと思うし、書類が揃ってなくても読めればいいし、かといって揃っていないと片付けにくいのであれば黙って揃えてしまう。
誰かにいちいち突っかかるくらいであれば、自分がこだわっている人に合わせてあげればいいと思っている。
よく言えば寛容、悪く言えば色んな事への興味や関心が薄く、本当にどうでもいいと思っている。
ただし、俺にも「命は奪ってはならない」と言う認識はあるし、それにはしっかり拘りたい。大切なひとはちゃんといるし、それは必死に守りたい。
実際、サトルが死にかけた時には、犯人を痛い目に合わせてやりたと思っていた。
極悪人が狙われると言うのなら、まだわかる。ただ、「世理了 」はどちらかと言うと善人だ。誰かに感謝されることがあっても、恨まれるようなことはして来ていないはずだ。
一般論としては、研究のライバルに狙われることはあるのかもしれない。しかし、あの研究所は割とホワイトで、待遇の悪さで不満を抱いている人は、あまりいないらしい。
ペドフィリア被害者の会との問題についても、サトルは真摯に対応していた。サトル側に悪意がなくとも、もし被害者側に傷ついている方がいると知れば、その度に積極的に謝罪をしに動いていた。
俺はもう弁護士をやめたので、あれからは信頼できる先輩に顧問をやっていただいている。
その方は、リョウを引き取る時にもお世話になった、心優しく、気が利いていて、騒がしいが裏のない、太陽のような明るい人物だ。出会った当初、そこにいるだけで周囲を明るく照らすような人間とは、本当にいたものだなと驚いた。
そのくらい、正のエネルギーの塊のような人だ。
「そう言えば、最近知り合った方で先輩に似たような人がもう一人いたな……誰だったっけー?」
その人の名が思い出せず、顔も薄ぼんやりとしか思い出せない。
「あー、さすがに疲れが溜まってるな」
回らない頭をコツコツと叩いた。
ここ数日は、パーティーのための料理の仕込みや店内の準備をしていて、連日寝不足気味だった。しかし、昨日それが中止になったので、もう一度やり直す必要が出て来た。中止のための後始末も並行してやっている。
これからの日々を考えるだけでさらに疲れるが、まだその日は暫く来ないだろう。日程が決まるまでは、通常営業で様子を見て行くしかなさそうだ。
「事件がそう簡単に解決するとは、思えないからなあ」
そう呟きながら、俺は家路を急いだ。
随分暗くなっていた。
リョウはもうすぐ高校生になる。俺がいなくてもある程度は心配ないが、夜一人になるということに対しては、未だに多少引っかかるものがあるようだ。
ふとした時に見せる一瞬の苦悶の表情を見ているのは、こちらも辛い。あの顔は、なるべくさせたくない。
未成年の間は、慎重に育ててあげようと心に決めている。
「今日二回目だな」
バスを降りると、そう呟きながら全力で走った。
エントランスを抜け、コンシェルジュさんに会釈する。あちらも完璧な笑顔で返して来てくれる。
ここはそれなりの価格のする分譲マンションだ。そして、なんと持ち主は俺だったりする。
俺は昔から労せずなんでもそこそこできるタイプで、学生の時からトレーダーとしてそこそこの金を動かしていた。家を出る時にはこのマンションを一棟買うくらいには資金が貯まっていた。当時はまだ未成年だったため、成人していた兄に頼んで代理購入してもらった。そしてつい最近兄弟間売買した。それはもちろん、所得を得るための手段を増やしたかったからだ。
カフェ店長の給料だけでは、リョウとの暮らしは生きていくだけで精一杯になってしまう。小さな世界で生きていたリョウは、俺と暮らし始めたあたりから急に身長が伸び、体格が変わった。そして、野球に明け暮れるスポーツ少年へと変わっていった。
野球を思い切りやるためにも、収入を増やそうと思ったのがきっかけだ。基本的には家賃収入を得る目的で始めた。
——自分のためにも必要だったしな。
その決意をした頃のことを思い出すと、いまだに胸の奥の方がぎりぎりと痛み始める。それは、なるべくならずっと触れずに消してしまいたい記憶だ。
エレベーターが到着を知らせる。ドアが開くと、三つの扉が目に入る。一番手前が俺とリョウが暮らす部屋、その隣がミドリと母親が暮らす部屋だ。奥の部屋には、小さな子供が二人いる仲睦まじい家族が暮らしている。
「ただいまー。あーお腹減った。リョウ、今日夕飯なんだったっけ?」
ジャケットを脱いでハンガーにかけながら、キッチンにいるであろうリョウに声をかけた。今日の終業後にサトルのお見舞いに行くという事をリョウに伝えると、ミドリと一緒にやっておくと言って炊事を引き受けてくれた。
リョウは料理が上手で、家庭料理は一級品。和食なんて、うっかり郷愁に駆られそうになるほどの腕前だ。俺は家庭料理が売りの店を開くなら、間違いなくリョウに調理を頼む。
今日も俺から和食にして欲しいと頼んでいたからか、家の中にはうっすら醤油の香りがしている。煮物でも作ってくれたのだろうか。
どこかほっとする香りに包まれながら、穏やかな気分でリビングに入っていった。
「リョウー! いないのかー?」
珍しく返事が返ってこないので、キッチンを覗きに行ってみる。カウンターの上には、出来上がった煮物と炊き合わせが少し大きめな鉢に入れられて冷ましてあった。
それはまだほんのり温かく、リョウが帰ってきてこれを作ったのは間違い無いだろう。
「どこ行ったんだー。行き先くらい言っとけよなー……」
カウンター横のパントリーを抜け、その隣の冷蔵庫のドアに手をかける。冷蔵庫のドアは、いつもリョウが磨いてくれていてピカピカだ。ガバッと観音開きのドアの右側だけを開き、缶ビールを取り出す。
「隣にでも行ったのかねえ」と呟きながらシンクに缶を置き、プシュッと心地よい音を立てて開缶した。どこを見るともなく、それを持ち上げ、いよいよ口をつけようとしていたのだが、視界に僅かに違和感を感じた。
——ん? なんだ、あれ
冷蔵庫の、ピカピカに磨き上げられたドアに、何かが横たわっているのが写っている。何か、というよりも、それは紛れもなく人間だ。
ただ、誰なのかわからない。リョウにしては線が細く、小さい。それに、シルエットがやや柔らかい。
ソファーの上に、俯せの状態で倒れ込んだのだろう。顔が伏せられ、こちらに見えるのは下半身のようだ。
自宅に誰だかわからない人物が倒れていて、安全なわけがない。
俺ははねる心臓を落ち着かせようと、カウントしながら深呼吸をした。
そうしながらゆっくりとソファーに近づいていく。
背もたれの陰に隠れながら、音を立てぬようにそっと近づいていき、相手の腰あたりにたどり着いた。
倒れた人物は、右手を左胸のあたりに当てた状態だ。
耳にキラッと光りが反射して、オレンジ色の髪と床に落ちて割れた黒縁メガネが見えた。
そしてそのメガネの近くで、座り込んで震えている人物に気がついた。
「あ、あ、葵さ……」
「リョウ! お前、何して……」
いくら呼びかけても返事が無いから、いないものだと思っていた。居るには居たが何やら様子がおかしい。うまく話せないようだ。
口を大きく開けて、必死で息をしている。
「おい、どうした? 返事がないから居ないと思ってたぞ……ていうかなんでそんな怯えてんの? なにがあった?」
俺はソファーの前に飛び出して、リョウの方へ駆け寄った。
「でんげき……どうしよう……。俺、俺のせい……」
高身長でキリッとした顔立ちのリョウが、青い顔をしてガタガタと震えていた。家にいてそんなに恐ろしい目に遭うことがあるだろうか。
しかし、あったのだろう。リョウの目は見開かれたままで、体全体が小刻みに震えている。助けを呼ぼうとしたのか、床にはスマホが落ちていた。
うまく掴めずに落としたのか、画面にヒビが入っていた。
「え? 電撃? 今、電撃って言った? じゃあこれ、優希なのか?」
そう言いながら、倒れている人物の左肩をぐいっと押して半回転させた。だらん、と腕を落とした状態で、眠るように気絶している優希の顔が見えた。
「優希! お前、なんで……」
オレンジ色の巻き毛の中に、真っ白い肌とフサフサのまつ毛が可愛らしい幼馴染の顔があった。紛れもなく優希だ。かなり勢いよく倒れたのだろう、顔には打ちつけたような跡がついている。
「電気ショックで気を失っているのか? すぐ救急車……あ、いやいいよ、俺が電話するから!」
手が震えてタップ出来ないリョウに代わって、俺は救急車を呼んだ。
片手でスマホを耳にあて、もう片方の手ではリョウの肩を抱き寄せ、腕をさすった。
震え続けるリョウの肩を見つめながら、「なんなんだよ、全く」とため息をついた。
そしてすんっと鼻を鳴らして気がついた。リョウから生臭く、鉄っぽい匂いがツンとしてきた。匂いの先には、血で赤く染まったリョウの耳。両耳ともピアスを強く潰されて、耳に食い込んでいた。
「なんだこれ! リョウ、これ……お前、耳は大丈夫なのか⁉︎」
どうにも形容しがたい、酷いめり込み方をしている。押し潰すという言葉がそのまま体現されたような肉の潰れ方をしていた。
耳は引っ張られるだけでかなりの激痛を伴う。こんなになるまで押されれば、かなり痛んだだろう。リョウが自分でここまで強くピアスを押すとは思えなかった。
そもそも、このピアスは押せば効果があるものの、押す強さに電撃の強さは比例しない。
軽く押してスイッチを作動させればいいはずだ。それを知っていれば、こんなに酷い状態になるまで力を入れて潰したりはしないだろう。
自分では、たとえ望んでもできることじゃない。
という事は、その痛みを感じることがない人……他人が押したとしか思えない。
どこの誰がこんなことをしたのかはわからないが、リョウを傷つけたということ自体が、俺には許せなかった。腹の底から沸々と怒りが湧いてくる。
「なんでこんな酷いことになってるんだ」
俺はリョウの耳を冷やそうと思い、冷蔵庫に氷をとりに行くために立ち上がった。その俺のシャツの裾を、リョウがぎゅっと握ってくる。ガタガタと震えながら、顔をどんどん青ざめさせて行く。
「氷とってくるだけだから、ちょっと待ってろ……」
「こ、こ、これ、こ、壊れてると……ゆ、ゆ、優希さん、ど、どうなるんです……か」
リョウは自分の耳をバシバシと叩きながら、優希の行動制限をするために存在するピアスについて訊いてくる。こんな状態でも、リョウは優希のことを心配している。ぎゅーっと胸が潰されそうだった。
優しい子に育ったなと嬉しい反面、もっと自分のことも大切にしろよと軽く怒りさえ湧いてきた。
「ごめん、それは俺にもわからない。サトルに訊くよ」
「だって! 優希さん、倒れてる! 死んじゃうかもしれない! 怖い!」
リョウは言葉を口にするたびにパニックを強めていった。俺はそれを見ていると逆にだんだんと落ち着きを取り戻してきた。
俺はリョウを預かっているんだ。俺が落ち着いて、リョウを安心させてやらなくてはと思うと、いつの間にかスーッと心が凪いでいた。
「リョウ、病院で耳を診てもらおう。救急車には俺が乗るから、リョウは一人でタクシーに乗って来れるか?」
リョウは答えなかった。俺はそのリョウの姿を見て、やっぱり無理だなと察した。
どうしたものかとあたりを逡巡していると、スマホに着信が入った。さっき別れたばかりのサトルだ。
俺は表示された名前を見ると、すぐに通話をタップした。
「サトル! 今優希が……」
焦って話し始めた俺を制するように、サトルは静かに語り始めた。
「葵、優希の指輪から電気ショックと麻酔薬の注入履歴がシステムに記録された。状況はそれだけでわかる。GPSで家じゃなくてお前のうちに行っているのもわかってる。お前ら大丈夫か? 救急車は呼んだか?」
ゆっくりと低めのトーンで話すサトルは、それだけで俺の焦りをどんどん消していった。
もちろん意図的にそうしているのだろう。普段の二人のやりとりというよりは、仕事中のサトルだ。
緊急時の医師の対応で、患者の不安感は増減する。落ち着いたサトルの声を聞いているうちに、俺も頭が冷えてきた。
こういう時は専門家の指示に従うのが賢明だ。サトルの質問に答えよう。
「ああ、呼んだ。ただ話している最中から、相手に説明しづらいなと思い始めて。ピアスのことも、指輪のことも、治療そのものも、俺が口外するわけにはいかないだろう? かなり適当な説明をしたと思う。まあ、焦っていたから、変には思われないと思うけどな」
俺は倒れている優希を見つめながら、動悸を抑えようと必死だった。早く助けなければ、死んでしまうように思えたのだ。リョウの不安がうつってしまったのかもしれない。はー、はー、と合間に息継ぎをしなくては、正気でいられない状態になっていた。
「救急車は俺の方からキャンセルしておく。この状況になった場合、優希は研究所の隔離施設に運ばれるようになっているんだ。もうすぐ迎えが着く。『ありき』という大男が来るから、そいつが来たら全て任せていいぞ。ちなみに、優希は電気ショックそのもので気を失っているというよりは、麻酔で眠らされている状態だ。だから心配するな。そういや、スイッチを入れたのはリョウか? それともミドリ? ケガはしてないのか?」
サトルの口から「優希に心配はいらない」との説明があり、ホッとした。だが、リョウの事は伝えなければならない。入院中のサトルにまた心配をかけるのも気がひけるが、事実を話しておかなければいけない事は、わかっている。
「リョウのスイッチが作動したんだけど、起動したのはリョウじゃないと思う。リョウは今話せる状態じゃない」
葵は血だらけのリョウの耳を見つめながら、鼻の奥がツンとするのを感じていた。
「ピアスが潰れて、肉に食い込むほどの力で押されてる。自力でそんな事、痛すぎて無理だと思うんだよ。いくら焦ってても、そこまでしないと思うし。リョウがこのスイッチを身につけていることを知っていた人物が他にいて、その人が無理やり押したとしか思えないんだ。」
「なんだって? リョウの耳、潰れてるのか? 誰がそんな酷いこと……」
二人は絶望感に苛まれてしまった。誰がそんなことをするのか、皆目見当がつかないからだ。体つきが立派とはいえ、中学生だ。少年を相手にして、そこまでの行動が取れるものなのか。リョウ自身を恨んでいるのか、リョウを利用しただけなのか。どちらにしても到底許されることでは無い。
それに、なぜ優希を襲わねばならなかったのか。優希は一時間くらい前に自宅に帰ったはずだ。それなのに、なぜここにいるのか。それがわからない。
そして最大の謎は、なぜピアスがスイッチだと知っていたのか、だ。リョウのピアスが優希の性衝動制御のためのスイッチだと知っているのは、ごく限られた人間だけだ。情報は漏らさないように、誓約書を書いてもらっている。それよりも、関係者は残りはミドリしかいない。ミドリは、リョウを傷つけてまで優希を襲うだろうか。そんなの、考えるだけでもバカげている。ミドリにとってこの世で一番大切な人が、リョウなのだから。
しかし、これだけ騒いでいるにもかかわらず、ミドリは見当たらない。それもまたおかしなことだった。
そうやってぐるぐると謎を追いかけてばかりいると、玄関の方から男性の声が聞こえて来た。
「どうも。初めまして。犯罪心理研究センター抑止力強化チームの有木です。世理から連絡があったと思うんですが、佐藤さんを研究所へお送りします。失礼しますね」
有木という人は、サトルの言う通りに大柄で体格のいい男だった。研究所で研究をしているというよりは、格闘家だと言った方が納得のいきそうなそうなほどに筋骨隆々としている。
有木さんはリビングのソファーの前までドカドカと歩いて来ると、ピアスと指輪のチェックをした。
「ピアス内の液体の残量、指輪の破損具合などを見ています」と葵に伝えると、その後には優希の状態をチェックをした。そして、それが終わるとすぐに横抱きに抱え上げ、用意してきたストレッチャーへ寝かせた。
「こちらは心配いりませんから、彼の治療に早く行ってあげてください。早めに治療した方が、跡は残りにくいと思います。では」
そう言って有木さんは去ろうとしたが、ふと足を止めてリョウの方を振り返った。リョウの血に染まった耳を見つめ、眉根を寄せ悲しそうな表情を見せた。膝を折り、顔をリョウに近づけると、
「ごめんな。こんな風に使われることも、想定しておかなければならなかったな。痛かっただろう。しっかり治して貰ってくれ」
そういうと、リョウに向かってしっかりと頭を下げて謝罪した。そして、ポンと背中を優しく叩くと「では失礼しますね」と言ってエレベーターへと進んで行った。
サトル同様に、心優しい青年なのだろう。開発した機器がこんな風に悪用され、しかも子供が傷つけられたなど、彼にとってはとてつもない苦痛のはずだ。
子供を守るために、長年間もかけて開発されたものなのだ。それを使って人を傷つけるなんて、許されることではない。
身の回りに溢れる狂気と優しさに圧倒されて、俺はクラクラとめまいがしていた。それでもまだ倒れるわけにはいかない。リョウを病院へ連れていかなくてはならない。それをしてあげられるのは、俺しかいない。気力を振り絞って、立ち上がった。
「よし。じゃあ病院へ行こうか。連絡してくれてるらしいから、サトルのいる病院へ行こう」
「はい」
リョウはなんとかそう答えると、頭を押さえて顔をしかめた。そしてその場にへたり込んでしまった。
「どうした? 頭も痛いのか?」
リョウの顔をしっかり見ようとして、俺は座ろうとした。玄関先で男二人が座り込むと狭くなりそうだったので、スペースにゆとりを持たせようと、ドアを少し開けることにした。
やや余裕の生まれた空間に座り込むと、ちょうど視線の先にタイヤ痕があることに気づいた。それは、自転車のタイヤのように細いが、キレイに二つ並んでいる。優希を乗せたストレッチャーのものとは、反対方向から伸びていた。
ストレッチャーはエレベーター側へ、このタイヤ痕は奥の方からウチの前まで続いていた。
タイヤ痕はミドリの家より奥から続いていた。一番奥のお宅にいるお子さんは、確か赤ちゃんと幼稚園に通う男の子の兄弟だった。
——ベビーカーのタイヤ? 最近のやつタイヤめちゃくちゃデッカいもんな……
なんとなく気にはなったが、今は病院へ行かなくてはならない。葵はリョウの肩を担いで立たせると、鍵を閉めた。
そして、そのまま今辿ってきたばかりの道を戻り、サトルの入院している病院へと向かって行った。
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