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第20話 変わる日々

「通報された方はどなたですか?」  怒り心頭と言わんばかりの顔をして、警察官が詰め寄ってきた。ミドリに何が起きているのかがわからず、どんな人間が押し入ったのかもわからない状況だったため、オールソーツから警察に連絡を入れてもらった。 「すみません、通報者はここにはいませんが、通報を頼んだのは私です」  俺が前に進み出て事のあらましを説明する。その傍で、もう一人の警察官が倒れている鈴井を叩き起こしていた。  大量の血を流して倒れていたと思われていた鈴井は、胸に血のりの入ったバッグを刺してあたかも刺されたように演出し、ミドリの部屋を汚していただけに過ぎなかった。  しかもこれが酔って起こした茶番だということが分かり、俺たちは駆けつけた警官にこっぴどく叱られていた。かなり手の込んだイタズラだったため、厳重注意を受けている。  俺とリョウは、目の前でむくりと起き上がった鈴井から、かなりキツイ酒の匂いがすることについさっき気がついた。そんなことに気がつくこともできないほど、焦っていたのだろう。事態が理解できてからも、怒ることが出来ずに放心するしか無かった。 「すみません。愛美さんを驚かそうと思っただけなんです。ドアを開けたのが娘さんだと気づきませんでした」  ミドリが嗅がされていたのは、ハンカチに染み込ませたウォッカだった。酒に弱い未成年だったため、そのまま倒れ眠り込んでしまったらしい。警察が駆けつけた後に部屋が騒がしくなったことで、すぐに目を覚ました。    色々とタイミングが悪かったと言ってしまえばそれまでのことだった。大人のいたずらに巻き込まれた子供と隣人一名。解決したのは、深夜だった。  リョウとミドリは明日の学校行事に平然と参加出来るような状態ではなく、事情を話して休ませてもらうことになった。  佐野さんは鈴井が事情を聞かれている途中で警察官に手を挙げてしまい、連れていかれてしまった。そのため、二人分の欠席連絡を明朝俺からすることになった。  目を覚ました途端にトラブルに巻き込まれたことを知ったミドリは、頭を抱えて塞ぎ込んでしまった。 「(あお)……」  リョウはミドリの隣に座り、背中を摩った。佐野さんと鈴井が警察に連れていかれた後に、目に涙をいっぱいにためて俺とリョウを見つめた。そして徐に頭を下げると、その涙をポロポロと溢しながら謝罪を始めた。 「葵さん、リョウ、ほんっとうにごめんなさい。なんなんだろう、あの人……私、あの人の娘でいることが本当に嫌になりました。どうして私の親はあんななの? もう縁を切りたい……耐えられない!」  悪酔いと寝不足と低血圧で、ミドリの顔は青白くなっている。リョウが渡した水を手に持ったまま、ブルブルと震えていた。本人は何も悪くないのに、ここ最近はトラブルが立て続いている。  ただ、ミドリにとってはこういうことが初めてというわけでも無い。母の愛美は子供のような人で、恋人といざこざを起こしてはミドリに迷惑をかけ続けている。 「麻痺してしまえばいいのに、なかなかそうもならない。苦しさばっかり感じるんですよ。どうにかして人生に希望を持とうとしても、結局いつも全部お母さんに潰されていく。もういやだ。血が繋がってるって考えるだけで吐き気がする!」  ミドリは話せば話すほどに嫌悪感と憎悪に思考を支配されつつあった。俺はそんなミドリをぐいっと引き寄せて抱きしめた。そして、いつものように背中に手のひらをあて、熱を感じさせた後に軽くトントンと叩いた。 「よくない思いに飲まれんなよー。お前はあの人のおまけじゃない。引き摺り込まれて道を間違えるな。お前はお前の人生を生きろ。血なんて関係ねーよ。心配するな、俺がいる」  そして、リョウの腕を引いてこちらへ引き寄せると、ミドリとは逆の手でその肩をぎゅっと抱いた。そして、三人の顔を近づけた。ミドリはボロボロと涙を零し、服も顔も涙でぐちゃぐちゃにしていた。 「お前が生きる道には、俺、リョウ、オールソーツのメンツ、それだけいれば十分だろ? その土台でお前を支えてやるから、そこから自由に進んで行け。戻りたくなったら、戻ってくればいい。どこまででも、みんなで支えてやるから。何があってもだ。俺たちにはそれが出来る準備がある。それってほぼ家族だろ?」  ミドリはブンブンと被りを振って「違うよ! だっていつも私は目が覚めた時は一人。リョウは違うけど、私は誰もいないの!」  今ミドリと話をしているのが優希だったら、そこまで疑わないかもしれない。でも俺はスタートが違う。優希が交代要員を探していて、たまたま都合が良かっただけだとミドリは思っている。それに、最近誤解をといたとはいえずっと同居を拒否されていたと思っていたことも大きい。  少しでも不安を払拭したいミドリは、俺にしがみついて叫んだ。 「それなら一緒に暮らしてよ! 私をいらないと思っている人と一緒に暮らすのはもう嫌だ!」  ミドリの父親は彼女を置いて出ていった。母親は一緒に住んでいるけれど、彼女には見向きもせずに、毎夜いろんな男と飲み歩いてばかりいる。今はそんな家族でも、最初は仲が良かったことが余計にミドリを不安にさせる。  五歳まではとても仲良く過ごしていた。幸せな家庭で育っていた。それがこんなにも壊れてしまったのだから、誰かの言う「ずっと家族同然」が信用出来ない。  佐野さんは、今も警察に「何が悪いのよ」と言っているらしい。鈴井がしたことでどれだけの人に迷惑をかけたのか、彼女にはそれが理解できない。  鈴井という自分の恋人がふざけてしたことで、娘が迷惑を被っているのに全く心を痛めていない様子だった。ミドリを最も傷つけたのは、それだろう。 「もう何も感じないと思っていたのに、また傷ついてしまった。こうやって、これからもずっと、私の気持ちは無視され続けるのかと思うとたまらないんです」  俺の服を握りしめて泣くミドリの隣で、リョウが静かに涙を流していた。その顔には、無力感に苛まれている胸の内が浮かんでいた。今のリョウにはミドリが一番望むことを叶えてあげられるだけの力がない。それがリョウを苦しめている。 ——どちらも助けられて、俺の生活にも都合のいい方法……。  以前とは違い、同居の妨げになるものは減りつつあった。最後に残っている大きな問題の状況を確認することで、踏み切ってもいいかもしれない。 「よし、もう同居するか。今なら佐野さんも反対する理由が無いだろうし」 「本当ですか? 嘘じゃない? 信じていい?」 「うん、いいよ。お前には親がいるから後見人じゃなくて、ただの同居人ってことになるけどな。それと、一つ確認しておきたいことがある。その答えによるから、聞かせてくれ」  ミドリは五年かけてようやく叶いそうな俺との同居で浮かれているのか、「はい! なんでも答えます!」と元気に答えてくれた。さっきまでとはまるで別人のように、明るい表情で俺を見ている。そして、今度は俺が視線を落とすことになった。これまで怖くて面と向かって聞けなかったことを、はっきりと聞いておかなくてはならない。 「ミドリ、お前俺がポリアモリーだって話はリョウから聞いたよな?」  少しヘラヘラしていたミドリは、表情を引き締めると「はい。聞きました」と答えた。そして、やや距離を詰めつつ、「遊び人のお母さんは嫌いですけれど、愛し合っているポリアモリーは違います。しかも、綺麗に形成されたトライアングルなんでしょう? そんなの運命としか思えなくて、むしろ憧れますよ! 三人で添い遂げる誓いもしてるんでしょう? 素敵じゃないですか!」  モノガミーのミドリから、ポリアモリーに対して「憧れる」と言われるとは思っていなかった。俺たちだって、これから先も三人でとは言っていても、性質上それが守り切れるかどうかはわからない。  もしかしたら、また好きな人が増える可能性だってある。それでも、変化が起きるたびに話し合い、尊重し合うという誓いは立てている。それは、最初に三人でスタートした日に決めたことだった。 「じゃあ、俺が後藤さんと姉さんと三人でセックスしてても平気か? 俺たちそういう関係だぞ? 気持ち悪くないか?」  俺の質問にミドリは大爆笑をした。俺は驚いてしまって呆けていると、ミドリがリョウの首に腕を絡ませて唇を合わせた。 「ええっ!? 何、お前、やめろよ俺の目の前で……」 「でしょ? そう思いますよね。私とリョウはストレートのヘテロですけど、見たくないでしょ? そんなもんですよ」と大きな声で言い切った。 「ねえ、葵さん。逆に俺たちがするのってどう思います? 気持ち悪くはなかったとしても、今みたいに見たくはないでしょう? それと同じじゃないですか? 自分の恋人以外の性癖なんてどうでもいいですよ。お互いが幸せならね。俺もミドリもそう思うんです」  それは衝撃的な言葉だった。目の前で見せられた二人のキスシーンは、確かに見たくはないものだった。汚いからとか変だからと言う意味でなく、二人の性的な部分を俺が見たくないと思っているからそう思う。本当にただそれだけの話だと、痛烈に実感させられた。  リョウとミドリは、俺たちの関係もそれと同じだと言う。俺たちがマイノリティで異常だから見たくないのではなく、近い存在の性的なものは見たくない、ただそれだけだと。 「そんなに理解があるのか、お前たち。すごいな……」  こんなに簡単に受け入れられたことが無い俺にとっては、信じられない話だった。さっきのミドリと立場が逆転したようだ。 「別に私の目の前でエッチしたりしないでしょう? だったら、誰と付き合っていようがご自由にどうぞ。そんなことで嫌いになったりしませんから」  俺はいつの間にか泣いていて、ミドリの言葉をまるで心地いい音楽のように感じていた。それに包まれていると真綿で包まれるような安心感が生まれていく。 ——リョウが支えてくれたかと思えば、今度はミドリか。大きくなったんだな。  胸の中がじんわりと温かくなっていく。たくさん辛い思いをして何度も泣いた二人は、俺たちを受け入れる度量を持っていた。その過去が過酷であったから、それがいいとは言いたくはない。それでも、あの懐の深さが得られていることには俺は感謝を示したい。  二人がこの年齢になったことでしか得られない理解かもしれないとも思った。自分たちが思春期に入ったことで、恋人を大切にするという気持ちの理解が深まったからこそ、こういう話が出来るようになったのかもしれない。  そう考えると、ここまで無事に育ってくれて本当に良かったと思えた。 「お前がそこまで平気だって言うなら、もう今すぐに荷物持ってうちに来い。同居の妨げになるものは、もう何も無いよ」  それを聞いてミドリの顔がパアッと明るくなった。そしてこの機を逃すまいと、俺とリョウからパッと離れ、キャンプ用に用意していたバッグを掴んだ。 「本当にいいの? じゃあとりあえずすぐ要るものを詰めて持っていきます!」  さっきまでこの世の終わりのように泣いていたとは思えない笑顔で、ミドリは荷物を詰め始めた。俺はリョウにミドリを手伝うように言うと、先に一人で家へと戻ることにした。  自宅に戻り、玄関のドアを閉めた。そのまま恋人二人にメッセージを送る。姉さんと後藤さんからメッセーが返ってきた。 ——鈴井の件は、謎が残ったままだ。  佐野さんとミドリの件で忘れそうになっていたけれど、その件だけはクリアにしていかないといけない。  店に来た鈴井玲央は偽物だった。待ち合わせをしていた吉良燁は、結局店には現れなかったらしい。ではあの男は一体何をしに店に来たのだろうか。俺も姉さんも知らなかったということは、店を訪れたのは今日が初めてであることには間違いがない。   「あの男が吉良燁に約束をすっぽかされただけならいいんだけどな……」  自分たちの周辺で起きていることで、解決したのは今日の殺されたふりの騒動と高橋さんが行方不明だった件だけだ。相変わらずサトルを刺した犯人と優希を襲った犯人が誰かはわかっていない。 「むしろ同居した方がいいタイミングだったってことだろうな」  見える範囲で守ってやれることを前向きに捉えることにした。そして、後藤さんからのメッセージを見てさらに安心する。 「……俺たちも再スタートだな」  最上階の三部屋に書いてある借主の名前を記載したシート。そこには「後藤、市木、佐野」とある。それを「市木、市木、佐野」へと書き換えた。 『三人暮らしの部屋、確保出来ました。俺たちも、これからはずっと一緒です。後藤さん、小さなお子さんがいるのに移動に同意してくれたお姉さんにお礼を言っておいてくださいね。一つ下の角部屋を用意してます。いつでも引越し可能です』  そのメッセージを送った後に、ミドリがリョウに連れられて、うちにやってきた。 「よろしくお願いします!」  その声の大きさにかき消され、スマホが振動したことに気が付かなかった。その時、ディスプレイにはこう表示されていた。 『姉貴の子供はもう結婚して家を出たはずだぞ。小さな子供って誰のことだ?』

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