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第19話 佐野家にて
◇◇◇
「ただいま」
誰もいない暗い玄関に明かりをつけながら、後ろ手にドアを閉める。外はもう真っ暗になっているのに、部屋の中には人の気配は無い。母はまた出かけているようだ。
いつもはあまり気になら無いこの静寂も、今日は少し物悲しく感じる。今日は明日の朝に慌てなくて済むように早めに寝ることにしているため、隣には寄らなかった。そうすると必然的に一人になる時間が長くなってしまうため、孤独の色も濃くなってしまう。
「やっぱりもう少し一緒にいれば良かったかな」
準備があるから早く寝なくてはいけない。私は計画性を持って行動したいタイプなので、結局はそちらを優先させた。でも本当は、明日があるからこそリョウともっと一緒にいたかった。
明日のキャンプは、女子と男子で宿泊棟が違う。そのため、リョウとはおそらくほぼ顔を合わせることはないだろう。
クラスも違うので、期間中はおそらく話すこともすらままならないはずだ。
どうにかして会うようにしていないと、帰って来るまでずっと話せないだろうと思っている。だから本当は、あまり行きたいとは思っていない。
クラスメイトたちと仲良くなりたいし、友達も欲しい。でも親から愛されてこなかった自分は、やはり友達とは感覚が少しずれていることが多い。そのずれをやり過ごすためには、一人では辛すぎるのだ。
帰宅したらいつも誰もいない、朝起きても誰もいない、そんな生活しかしたことがない自分と、親が干渉してきてウザイと悩むみんなとは、決定的に話が合わない。
丸一日そんなズレの中にいなくてはならないことが、今から怖くてたまらない。自分の部屋にたどり着き、ベッドに腰掛けたまま身動きが取れなくなってしまった。
「……休んでどこか行っちゃおうかなあ」
ただし、これから先の人生を考えると、私にはサボるということも出来そうにない。大学に行くときに、内申が大きく関わるかも知れないからだ。
念には念を入れて準備をしておく。それが私の生き方だ。だからどれほど嫌でも、明日は行かなければならない。ため息をつきながら準備をしようとした。
ちょうどその時、スマホが震えていることに気がついた。ディスプレイにはリョウの名前が表示されている。私はすぐに緑色の受話器のマークをタップした。
「はい? どうしたの?」
普段のリョウであれば、電話をするくらいなら即うちにやって来るはずだ。急がないのであれば、メッセージが送られてくる。通話の表示を見ることなんて珍しいなと思い、少々浮かれた。
しかし、それとは対照的にリョウはなんとなく声に緊張を孕んでいた。切迫した思いを声の震えが物語っていた。
「碧 ! 今すぐうちに来て。あ、いや、迎えに行くから明日持っていくものを今すぐ準備して。制服も持って来て。十秒後ね!」
ブツっと電話を切られ、呆然としていると、ピンポーンとインターホンが鳴った。
——十秒後ねって言ったくせに……。
一秒も経っていないように思いブツブツと独言たが、相手がリョウなので嬉しくなった。
——どうかしたのかな?
そう思いながらベッドから立ち上がり、パタパタとスリッパを鳴らしながらドアへと駆け寄った。そして、そのままサムターンを回した。
「ねえ、今の何……」
今電話で話したばかりだった。だからリョウだと思ってしまった。私はドアスコープを覗かずに、躊躇いなくドアをガチャっと開けた。
ドアと玄関口の隙間から、ぬっと長い手が伸びてきた。
廊下の明かりに照らされて逆光で顔が見えないが、私よりも随分と背の高い人が立っていた。手の感じからして、男だろう。
男が動いた時、キラッと大きな光が耳元に見えた。その光を目にした途端、私は激しい頭痛に見舞われた。
男は、そうして怯んだ私の口を塞ぐと、家の中にぐいっと押し込んだ。
——なにこれ!?
そう思った瞬間に、クラっと頭が揺れた。そのまま視界が乱れる。力が抜けて、体がふうっと後ろに倒れていくのがわかった。そして、倒れる衝撃を感じるより早く、バタンとドアが閉められる音が聞こえた。
「碧 ! 開けて!」
リョウの叫びと、ドンドンとドアを叩く音が聞こえた。
「碧 ! あおっ! 開けて!」
——リョウ……。
だんだんとその声と音は遠くに消えていく。なんだろう、よくテレビで見るやつかな……名前なんだっけ? と考える間に、私は体のコントロールを失った。ズルッとそのまま下に崩れ落ち、床に倒れた。
——助けて。
暗闇には男が一人。そして、それより少し離れた場所に、女がいるのが見えた。
◇◇◇
「あおっ! ねえ、あおいっ! 開けて! 誰か!」
ドンドンとドアを叩きながら、俺は叫び続けた。どれくらい時間が経ったんだろうか。どれほど叫んでも、誰も来てくれない。運悪く、この階には今日は人がいないようだった。
ここはフロア毎に防音されていて、廊下で騒いでいても他の階には影響が無いようになっている。俺がいくら叫んでも、誰もそれに気がついてくれない。
——どうしよう……どこか他の家に助けを求めるべきか……警察に電話するか……。
選択肢は色々浮かぶのに、どれにも決めきれずにいた。警察に電話をしているのを、中にいるヤツに聞かれるとまずいかも知れないし……結局何も出来ず、ただドアを叩いて碧の名を呼び続けた。
そこへ、葵さんが息を切らして帰って来た。
「リョウ!」
葵さんの姿を見つけた俺は、ボロボロと涙を流しながら叫んだ。握った拳からは、血が滲んでいた。
「葵さん! 碧 んちに知らない男が入って行った。俺と間違えたみたいで、確認せずにドア開けちゃって…… 碧 何かされたみたいで、崩れるみたいに倒れる音がしたんだよ。ドスンって。それから何も反応が無い。どうしよう、葵さん! 俺が変な電話なんかかけたから……そのまま行けばよかった!」
葵さんは俺のそばまで駆けつけると、両手を掴んでドアから引き剥がした。俺はそのドアから離れるのが嫌で、「離して! 碧 !」と叫びながらジタバタと暴れ回った。
「リョウ、ごめんな、俺がお前に連絡したのがいけなかった。とにかく、落ち着け。それ以上ドアを叩くな。手が血まみれだぞ!」
沙枝姉さんが見せてくれた『今日の特売』の画面には、『鈴井玲央はこの男じゃない。全員警戒させた方がいい』というテキストが表示されていた。その警告をリョウに知らせたのは、俺だ。
ここ最近のことを考えると、細かい理屈を考えるよりも警戒させようと思うのは自然だろう。しかし、どうやらそれが逆効果になったようだ。もしかしたら向こうの思うツボだったのかも知れない。
姉さんにメールを送り、警察へ通報してもらった。それでも、このまま大人しくその到着を待つことは出来そうにない。ドアの向こうで、ミドリが一体どういう状況に追い込まれているのかがわからない。
目撃したリョウが説明するための冷静さを保てないため、冷静に状況を判断することもままならなかった。
「この家の鍵は、俺が佐野さんから預かってるから」
俺はバッグの底に隠したキーケースを取り出し、佐野家のドアの鍵を開けた。ガチャっと音がした瞬間にリョウはノブを回して中へと飛び込んだ。ミドリが帰宅しているはずなのに、家の中は真っ暗だった。
「いくぞ、リョウ。お前がミドリを助けろよ!」
俺はリョウの背中をひと張りした。廊下の先の玄関からリビングに向かうドアが開いているようで、外の灯りが漏れ入っていた。視界がきくのであればと思い、そちらへ先に行くことにした。
目を凝らして先へ進む。何が起こるのかわからないという不安と恐怖が、肌にベッタリと張り付くようだった。しかしそれよりも、ミドリの無事が確認出来ないということ自体が、俺たちにはとても怖かった。
——あいつが無事であればそれでいい。他のことは後で考えればいい。
そう思って進むのにミドリはいない。視界が効かずに探すスピードが上げられず、焦りだけが深まっていった。
「碧 、碧 ……どこ!?」
ブレーカーが落とされているのか、電気は点けられない。スマホのライトを頼りに進むしかなかった。
ただ、ここは葵の所有する物件なので、大体の部屋の状態は想像がつく。そしてリョウはこの部屋に五年間通っている。二人でいれば、おおよその視界は補完できそうだ。
そうこうしているうちに、目が暗闇に慣れてきた。二人は今、リビングにいる。見渡す限り、人影はない。
玄関から右に一部屋、正面にトイレ、バスルーム、洗面脱衣所があり、左手のドアの先がリビングとダイニング、その奥にキッチンがある。
そしてこの家にはキッチンの横からもう一つ短い廊下があり、その突き当たりにもう一部屋ある。
ミドリがいるであろう場所は、玄関から右に行った彼女の自室か、この家の最も左奥にあたる、母親の部屋だろう。戻って二手に分かれるかなと考えていると、後方から僅かに衣擦れの音がした。
「誰だ!?」
リョウは周りのものを薙ぎ倒しながら、音がした玄関近くまで戻って行った。ドアの近くで、そこにいた人物の腕を掴んだ。
「おい! 待てお前!」
掴んだ腕をぐいっと引き寄せて、肩を掴んだ。
「きゃー! 痛い痛い! やめてよ、リョウくん! 私よ!」
「なんで俺の名前……」
名前を呼ばれた驚いたリョウは、相手を確認するためにスマホのライトで照らした。
「やだ! やめて!」
眩しそうに目をきつく閉じながら顔を逸らしたのは、なんとミドリの母の愛美さんだった。
「え!? 佐野さん? いたんですか?」
「いるわよー! どうしたのよ二人とも……。いきなりブレーカー落ちちゃったみたいなのー。どうして入ってきたの? 確かに鍵は預けてるけれど、何も無いのに入ってきちゃイヤよ」
俺とリョウは驚いたのと同時に呆気に取られてしまい、うまく返事ができずにいた。二人で顔を見合わせて、今起きている出来事に思考をついていかせようと必死になった。
「碧 は!? あの男は!? どこにいるんですか? 変な男が入って来ませんでした?」
リョウは自分が訊かれたことには一切答えずに、ミドリの身の安全の確認を急いだ。
「あの倒れ方は、あの音は、普通じゃ無かったんです! 部屋にいますか?」
「え? 碧 、帰って来てるのー? じゃあ碧 何かしたのかなー……私はブレーカーを見にこっちに来たのー。私たち、普段家で話すことほとんど無いからー。帰ってきても知らないことが多いのよねー。碧 の部屋、見てみるー?」
そう言って、玄関ドアの上部にある分電盤のカバーを開け、ブレーカーを上げた。視界が確保されたことで、改めて室内を見渡した。
佐野さんは長い髪を下ろしていて、顔全体がほぼ隠れるような状態になっていた。ふわふわとしたネグリジェを着ていて、かなり酒に酔っているようだ。
フラフラした足取りでミドリの部屋に近づくと、ノックもなしにドアを開けた。そして何故かそこに立ち止まったまま、娘の名前を呼んでいる。
「あおいー。帰ってるー?」
後ろをついて行っていたリョウは、あまりにものんびりしている佐野さんにイラついたようだ。ドンっと彼女の肩を押して、部屋の中に入っていった。そして、何かを見つけたのか、すぐに立ち止まってしまった。
「あお! なに!? どうして……」
「リョウ、どうし……」
俺も言葉を失ってしまった。三人で部屋の入り口に立ち尽くしてしまう。それは、咄嗟に何をしたらいいのかもわからなくなってしまうほどに衝撃的な光景だった。
「ミドリ……」
ミドリは床に倒れていた。毛足のながい、抹茶色のカーペット。リョウが牧場みたいだといつも言っているそのカーペットに、ミドリはうつ伏せになって倒れていた。けがはしていないようだけれど、全く起きる気配がない。
そして、ミドリの隣には一人の男が横向きに倒れていた。
男はプラチナブロンドのミドルヘアで、大きなダイヤのピアスをしている。妖艶でスッと通った鼻筋の美しい顔をしている。その男の胸には、深々とナイフが突き立てられていた。
そこから溢れた赤いものが白いスーツと鶯色のカーペットに広がって、大輪の花が描かれているようなしみを作っていた。
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