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第23話 敵か味方か

 エントランスを抜けて左に曲がり、そのまままっすぐ歩けばバス停がある。  研究所は市街地からも住宅地からも少し離れているため、交通の便が悪く、研究所周辺の人間しか使わないような路線バスに乗ることが多い。  タクシーに乗るのが一番早いが、今日は配車依頼をかける前に敷地を出たかったので、バスで帰ることにした。 「いつ見てもスカスカな時刻表だな」  俺は健康管理のためにわざわざ運動をする時間が嫌いで、普段は1km先の駅まで歩いている。その時間で考え事をするのが日課となっていて、普段はバスにも乗ることはそうそう無い。  久しぶりに見た時刻表のスカスカ具合に笑ってしまった。  終バスまで数分あり、待つ間に一度葵に連絡を入れようとスマホを手にした瞬間、背後にガサっと物音がした。 ——里井か?  警戒しつつ気がつかないふりを決め込んで、ディスプレイに葵の連絡先を表示した。そして、かけるふりをしてスマホを耳に当てると、突然腕を掴まれて後ろにぐいっと引き倒されそうになった。  しかし、最近暗がりで刺された経験があり、ついさっき背後を取られたばかりで警戒心が高まっていたからか、冷静に対処することが出来た。  引かれた腕を中心に回転し、その勢いを利用して腕を振り解いた。そしてスマホを握りしめ、その手を思い切り相手の鳩尾に沈めた。  普段からトレーニングを積んでいるわけでも無いので、力に自信は無かった。  それでも、不意打ちだったのでそれなりに効いたようで、相手はそのまま攻撃を続ける事は出来なくなったようだった。 「ぐぅっ……!」  くぐもった声をあげて、相手は倒れ込んだ。俺はその隙に走り去ろうとして、一歩足を踏み出した。すると背後から、思いもよらない声が聞こえて思わずつんのめってしまった。 「せ、り。待て待て待て! お、おれだ!」  あまりに意外で、しかも聞き覚えがある声だったために、すぐに踵を返した。 「有木! お前、何やってるんだ!」  有木は立ちあがろうとするが、鳩尾が痛んで力が入らないようだった。俺は有木の腕を掴んで立ち上がらせると、スーツについた土埃を叩いて落とした。 「何って……お前に殴られて悶絶してるけど? いきなり殴んなよ……何か警戒してたのか? ノーガードで腹パンは酷えぞ。刺されたお前よりはマシだけど」 「いやお前、こんな時間の暗がりで背後からいきなり腕掴まれてみろよ。誰だって警戒すんだろ。刺されたのも覚えてるんなら尚更だろうが」 「あ、そうだな。そりゃそうだ。悪りぃ。ただちょっと話があって。……おい、お前何笑ってんだ!」  どうやら有木はただ単に俺を見つけて声をかけようとしただけらしい。あまりにタイミングが悪く、とばっちりをくらったようだ。有木はそういうところがある男だなと思うと、申し訳ないがおかしくなって笑ってしまた。 「ふ、いや、悪かった。でも一般的に暗がりから手が伸びてきたら、誰でも警戒するだろ? 気をつけろよ」  堪えようとすればするほど、ふふふと笑いが漏れてしまう。さっきまで警戒していた心が、一気に緩むのがわかった。 「あー、楽しませてしまって悪いんだが。ちょっと面白く無い話をしなくてはならないんだ。お前、今日は帰りに佐藤優希を迎えに行くって言ってたろ? タクシーで話そうぜ。呼んでおいたから」  気がつくと通りの反対側に黒いタクシーが一台止まっていた。有木は先に乗り込むと、「行き先伝えてくれ」と言う。俺はタクシーに乗り込んで行き先を告げると、葵にメッセージを送った。 「今日は、佐藤優希は市木さんの家にいるんだよな。ってことは中村(リョウ)くんも一緒か?」  有木はピアスと耳朶を潰されたリョウのことを、今でもずっと心配している。一度元気な姿を確認してはいるが、やはり精神的なダメージもあっただろうし、何より思春期の少年の見た目を気にする気持ちを思うと、そう簡単に心痛は消えないようだった。 「ああ、葵の家はリョウの家でもあるからな。お前、少し会って行くか? 俺も優希を連れてすぐ出るから。明日も早いしな」 「そうだな。出来ればそうしたいが、今から話す内容を聞いてお前がどう思うかによるな。そんな余裕無くなるかもしれ無いぞ」  有木は前を見つめたまま、話の切り出し方を探しているようだった。僅かに無言の時間が生まれた。  俺はその間、車窓の外を眺めて待つことにした。外には葵の家に続く街灯がキラキラと反射している。すっかり遅くなってしまったため、人通りは殆どない。  時折脇道から現れた酔っ払いが手を挙げて止めようとするが、乗車している事がわかると残念そうに引き返していくのが見える程度だった。 「佐藤優希と中村了くんが狙われた日なんだが……」  ようやく口を開いた有木は、徐にタブレット端末を取り出すと、その画面上に優希のアンクレットから注入された麻酔薬のデータを見せた。 「お前、これ見たんだよな? 注入量の規定値を遥かに超えていたのは、もちろん気がついたんだろう?」  俺はデータを見ながら、頷いた。思い出したくもないが、注入の限界値が規定の倍近い量に設定されていた。しかもそれをかなりのスピードで打たれていた。優希はあの時、ほぼ気絶に近い状態で倒れており、手をつく余裕もなかった。その証拠に、右頬にはくっきりと青あざが出来ていた。 「それだけでも問題があるのに、それとは別としてもう一つ問題がある。佐藤は数日眠っていたそうだな。このアンクレットの使用目的は、緊急対応だけだ。ずっと眠らせるような機能はつけていない。それなのに、なぜあんなに何日も眠っていたのかが気になっている」  確かにそうだ。それは俺も気になっていた。ただし、倒れた日に取ったデータには、アンクレットに普段使用されている薬剤以外に不審なものはなかった。 「でもな」  有木は語気を強め、別のデータを出した。それは、優希が研究所に入院した日から、俺が転院してくるまでの間に取ったデータだった。 「お前にこれを見せるのは、ある程度確信が持ててからにしろと言われていたんだ。それで、今日確実になったことがある。このグラフを見てみろ」  それは、睡眠導入剤の注入量を記したグラフだった。優希は、麻酔の過剰摂取状態で眠っていた。病院での対応で、新たに睡眠導入剤を使用する必要は全く無いはずだ。むしろ、覚醒を促していく必要がある状態だったはずだ。 「どういうことだ、これは……」  俺は有木を睨みつけた。優希は研究所の人間に眠らされ続けていた、ということは理解できた。でも、なぜそんなことをする必要があったのか。俺にはそれが全くわからない。 「理由は俺にもわかってない。ただ、佐藤を眠らせていた人間は、間違いなく研究所の人間だ。そして、その時期になぜか新しく雇用された人物がいるということだ」  俺は、背筋が冷たくなるのを感じた。最近雇用された人間に、俺はさっき会ったばかりだ。剥き出しの敵意を向けられたのは、本当についさっきだ。自分への悪意かと思っていた。あれは、優希へ向けられたものだったのか……。 「あいつはなぜ優希を狙っているんだ?」  有木は、フーッとため息をつくと、次のデータを出して言った。 「里井本人が佐藤に悪意を持っているのかどうかは、正直なところ全くわかって無い。それにこれに関わっている人間は、おそらく里井だけじゃ無いんだ。入室パスのデータと出勤簿見てみろ」  そこには、優希を寝かせていた部屋の入室管理データがあった。ある入室パスカードが、頻繁に使用されていることがわかる。それが里井なら、里井の出勤と合致するはずだ。だが、里井が有給をとっている日にも、パスは使われ、睡眠導入剤は注入されていた。 「里井だけじゃない……」  俺は、先ほどの里井の言葉を思い出していた。事務員を無許可で入室させたセキュリティ意識の低い男。共犯であろうその男の顔が浮かんだ時、タクシーのシートを拳で強く殴りつけてしまった。 「向井だな……」  憤怒の形相で呟く俺に、有木は無言で顎を引いた。そして、大きくため息をつくと、真剣な眼差しを俺に向けた。 「お前、これからどうする? VRの業者を変えるにしても、すぐに変更はきかないだろう。かといって、佐藤に危害を与えた男と一緒に働くなんて無理だろう? 警察に突き出すことは出来るが、そうなると、佐藤の治療が一時ストップするかもしれない。ただ、今の佐藤にはVRは不要だろうから、すぐ突き出してもいいけれどな。暴走しそうになったら、お前が止めればいいわけだし」  俺は、眉間にしわを寄せて苦悶の表情を浮かべたままだったのだが、ふっと力が抜けた。確かに、自分が近くにいれば、優希は問題なく過ごせるはずだ。今は治療もほとんど行う必要がなく、性愛の対象は俺だけになっている。  そしてお互いはパートナーとしての権利を持っているもの同士なので、問題は全くない。ただ、もし万が一、優希が一人の状況で悪意を持ってフラッシュバックさせられたら、その時はどうなるかはわからない。  相手が研究所の人間であれば、それも可能かもしれないのだ。優希を狙っている人間が里井と向井だけであったのなら、ここまで上手く隠し通せるわけがない。他にも協力している人間がいるはずだ。 ——いつも通りの生活をしていて、俺は間に合うだろうか。  それに、優希のことだ。自分がおかしくなってきたと気づいた時に、極端な選択をする可能性がある。俺はそれが一番怖い。 「有木。お前、忘れてるかもしれないけれど、俺は明日から有給だ。旅行で研究所から離れるからちょうどいいと言えばいい。ただ、旅先の安全確保が急務だな」  有木は頷いた。里井が研究所の事務であるため、俺の住所など簡単に知られてしまう。リョウやミドリの記録もあるため、葵の自宅も知られているだろう。  それなら、葵の実家にいた方が安全かも知れない。優希が狙われているとわかった以上、優希の安全確保が第一になる。葵には申し訳ないが、もう一度咲耶荘に連絡を入れてもらって、協力を仰ぐしかない。 「ここでよろしいですか?」  葵のマンションの下に車をつけて、運転手は言った。ハザードのチカチカとしたライトが建物に反射して、俺の視界もオレンジ色に明滅する。その様は、色が違うとはいえ、あの刺された日のうっすらとした記憶を呼び起こしてしまう。  ブルっとひとつ身震いをした。それでも守らなくてはならないものがある。バシンと自分の頬をはり、気合を入れた。 「はい。ありがとうございます」  俺はスマホで決済を済ませた。さっと車を降りると、首を傾げて車内を覗き込み、有木に声をかける。 「やっぱりお前も来いよ。リョウと碧と一緒にいる時の、優希の姿を見ておいてくれ」  有木は一瞬悩んだようだった。ただ、俺には有木自身の身の安全も考えると、葵の家にいた方がいいように思えた。俺に情報を渡していることなど、すでに相手には知れ渡っているだろう。そうなると、有木を狙う可能性だってある。    葵は空手の有段者だ。そして、葵の家には後藤さんも出入りしている。彼はキックボクシングをやっている。俺も二人に手ほどきを受けて、護身術のさわり程度はやれるが、俺一人よりも優希や有木を守りやすいだろう。   「有木、葵は最近もう一戸別の部屋を使い始めたらしいんだ。そこの一部屋を貸すから、お前も泊まって行けって言ってるぞ。俺もそうすべきだと思う。俺と一緒にいたんだから、お前も少なからず狙われているだろうからな。夜に出歩くのは危険だろう」  有木は今度は素直に首を縦に振った。「わかった。そうさせてもらおう。中村了くんにも会いたいしな」  二人でタクシーを降り、俺はインターフォンを鳴らした。葵が応答し、最上階へと向かう。玄関を開けて迎え入れてくれたのも葵だった。 「よお、サトル。お疲れ。あ、有木さん。お久しぶりですね。メール読みました。どうぞ」  俺はタクシーで優希が眠らされていた可能性の話を聞いた時に、葵にメールを送っていた。有木を迎えるために、来客用のスリッパが準備してあった。  俺たちは、中へ入るように促され、玄関から左手の廊下を通っていく。そして、目の前にあるリビングへの扉を開けた。 「優希、サトル帰ってきたよ。リョウ、有木さん来てくれたよ」  俺と有木がリビングに入っていくと、優希、リョウ、ミドリの順番で部屋からリビングへと入ってきた。三人ともやや眠そうではあったが、明日の準備があってまだ起きていたようだ。 「サトル、おかえり」  優希は既に半分寝ぼけたような状態で、俺に向かってペタペタと近づいてきたかと思うと、ガシッと体にしがみついた。二人の関係を知っているものしかいなかったから気が緩んだのか、人前だということを忘れているのか、なかなか離れようとしない。  俺は優希の髪を撫でながら、その可愛らしい姿を愛でた。 「おーい、優希ー。みんないるからねー」  葵が声をかけると優希はハッと目を覚ましてしまい、「わあ、ごめん!」と言いながら、俺から離れて行こうとした。俺はそれを見逃さず、優希の腕を捕まえると、思い切り勢いよく優希を引き寄せた。  慌てる優希をがっしりとホールドして、「帰ってきたばかりなんだからキスくらいしてよ」と言い、そのまま思い切り唇を吸った。 「わー!」  それを見てリョウとミドリが大声を上げた。二人とも、真っ赤になっている。 「おい、サトル。面白がってんじゃないよ。子供の前で、思いっきりキスすんなー」  葵が苦々しげに注意をしてきたが、俺にはそんなことは関係無い。周囲を無視したまま、優希にキスをしてはハグをするルーティンを繰り返している。  優希にとってはルーティンは何よりも大切なものだ。これをしないと、簡単に自己肯定は破綻する。だからそれを止められる言われは無い。そうわかっているはずの有木も、目の前で長々と繰り返されるそれに段々と顔を赤らめていった。 「世理……すまん、そろそろ話をさせてもらってもいいか?」  んーと言いながら最後に長いキスをして、ようやく俺は優希を離した。優希も真っ赤になってペタンと座り込んでしまった。ふわふわの巻き毛がやや乱れ、メガネがずり落ちている。 「おいおい。人がいるところでするには情熱的すぎただろー。大丈夫か?」  葵がケラケラ笑いながら優希を立たせてくれた。俺はあまり人前ではそういうことをするタイプではないので、優希もかなり驚いたようだ。目を瞬かせながら、視線は遠くにいったままだ。 「まあまあ。今からする話は、そんなの全部吹っ飛ばすくらい、面白く無い話だ。だから、その前にいいかなと思って」  俺はそう言って、有木に説明を促した。有木は一つ咳払いをすると、タクシーでした話を繰り返した。段々と四人の顔色が青くなっていく。 「優希を眠らせた意図はわからないってことか? 命を狙ってるわけじゃ無いのか?」  葵は焦燥感に駆られているようで、真剣な面持ちになりながら俺と有木の顔を交互に見た。 「その点については、まだはっきり言い切れない。向井については、全く理由がわからないから今は外しておく。里井が個人的に優希を恨んでいるのなら、いずれ命を狙うだろう。ただ、二人の接点がわからない。優希、この男を知っているか?」  俺は、研究所のスタッフデータから、里井の顔写真を表示して優希に見せた。黒髪のふわふわコンマヘア、ダイヤのピアス。そして、美しい顔立ち。その写真を見て即座に反応したのは、優希ではなく、葵とリョウとミドリだった。 「あ! こいつ、鈴井玲央の偽物じゃん!」 「鈴井玲央の偽物? 誰だそれ」  俺と有木は顔を見合わせた。俺たちは、その名前をこれまで聞いた事がない。 「そいつは鈴井玲央を名乗って、吉良燁とオールソーツで待ち合わせをしていた男だ。これだけ美しい顔立ちをしていると、なかなか忘れない。それに、偽名を使ったことがずっと引っかかっていたんだ。この男は吉良燁、つまり佐野さんの知人なのだから、優希を知っていても不思議はないよな」  ただ、優希自身はこの男に見覚えはないらしく、顔を見てもピンとこないようだった。  ただ、そのわりに優希はやや青ざめていた。何か引っかかっていることがあるらしい。 「鈴井玲央を騙る男が、僕の命を狙っているかもしれないってこと?」  カタカタと震えながら、優希は俺を見つめた。自分を狙っている人物が確定しそうな瞬間だ。気持ちのいいものではないだろう。俺は優希を抱き竦めて、できるだけ穏やかに言葉を続けた。 「そういうことになるな。ただ、命まで狙っているかどうかは、まだはっきりしていない」 「え? どういうこと? その人が僕を眠らせ続けてた人なんでしょう? それなのに命を狙ったわけじゃないの?」  俺の腕の中から涙をためた目で見上げながら、優希は声を震わせて訊いた。 「里井が優希を殺そうと思うなら、いくらでもチャンスはあったはずだ。それでも里井は手を下さず、眠らせ続けることにこだわっていたように思えるんだよ。もし里井が犯人ではないとしたら、もしかしたら、誰かの目からお前を隠そうとしていたのかもしれないとも思えるんだ」 「どう言うことだ? なんのために?」  全員が首を捻った。そうなると、里井は味方だということになる。 「それは、里井は佐藤優希を守ろうとしていたということか?」  有木は、驚きすぎたのか、あろうことか俺にくってかかってきた。俺はそれを不本意だといなして、肩に手を置く。 「落ち着けよ。結果的にはそうだ。優希を守ったというよりは、自分に都合良くなるように動いた結果、たまたま優希を守っただけだろうと思ってる」  「それなら話はわかる」と言って、有木は矛を収めた。「俺が優希を傷つけたやつを無条件で擁護するわけがないだろう?」と問うと、「それもそうだ。すまなかった」と苦笑した。 「とにかく、今の時点では全てが推測に過ぎない。もう少し証拠を集めないことにはなんとも言えない。それに、今とりあえずすべきことは、警察への相談だ。この時点でわかっていることを全て話そう。旅行に行く意味も、必ず正確に伝えなくてはならない。葵、悪いがもう一度咲耶荘に連絡を入れてもらってもいいか? もう少し協力をお願いしたいんだ」  俺は葵に負担を強いることを申し訳なく思っていた。しかし、葵は俺にふんわりと微笑むと「いいよ。任せとけ」と即答してくれた。 「いいのか?」 「俺もそうするのがベストだと思うから。あのホテルの最上階はかなりセキュリティが厳しいから。数日守るには最適だろう?」  俺の言いたいことを予想していたらしく、「蓮兄さんからはもう返事もらってるから」とメッセージを見せてくれた。 「さすがだな。助かるよ」  俺は葵の機転の速さに感謝した。 「葵さんのお兄さんの名前、蓮さんって言うんですか? 二人とも風情のある名前ですね」  リョウがそういうと、葵は悲しそうに微笑んだ。 「父さんが名づけにこだわりのある人だったからな」  その横顔がとても寂しそうにしていたからか、ミドリは少し泣き出しそうにしていた。 「あの……葵さんが家を出た理由、優希さんが少し教えてくれました。そんなところに私たち旅行でお邪魔していいんですか?」  ミドリは葵のことを思うと、どうしても咲耶荘に行くことには気が進まないと言っていた。楽しみではあるけれど、そこへ行くことで葵を傷つけるのではと心配している。 「子供に性欲が湧くなんて、気持ち悪いって僕を否定した継母さんから僕を守ってくれたんだけど、その時葵自身も真っ向から否定されてたんだよね? 今はもう大丈夫なの? 和解した?」  葵はやや俯いた。しかし、それは悲しみのためというよりは、何かに恥じらいを持っているようだった。 「もしかして、後藤さんが橋渡ししたのか? あの人と蓮は実業家同士で繋がりがあるんだろう?」  それは当たっていたらしく、葵はそっぽを向きながら小さく呟いた。 「まあ、そんな感じ。後藤さんは当事者でもあるから、兄さんに連絡を取り続けることで、信用を得たみたい。俺はそれを兄さんから聞くまで知らなかった。だから、この件で実家と連絡を取るのを再開して良かったよ。感謝してる。ただし、俺は新しいお母さんとは全く分かり合えてないよ。あの人は沙枝姉さんすら受け入れられないみたいだから」 「お母さんに受け入れてもらえないなんて……沙枝さん、辛いですね」  親に受け入れてもらえない辛さの話になると、それを誰よりも知っている二人は直ぐに悲しそうな顔をする。  ふとリョウとミドリの顔を見ると、口をへの字にしたまま涙を流していた。  二人揃って同じ顔で泣いていて、俺たちの目にはそれがとても愛おしく見えてしまった。 「お前たち、とことん優しいんだな」俺は呆れてそういうと、「だって! そういうのって望んで生まれてくるわけじゃないのにって思っちゃうんです。選べないことで苦しまないといけないの、辛いですもん」  ボロボロと涙をこぼしながら、沙枝さんのために怒りを露わにしていた。それを見た葵は、二人の優しさに感激して目を潤ませていた。 「俺も俺の両親も、お前たちみたいに優しければ良かったんだけどなあ。あの頃どうしても許せなかったんだよな。優希が気持ち悪いと言うなら、俺だって一人の人だけを愛する事が出来ない、気持ち悪い欠陥人間なんだよって言い捨てて逃げたんだ。だから、なかなか元通りってわけにはいきにくいけど、兄さんを通しての連絡なら出来るようになったから。父さんも、それを知っていて、何も言わないでくれてる」  そう言うと、葵はリョウとミドリを両手に抱えるようにして抱きしめた。ぎゅーっと腕に力を込めているのがわかる。 「俺は仕事で行けないけれど、俺の大切な子供達がお邪魔するからよろしくねって言ってあるから。何も気にせず、建物と景色を堪能してこい。外には出られないけれど、それでも楽しめるくらいに素晴らしいところらしいぞ」  そう言って二人を抱きしめる手にさらに力を込めていた。 「イタタタ。わかりました。じゃあしっかり楽しんできますね」  ミドリはそう言って葵の腕にギュッとしがみついた。リョウも同じようにする。 「新婚さんの邪魔をせず、お前たちはしっかり婚前旅行を楽しんでおいで」 「婚前旅行……」そう言って緊張しているリョウの背中を、「変なこと考えないでよ!」とミドリが張り飛ばす。大人達はそれを見て笑っていた。

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