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第22話 不審人物
嗚咽を漏らしながらもなんとか説明しようとするミドリの腕を、やや乱暴に引き寄せてリョウがギュッと抱きしめた。
「もういいよ。それ以上言わないで」
胸に碧の顔を埋め、腕に力を込めて包み込んでいく。ミドリが自分の口からはく呪詛がその耳に届かないようにと、悲痛な思いをしているのが見えて、それが僕の胸を痛めた。
「自分の口からそんなこと言っちゃダメだよ」
ミドリはリョウの腕を掴んで握りしめた。そして、少なくとも僕はこれまで一度も聞いた事がないような大きな声で泣き叫び始めた。
自分を否定する言葉を自分の口から話さなければならないと言うことは、思っている以上に辛い。覚悟はしていたのだろうけれど、実際にそれを言葉にしてみると想像以上に痛かったのだろう。
僕とリョウには、それが自分のことのようにわかる。わかりたくも無いけれど、経験として知っている。だからミドリが泣いて叫んでその痛みを消せるのであれば、そうして欲しかった。
慰めると言うことすら攻撃になるだろう事がわかっているからこそ、僕たちはただそれを見守ることしかしなかった。
そして、僕が今日ここにやってきたのは、旅行の準備もさることながら、一つ確認しておきたいことがあったからだ。今この状態のミドリに聞くのは忍びないのだが、ここをクリアにしなくては何も解決しないのでは無いかと思っている。
「ミドリ」
僕は決して二人に触れない。そうすることで、これまでずっと事故を防いできた。普段ならこんなに近づくことはまず無い。それでも、そばによって声をかけないとミドリの耳に届きそうもないと思ったので、昔のように近づいて声をかけた。
「ごめんね、ミドリ。でも……もう一つだけ確認させて」
少し落ち着いて来たのか、ミドリは泣きじゃくりながらも僕の方を向いて、視線で先を促してくれた。波乱に満ちた人生を生きている彼女は、感情が爆発していても話をしっかり聞くだけの強さがある。
「……な、なんですか?」
今度は僕が泣きそうになっていた。きっとこれを確認すると、いろんな疑問がある程度クリアになって、スッキリはするだろう。ただ、それと引き換えにするものがとても大きい。僕はそれを受け止め切れる自信がまだ無い。
——それでも、サトルを傷つけられた以上はうやむやには出来ない。
目を閉じて口を真一文字に結ぶ。そして、覚悟を決めると、ゆっくりと口を開いた。
「ミドリ、鈴井玲央という人物は、実在するのかな。その人の話をお母さんから聞いたことはある?」
「……えっ?」
親の話をされるのかと思いきやあまりに違う方向からの質問であったこと、鈴井玲央という名前が僕の口から飛び出したことで、ミドリとリョウは驚いた。ただ驚いてお互いの目を見つめあって、何かを確認しあっている。
「え? それはどういう反応なのかな……」
僕は二人の反応がよくわからなくて困っていた。ただ、二人には共通した疑問が浮かんでいるようなのは確かだった。
「どういうことですか? どうして優希さんが鈴井玲央を知ってるんですか? あの人と会ったことがあるんですか?」
詰め寄って質問してくる二人を見て、やや優希は安堵した。ミドリのアイデンティティの否定は終わったようだ。それだけは、嬉しく思っておきたい。
だが、今はそれどころではない。やはりこの反応からすると、僕の心配は当たっているのかもしれないからだ。
「鈴井玲央は……吉良燁の小説『ブレイカー』の中の主人公だよ」
僕の説明を聞いて、リョウは首を捻った。
「あれ? 俺たちが知っている鈴井玲央とは違うのかな? 俺たちが知ってるのは実在する人のことですよ」
「……実在する? 鈴井玲央が? 会った事があるの?」
「鈴井玲央って、ミドリのお母さんの恋人の名前ですよ。ドラマの人と同じなんですね」
僕はそれを聞いて、絶望を感じずにはいられなかった。作中の人物が実在し、しかもそれが作者の恋人として存在する。ドクンドクンと心臓の音が強くなり、それが異様なほど耳に響いた。やはりおかしい。そんなことはあってはならないことだ。
——吉良先生……だからあんなに打ち切りを拒んでいたのか……。
僕は、自分の犯した過ちに気がついてしまった。長い付き合いであったにも関わらず、先生の心情を読みきれていなかったのだろう。簡単に打ち切りの話を切り出してはいけなかった。もしかしたら、今起きている問題は、全てそこから始まっているのかもしれない。
「ブレイカー……それって……」
「そう、ミドリのお母さんのロングヒットシリーズだよ」
「えっ!? そうなの? 恋人の名前を使ってるってこと?」
ミドリは記憶を探るように視線を動かすと、思い当たる事があったようでハッと目を見開いた。
「そうだ……鈴井玲央は、お母さんが最初からずっと書いている小説のヒーローの名前だ! 警察官なんだけど、特にやる気があるわけでもなく、時々事件を解決したりするけど、基本的には恋愛小説寄りの作品の、超イケメンって設定だった……優希さん、うちに来たお母さんの恋人も鈴井玲央なんです。長身、美貌、プラチナブロンドの長髪、大きなダイヤのピアス。お母さんが好きなビジュアルが詰め込まれた登場人物。これって、偶然なんですか? 見せびらかしたくて、自分の恋人を主人公に小説を書いてるんですか?」
「優希さん、確かミドリのお母さんの担当編集でしたよね。鈴井玲央には、会ったことがないんですか?」
恋人の名前が鈴井玲央で、その人を作中に入れ込んだ。そう考えるのが普通だろう。ただ、僕には一つ引っかかる点があった。鈴井玲央は、実在しない人物のはずなのだ。執筆開始当時、二人で名前を決めた日のことを、僕は今でもはっきりと覚えている。
『身近にいる人の名前を作中で使うと、キャラクターを自由に動かせなくなるから、出来ればそれはしたく無いのよね』
先生は確かにそう言っていた。それなのに、恋人なんていう身近な存在を主人公に据えるだろうか。でもどうして僕に嘘をついてまでそんなことをしたのだろう……ぐるぐると思考が巡り始め、表情が険しくなっていくのがわかった。
「優希さん、それともう一つ気になることがあるんですけど。鈴井玲央って多分二人います。オールソーツで会ったかっこいい人が鈴井玲央を名乗ってるって葵さんが言ってて、その人はうちに来ていた鈴井玲央は別人でした。見た目が……」
そんな話をしていると、葵がちょうど帰って来た。
「ただいまー。優希まだいるー?」
「いるよー。おかえりー」
葵が僕を呼ぶ声の穏やかさにつられて、一瞬でいつもの状態に戻ってしまった。ミドリ曰く「ふわふわ幼馴染コンビ」が揃ったのは、久しぶりだ。
僕たちは二人で支え合った期間が長いため、一緒にいると家族のような気持ちになる。たった今結構シリアスな話をしていたにも関わらず、葵の顔をみるとどうにも現実逃避したくて仕方なくなってしまった。
「優希、サトルが仕事終わったらここに迎えに来るって。でも今日遅くなるらしいんだよね。だから、最悪うちに泊めてやってくれないかって言われててさ。どうする?」
葵は、オールソーツからテイクアウトしてきた食事に、スープやサラダを作り足しながら、僕に尋ねた。
過去のことを考えると、夜の宿泊はリスクが高いかもしれない。迂闊に提案するのはよくないと踏んでくれている。どうしたいかは僕自身にに決めさせたいのだろう。
僕としてはその気遣いに感謝はするけれど、ここはしっかり自信を持って、サトルの信頼に応えたいと思った。
「サトルが提案してきたんでしょ? てことは、泊まっても大丈夫だと判断したんだろうね。もしどうしようもなくなったら、泊まろうかな」
僕のサトルへの絶対の信頼と、前へ進もうとする僕の気持ちを汲んでくれたのか、葵はとても嬉しそうに笑ってくれた。
「よし、じゃあサトルにそう伝えておいてくれよ。メシ食おうぜ」
「はーい」
リョウとミドリは、さっきまで話していたことなどすっかり忘れたかのように、楽しそうに料理を運んで行った。
◇◇◇
「お、楽しそうにしてんな」
葵に優希の夕飯を任せて、俺は今日分のデータの回収と分析を済ませ、日誌の記録をしているところだった。今日は所内で飲み会があるらしく、もうほとんどの研究員は帰宅している。
人気のなくなった所内は、しんと静まり返っている。普段からそううるさくなることはないのだが機械類も全て停止しているため、自分のたてる物音が普段よりも大きく響きわたっている。
タイピングの音だけが無機質な室内に鳴り、早めに終わらせて帰ろうとしていた。その集中しきっていた俺の背後から、急に「世理さん」と声をかけられた。
「うわっ!」
驚いてパッと振り返ると、そこには見慣れない男が一人立っていた。
「事務員 里井純」と記名のあるパスカードを身につけている。俺ほどではないが背が高く、驚くほど綺麗な肌をしている。顔立ちも美しく、黒髪が緩やかにウェーブしているコンマヘアで、耳元に大きなダイヤのピアスをしていた。
研究所の事務員の割には見目麗しく、しかもやや派手な印象を与えるその姿は、モデルやタレントのようだ。所長のお気に入りが一人採用されたと聞いていたが、この男だったのだろうとすぐにわかった。
あまりに美しい容姿にやや見惚れながら、俺はふと疑問に思った。ここは入室制限がある。なぜ事務員が研究員に気づかれずに入ることができたのだろうか。
「失礼、集中していたもので。事務の方ですね。どうやってここに入りました? ここは入室制限があって、担当研究員しか入ってはいけないようになってますよ」
やや警戒しながら俺が返答したことに気がついた里井は、それを解かせようとしたのか、にっこりと微笑んだ。
「すみません。休日の申請で不備があって。向井さんがちょうどいらっしゃったので、入れたいただきました」
——向井か……。
あいつも部外者なのに、仕事で出入りがあるうちに勝手に人を入れるようになったと聞いている。どうにもいい加減なところがある男だ。俺は以前からあの男が気に入らない。
——パスを取り上げるべきだな。本来なら契約を解除したいくらいだ。
VR技術くらいならもっといい業者がいるだろうに、なぜかずっと向井の会社と契約し続けている。うちの所長は何を考えているのだろうか。セキュリティ意識の低い業者を懇意にし続け、不要であろう事務員を雇用する。
ここは稀にみるホワイトな職場だったはずだのだが、最近はこれまでほとんど感じたことの無かった不満が増えてきた。そのほとんどに向井が関わっていることが多く、その名を聞いただけで一気に爆発しそうになった。
俺は明らかに不満げにしていたのだろう。里井はさっさと用事を済ませようと思ったのか、タブレットをずいっと俺の目の前に突き付けてきた。
「有給の申請の件でお聞きしたいのですが。申請理由が入力されていませんでしたので」
俺はおかしなことを言うなと訝しみながら答えた。
「……有給申請には理由は必要ないはずだが?」
しかし里井は一切表情を崩さず、むしろニコニコとした笑顔を貼り付けたまま話を先へ進めていく。
「世理さん、最近ご結婚されたそうですね。おめでとうございます。今回はご旅行だと伺ったのですが、新婚旅行ですか? それでしたらその旨を記載していただけると助かります」
——ああ、そういうことか。
ニコニコしながら話しているがこちらの話は聞かないし、不躾だ。そして、久しぶりに感じる、あからさまな悪意がそこにはあった。
まともにやり合ってはいけないと思い、里井の存在を無視しながらデスクを片付け続けた。バッグを手に持ち、腕時計で時間を確認する。
——まだ葵の家に優希を迎えに行っても大丈夫そうだな……。
一方、俺が反応しないのに気づきながらも、里井は平然とした様子でまだ嫌味を言い続けていた。
「結婚されますと、祝い金が出ますのでその申請もお願いします。お子様が生まれた際にも……あ、失礼。お子様は無理でしたね」
そう言って一瞬黙り込んだかと思うと、くすくすと楽しそうに笑い始めた。その嘲笑う様子は、さすがの俺にもカチンと来た。普段なら他人にどう言われてもどうでもいいと思うのだが、この時ばかりはタイミングが悪かった。
ガタッと椅子から立ち上がり、正面から里井に対峙した。そして、その嘲笑する目をまっすぐに睨みつけながら言った。
「そうだな。俺たちは男性同士の結婚なので、結婚祝金をもらうための申請も出来なければ、子供を授かることも出来ない。だから詳細の報告は必要無いと判断した。それが何か問題か?」
人に言われるよりはと、こちらから全て先に言ってしまった。自分は言葉にしても、大して傷つきはしない。ゲイであることに、後ろめたさを持たなくていい環境に恵まれていたからだ。
ここは閉鎖的であるが故に、何度か絡まれたことはあるが、それも長年勤めていくうちに薄れていった。仕事で結果を残している身であるのだから、それ以外のことでとやかく言われる筋合いはない。
「気持ち悪りぃ」
少しも動揺せず堂々とゲイカップルであることを宣言した俺に向かって、里井は吐き捨てるように呟いた。それを聞いて、俺は里井を相手にするのをやめた。そして、全ての準備が整うのを見届けると、荷物を持ってドアへと進んだ。
——あんな安い挑発に乗るわけがないだろう。
入室制限がされていることを知った上で、わざわざ嫌味を言いに来るわけがない。俺を狙っているのか、優希を狙っているのか、産業スパイの類いなのか。はっきりはわからないが、警戒しないといけない。
そのための手を打ってしまったら、あとはこんなやつにかまっている必要もない。
「では、お疲れ様でした」
嫌味なまでに爽やかな笑顔を残して、俺は研究所を後にした。
——疲れた時は、優希を抱きしめるに限る。
ドアを出てチラリと後方を確認した。
そこには、俺の後ろ姿を睨め付けながら不適な笑みを浮かべ、ダイヤのピアスを擦っている里井の姿が映っていた。
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