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第18話 迫り来る闇

◇◇◇  四月に入り、リョウとミドリは高校生になった。真新しい制服に身を包み、三人で写真を撮った。二人の両親は相変わらず自分たちの子供の門出を祝おうともせず、ただ必要なお金を子供名義の通帳に入金して来ただけだった。  二人もそれを気にもとめず、「葵さんが祝ってくれるから、それでいいんです」と言ってくれた。  入学して二週目には学校行事でキャンプが行われる。キャンプといっても宿泊施設に泊まるだけのものだが、学校としては人間関係を円滑にするという名目を掲げ、力を入れているようだ。  二人はその準備の話で持ちきりだ。そして、美咲さんを巻き込んで旅行に行きたいねという話に発展していったようだ。  そろそろ4月末から5月初旬の連休の予定を立てたいとミドリが言い始め、リョウは頭を悩ませていた。リョウはこれまで、この連休の期間は店の手伝いしかしてこなかった。何をして遊ぶものなのか、見当もつかないらしい。 「あー、そうだな。申し訳ないけれど、その期間は俺がずっと店に出てたからなあ。リョウもずっと手伝ってただけだもんな」 「それは気にしないでください。この期間に来てくれるお客さんって大事でしょ? 手伝うのも楽しかったですし。ただ、ミドリを楽しませてあげたいなって思って困ってるだけなんで……葵さんたちってデートとかどうしてたんですか?」  先日俺はリョウに秘密を打ち明けた。その翌日には後藤さんと沙枝姉さんが挨拶と謝罪をしてくれた。その時はミドリも一緒だった。 「全然引かずにすぐ受け入れられたから、自分の気持ちがついていかなかったって葵から聞いたよ。否定しないでくれてありがとう」  沙枝姉さんからそう言われ、後藤さんからは死ぬほど力一杯のハグをされた二人は、今でも変わらずにいてくれている。  唯一変わったことがあるとすれば、それ以来リョウが頻繁に恋愛の話を振ってくるようになったことくらいだ。  ただ、俺は自分の恋愛の話を人としたことがなくて、その手の話をしようとすると顔が真っ赤になってしまって困っている。 「今はお前も知っている通り、連休はどこにも行けないけれどな。店を手伝う前は、結構三人で旅行してたぞ。海外とかは本当に数えるほどしか行って無いけれど、国内なら取材とかも兼ねて結構行ったな」  カフェもバーも連休とは無縁の場所なので、この数年はその期間はどこにも行っていない。それももう恒例なので、気にした事は無かった。  ただ、リョウはこれから自分で休みの間の計画を立てて、ミドリと二人でどこかへ行くことも出てくるんだよなと思うと、感慨深いものがあった。 ——大人と一緒に出かける経験をさせておかないと、いきなり二人じゃハードル高いか?  ちょうどそんなことを考えていた時だった。 「葵さん、スマホ鳴ってます。優希さんからみたいです」  バックヤードの机の上に置きっぱなしにしていたスマホを、リョウがカウンターまで持って来てくれた。 「優希から? リョウごめん、ちょっとここ頼んでいいか?」  リョウと一緒に襲われてから一月ほど入院していた優希は、先日ようやく退院した。しばらくは安静に過ごし、この数日でようやく家の中を動けるようになったという。 「うーす、優希、久しぶり! 元気になったか?」  久しぶりに言葉を交わすため、俺は少々テンションが高くなり過ぎていた。小学生の頃から一緒にいた優希とこんなに長く話をしなかったのは初めてかも知れない。あの優しい声を久しぶりに聞けることがとても嬉しかった。  しかし、そのハイテンションな俺に言葉を返して来たのは、最近良くないニュースでのやり取りが多かった、びっくりするくらいローな音とテンションの声の主だった。 『テンションたけーな、葵。優希の心臓止まるぞ?』  やや食傷気味のサトルの声に「お前かよー。優希は? 話したいんだけど」と食らいつく。するとサトルは不満そうに鼻を鳴らして、スピーカーの向こうで笑っている優希を呼んでくれた。 『……拗ねないでよ、もう。あ、葵、久しぶり。ごめんね、サトルがどうしても葵を驚かしたいって言うからさ。元気にしてた?』  明るい調子の声の優希にほっと心が和んだ。二人のやりとりも幸せそうで、ふわっと微笑み合う姿が目に浮かぶようだった。 「お前もサトルもいつもこっちを気遣うけど、それを聞きたいのは俺たちだから。俺は元気、リョウもミドリも美咲さんも元気。お前は? もう落ち着いたか? サトルの傷はどうだ?」 『僕は元気だよ。検査の結果も問題なくて、数値も安定してきた。サトルのお腹の傷も痕は目立つけれど、生活に支障は無いらしいよ。みんな元気で良かった』  そこまで楽しそうに話した後に、『高橋のことは残念だったけどね』と呟いた。 「そうだな。お前、責任感じたりするなよ。サトルから聞いた。タイミングの問題は、もう仕方が無いことだからな」  俺がそう声をかけると、優希は震える声で『うん。ありがとう』と返す。言葉に詰まった優希の代わりに、隣からサトルが声をかけてきた。 『葵、俺たち連休中に新婚旅行に行くことにするって話をしてただろう? その件で頼みたいことがあって……』 ——やっぱりな。リョウとミドリにあの話をしておいて良かった。  俺は、サトルからこのお願いが近いうちに来るだろうと踏んでいた。連休中の新婚旅行は、元々イギリスに行く予定だったはずだ。  ただ、ここ最近起きた事件の真相が全くわかっていないため、おそらくサトルなら遠出は諦めるだろうと考えていた。そうなった場合、おそらく宿泊先に選ばれるであろう場所に、俺が深く関わっている。だから必ず連絡が来ると思っていた。 「うちの実家のホテルに泊まるんだろう? 安全のために配慮してもらいたいんだよな?」 『……さすが葵。話が早い。もちろん警察には相談する。ホテル側の協力が必要になったら、実家との連絡をお前に頼むことはできるか?』  サトルは優希のパートナーになる前から、俺の友人だ。だから俺が実家と疎遠になっていることも、その理由も知っている。 「おう大丈夫、任せて。ちょうど最近リョウとミドリに全部話したんだよ。だから実家とのやりとりで揉めたとしても問題無い。そもそも兄さんだけなら、何も問題は無いはずだから。心配いらねーよ」 『そうか、話したのか。……大丈夫だったのか?』 「おう。びっくりするくらい理解のある子達でね。父さんは泣いて喜びましたよ」  俺がおどけると、サトルの声が楽しそうに弾んだ。『そうか。さすがお前たちの子だな。あ、なんか複雑』と言って笑った。  そして、しばらく話した後に、この旅行が連休中の話だということを思い出した。そこで、俺は失礼を承知で一つお願いをすることにした。 「なあサトル。リョウとミドリも一緒に連れて行ってやってくんない? 現地に着いてからはほっといていいからさ。移動だけ面倒見てあげてよ。俺はずっと店に出るから、付き添えなくて。でもリョウは連休中に旅行に行ったことがないからちょっと心配なんだよ。頼む!」  サトルと優希は、結婚式直前に刺された新郎と直後に毒殺されそうになった新郎だ。しかもまだ犯人は捕まっておらず、危険を承知の上での旅行でもある。そして、これまでずっと研究所の監視下にいた。  ようやく得られた自由を、俺の身勝手な願いで奪うのは忍びない。それでも、頼れる人は二人しかいなかった。    サトルからも『お前な……やっと二人で過ごせる自由な時間に何を言うんだ』と一瞬呆れられた。ただその声には少しも迷惑そうな気配は感じられなかった。 『俺たちも外を出歩くわけにはいかないから、どうせホテルの建物内で過ごすことになるしな。それでよければいいぞ。お前の世話にもなるわけだし』  ただし、「現地に着いてからはノータッチ」ということはしっかりと条件に入れられた。  厚かましいとは承知の上で、どうしても一度見守りの上で経験を積ませたかった俺は、サトルと約束を取り付けて通話を終了した。そしてそのことをリョウとミドリに話すことにした。  しかし、それを聞いたミドリの剣幕に、俺は自分の浅はかさを痛感させられてしまう。 「ちょっと、なんでそんなことが言えるんですかー! やっと二人で出歩けるようになったのに、邪魔するなんて出来ませんよ! 本当信じられない!」 「自分に置き換えて考えてみてよ」と繰り返し言っているが、俺は笑う事しか出来なかった。俺にはミドリが怒っている理由が理解できない。  好きだという気持ちが限定的でない俺には、二人きりでいたいという気持ちがあまり良くわからない。この世の全ての人が、同様に大切だと思っているくらいだ。  突出して好きな人がいることはわかっても、それよりやや劣る好きはたくさんあって、それが混ざることに問題があると思えない。ただ、自分が常識からは外れたことを言っているということは理解している。  それでもどう説明すればミドリに伝わるのがわからずに困っていると、リョウが助け舟を出してくれた。 「(あお)、きっと葵さんには何か思うところがあるんだろう。確かにちょっと無神経な提案だけど、サトルさんたちがいいって言うなら乗っかってみようよ。俺、(あお)と旅行したいし」  リョウはそう言いながら、ミドリの髪を掬った。ミドリの髪は短いので、掬うとすぐ肌に手が触れる。思いもよらないリョウの接触に、ミドリは激しく動揺していた。 「え!? う、うん。リョウがいいならいいけど……。だってアレだよ。つまり、二人で泊まりだよ? わかってて言ってる?」  少し照れくさそうに視線を下に落としながら、ミドリはリョウに確認した。ただ、あまり深く考えずに口にしてしまったようで、その言葉の意味に気がついた時には既に遅かった。  リョウの顔を見ると、視線を逸らして頬を赤らめていた。ただ、その目の中には静かな決意を宿していた。 「わかってるよ、もちろん。それでも、俺は(あお)と行きたい」  リョウの返事を聞くなり、ミドリの顔に一気に血が巡った。芽生えた感情に狼狽えているのが側から見ても良くわかる。    この旅行に行くと、二人の関係性は明らかに変わる。あまり早急な変化を求めるのは良くないのだろうけれど、二人にはお互いに絶対の見方がいるという実感が得られる状態の方がいいと俺は思っている。 「私もその気持ちはあるんだけど……明日まで返事待ってくれない?」 「うん。もちろん。しっかり考えて」  リョウが優しく返事をすると、ミドリがパッと顔を上げて嬉しそうに微笑んだ。リョウは相手のペースを尊重してくれる。ミドリがリョウを好いているのは、何よりもその点にある。 ——二人が小さい頃に出会ってて、本当に良かった。    この二人を見ていると、運命という言葉がピッタリだと良く思う。それはなんとなく俺にも憧れのあるものだった。  そんな風に二人を見ていると、ふとリョウの背後に一人のお客様の姿があることに気がついた。 「いらっしゃいませ。どうぞ」  バックヤードのドアの隙間から見えていた男性客を、カウンターへと促した。その男性はスラリと背が高く、艶のある黒髪のコンマヘアで、細身の体にハリのある素材のゆったりしたスプリングコートを着ていた。  そこにいるだけでかなり目立つ、モデルのような出立ちだった。夕暮れでやや暗くなっていたが、濃いいろのサングラスをかけていた。耳元には、一対のダイヤモンドのピアスが光っている。ここのお客さんにしては、モードすぎる印象だった。 「あれ? あの人どこかであったことがあるような気がする……芸能人?」 「うわ、あんなかっこいい人初めて見たかも」  バックヤードに残した二人がドアに隠れてコソコソ話しているのが、ほんの少しだが聞こえてしまっていた。失礼になってはいけないからと嗜めようとしたのだが、時計を見るともう二人は上がりの時間になっていた。  もうこのまま上がってもらって先に帰らせることにしようと思い、ドアを開けて声をかけた。 「リョウ、ミドリ、今日はもう上がっていいぞ。お前たち明日からキャンプだろ? もうすぐ終業だし、先に帰ってて」  ミドリは目の前の既視感のあるお客様が気になっていた様子だったけれども、帰って準備をしないといけないからと言って帰る準備をした。 「わかりました。じゃあ、よろしくお願いします」  二人はそう言って、控え室へ戻って行った。  俺はカウンターに戻ると、そのモデルのようなお客様から注文をとり、カフェラテを淹れ始めた。深煎りのコーヒーの香りをミルクの甘い香りが追いかける。銘々皿にクッキーを二枚添えて、ラテと一緒に小さなトレーに載せて提供した。 「ごゆっくりどうぞ」  男性客は、コーヒーを受け取りカップを持ち上げると、サングラス越しに俺をじっと見つめていた。視線を感じたので、少しだけ顔を向けてその様子を確認していると、言いにくそうに声をかけてきた。 「あの……実は待ち合わせをしてるんですけど、相手が遅れるそうなんです。カフェタイムはもうすぐ終了ですよね? バータイムの準備時間もここで待っていてもいいですか? 私はこの辺りに詳しくなくて、移動したら相手に会えないかもしれなくて」 ——妙なことを頼むな。  やや警戒心が生まれた。初めて訪れた店で、しかも一旦閉店するのがわかっていながらそんなことを頼むだろうか。たとえ不案内な土地であったとしても、今なら地図アプリでどうにでもなるだろう。  それに、この男はそこまで機械音痴というわけでもなさそうだ。今だってスマホやタブレットで何かをしているところだった。 「連れはバータイムの方では常連なんだ。」  その言葉を聞いて、俺は考えを変えた。俺が知らなくてもオールソーツの常連なのだとしたら、無碍にするわけにもいかない。 「そうですか。それはありがとうございます。失礼ですが、お連れ様のお名前をお聞きしてもよろしいですか?」  失礼だとは思ったのだが、どうしてもここで待ちたいのであれば、素性を明らかにしておきたい。トラブル続きで警戒心が高まっていてもそれは仕方が無いと思うことにした。  そのためにも、待ち合わせの相手が誰なのかが分かればいい。この男が誰かわからなくても、相手の名前を聞けば信用に足るかもしれないと思ったのだ。 「吉良燁さんです」  少々お待ちくださいと言い残し、バータイムの日誌で吉良という名前を探した。吉良燁。 ——あった。確かに載っている。  それならば、追い返すのはやりすぎかもしれないなと思い、そのままカウンターで過ごしてもらうことにした。バータイムの準備時間まで、あと三十分。もうすぐ姉が出勤してくる。 「お疲れ様でーす。お、葵じゃーん。何やってんの? もうカフェタイムのスタッフみんな帰ってるのに。締め作業でなんか手間取ってる?」  能天気な声を上げながら、沙枝姉さんがやって来た。 「姉さん。店で会うのは久しぶりだね」  後藤さんともあまり会っていなかったけれど、沙枝姉さんとは同じ店の責任者同士という事で、店で会うことは本当に少ない。ここで顔を合わせたのは、かなり久しぶりだった。  カウンター下の人から見えない位置で、指先だけを一瞬きゅっと繋ぎあった。  バータイムのオープン作業は数名のスタッフが関わるため、姉さんは余程のことがない限り電話番をしている。今日はスタッフと一緒に掃除をする予定だったらしい。 「バータイム順調? あ、ちょっと前に出勤早めてもらったりしてたよね。ありがとね。引き継ぎがあって姉さんを待ってたんだ」  姉さんは俺の方をチラリと見ながら、レジ周りを拭き始めた。 「引き継ぎ? 何かあったの?」 「実はあのお客様が、待ち合わせの方をカフェとバーの時間跨いで待ちたいって言われてて。素性を知らないなら断ろうかと思ったけど、お相手の方がバーの常連さんでさ。姉さんに確認してもらおうかと思って。あの方、知ってる?」  俺に促されて、姉さんはカウンターの奥の方に座っている男を見た。しかし、反応はイマイチで、首を捻っている。 「吉良様のお連れの方みたいなんだよね」 「燁さんの? 新しい恋人かなあ。最近良くご一緒される方って、プラチナブロンドのボブくらい長い髪をしていたはず。でも髪型なら短期間でも変えられるからなあ」  姉さんはそう言いながらスタスタと男性客の方へと近づいていった。 「いらっしゃいませ。吉良様とお待ちあわせの方ですよね? 確認のためお名前いただいてもよろしいですか?」  怯むことなく堂々とやってきて、否応なしに笑顔を突きつけるのはさすが姉さんだと思った。件の男性客はにっこりと微笑むと「鈴井玲央です。お久しぶりですね、沙枝さん」と答えた。  姉さんの名前を間違えなかったと言うことは、やはり髪型を変えただけなのだろうか。 「鈴井様、吉良様がお越しになるお時間は伺ってらっしゃいますか?」  玲央と名乗った男性客は、スマホを見ながら答えた。 「あと三十分くらいだそうです」 「そうですか。では、準備でバタバタしておりますが、それでよろしければ、こちらでお待ちください。何か飲まれますか?」  沙枝はバータイムのメニューを取り出して玲央に尋ねた。玲央は微笑んだまま、 「燁さん、先にお酒を飲むと怒るから。コーヒー飲みながら待ちます」と答えた。そして、ブレンドのおかわりを葵に頼んだ。 「畏まりました。では、ごゆっくり」  そして、姉さんはカウンターに入ると、レジ周りの清掃を再開した。 「葵、このままお待ちいただいて大丈夫だから、あんたは帰りなさい。リョウの晩ごはん作るんでしょ? 見てよ、今日の特売!」  そう言いながら、スマホをスッと差し出してきた。その画面を見て、俺は肝が冷えた。しかし、その文面を最後まで読むと、その指示通りにした。 「え!? これはびっくり。後藤さんにも連絡しておくよ」  そう言うと、バタバタと帰宅準備をして、帰って行った。

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