羨ましい？　きょとんと繰り返すと、ぞわぞわと皮膚が粟立った。あいつって、いったい誰のこと？　 　荒れ狂う暴徒が破壊して回ったあとの街のように、頭の中はしっちゃかめっちゃかだ。未だに陽根で縫い留められていて、ぐりっと内奥を突きしだかれたせつな、ある種の護符の効力が薄れた感があった。車が宙を飛ぶ映像が、また視界いっぱいに広がった。 　まるで編集する前のショートムービーだ。センターラインをはみ出して迫りくる対向車。後輪が横すべりするのにともなってハンドルにロックがかかり、急斜面に接するガードレールがぐんぐん近づく。 　飴細工のようにバンパーがもぎ取られ、ボンネットがひしゃげて部品が弾け飛ぶほどの、すさまじい衝撃。エアバックが膨らんで鳩尾(みぞおち)を圧し、フロントガラスが蜘蛛の巣状にひび割れる。クラクションがけたたましく鳴り渡って、それから……。 「朋樹、落ち着け、朋樹！」 「いやだ、さわるな、理人、理人ぉおおお！」 　抱きしめられると、なおさら恐慌をきたす。滅茶苦茶に腕を振り回すうちに、何かを力任せに引っかいた。 　人格交替劇──専門家なら嚙みくだいて、そんなふうに説明するだろうか。ふだんは意識下に隠れている〝もうひとりの朋樹〟が、むせび泣く声が潮騒のごとく高まり、低まる。 「いい子だ、深呼吸してごらん。すぅ、はぁ、すぅ、はぁ」 　と、穏やかに促されてもパニックの発作はおさまるどころか、迷宮をさまよっているように安らぎから遠ざかるばかり。極限まで丸まった背中をさする手の甲は、まだらに赤い。ひっかき傷が、血をにじませる──。 　朝方まで降りつづいた雨がやむと早速、小鳥たちがさえずりはじめた。ほがらかな合唱に誘われて、朋樹は目を覚ました。 　とはいえ瞼は腫れぼったいわ、目尻がひりひりするわ、最悪の気分だ。山荘の周囲に漆は生えていないはずだが、類する植物にでもかぶれたのだろうか。 　だいたい、どうしてソファで眠っていた？　珍しく深夜番組を観ているうちに寝落ちしたのだとしても……、 「おっかしいな。修理に出していたっけ？」 　造りつけのテレビボードは、いつの間にか空っぽだ。テレビの台座の跡が、天板の表面にうっすらと残っているばかり。 　のろのろと起きあがるとともに毛布がずり落ちた。拾いあげて目をぱちくりさせた。これにくるまって眠っていたようだが、寝室から持ってきた憶えのないものが、どうしてここに？