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第2話
ちょうど鰆の塩焼きに添える大根をすりおろしていた。どきりとして、おろし金を取り落とした。合い鍵を持って出かけた理人がわざわざチャイムを鳴らすということは、
「おかえりなさい!」
と、キスの雨を降らせながら朋樹が抱きついてくるのを期待しているからに違いない。大根を放り捨て、そのくせ殊更のろのろと玄関へ行く。もっとも途中でスリッパが脱げたことにも気づかず、裸足のまま扉を開けるありさまなのだが。
「おかえり! ……なんだ、間宮さんか」
「なんだとは、ご挨拶だな。繊細な心が傷ついたぶんも長居させてもらうぞ」
間宮鱗太郎 は、しれっと応じた。そして、がっしりした肩で扉を支えておいて雪駄 を脱ぐ。
朋樹は規制線を張るように、仁王立ちになった。心ならずも最愛の男性 と離れ離れで過ごした日々を取り戻すためにも、いちゃつき放題にいちゃつくまで、もう少しの辛抱だ。仮に訪ねてきたのがサンタクロースだとしても「おととい来やがれ」というやつなのだ。
ましてや〝招かれざる客〟は身長が百八十センチ強、と図体ばかりか態度もデカいとくる。場所ふさぎな男が本当に居座って、あまつさえ理人と飲み明かすなんて展開を見せたら──地獄だ。
断固、最悪の事態を阻止するべく間宮の傍らをすり抜けてポーチに出た。そして手本を示すふうに踏み段を下りた。
雨脚が強まり、庭の向こう、木柵に横づけされたセダンの屋根をドラムを演奏するように叩く。間宮は間宮で、掌にぽんと拳を打ちつけた。
「『おかえり』と言ったな。そうか、あいつが帰ってくるのか。それじゃあ、おじゃま虫はさっさと去 ね、だわなあ」
おどけた口ぶりと裏腹、朋樹へ向ける眼差しに複雑な色がにじむ。スポイトでひと垂らしした程度の、痛ましげなものを含んだ、それ。
「こいつを届けに寄っただけだ。安心しろ、すぐに退散するさ」
そう、うそぶいてセダンのキーをじゃらつかせる。それから賞状を授与するような芝居がかった手つきで、こいつと称するものを差し出した。
それは、純白の百合 の花束だ。間宮は白抜きで〝蕎麦処 うさぎ庵〟とある藍染めの作務衣姿が語るとおり、行列ができる蕎麦屋の二代目で花より団子のクチだ。男所帯への手土産に鴨肉の燻製やあん肝を選ぶならまだしも、なぜ花束……?
間宮は困惑顔を覗き込んで突然、なぞなぞを出した。
「俺がこのまえ持ってきた花の種類はなんだったでしょう、か。ヒントは唱歌のタイトル、オランダ、富山といえば……」
「それって何かの心理テスト? 間宮さんが花を持ってくるのは初めてだけど?」
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