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夏の章
夏の章
長谷朋樹は芝刈り機を止めた。たちまち、あたりは耳を聾 するばかりの蝉時雨に包まれる。
梅雨明けから晩夏にかけて白樺の林を散歩すると、佃煮にできるくらい蝉の抜け殻が転がっている。ジージー、ミーンミーンと一日中やかましいのも、むべなるかな。
すっきりと刈り込まれた芝生を眺めやって、大きく伸びをした。白いものが、ちらほら混じりはじめた髪の毛が麦わら帽子からはみ出して波打ち、日に焼けたうなじをくすぐる。
陽炎が燃え、汗で眼鏡がすべる。外し、ついでにレンズを磨きながら煙突を振り仰いだ。
「夏の間に煉瓦が欠けていないか調べて、中にこびりついた煤 もかき落としとかないと」
山あいの避暑地の外れ、といえば陸の孤島も同然だ。大工仕事も薪割りもひと通りこなせて当たり前、という住環境でもある。ひ弱な都会育ちのミステリ作家にも、それなりの適応力が具 わっていたとみえる。
赤いとんがり屋根が青空に映える、この山荘はいわゆる愛の巣だ。六つ年上の、人生のパートナーの名は篠田理人 ──戦場カメラマンだ。目下。大規模な暴動が発生した某国で取材活動を行うチームの一員として、現地を飛び回っている。
それも数日前までの話。騒動が沈静化したのを機に、帰国の途についたのだ。
そのぶん朋樹は忙しい。心身ともにすり減らして帰ってくるに違いないから、ゆったりとくつろげるように準備しておかないと。
まっさらなやつにシーツを取り換えて、浴室のタイルだってぴかぴかに磨きあげた。最重要課題は食事だ。
旬のもので、栄養価が高くて、なおかつキンキンに冷えたビールと相性抜群。
条件的に鰻巻 き卵は外せない。ビタミンBが豊富で、疲労回復を促進する豚肉のしゃぶしゃぶサラダをゴマだれで。それから家庭菜園で育てたシシトウとオクラを素揚げにして岩塩を添えよう。
「『俺をデブらせたいのか』って、わざとぶうたれてみせるかも」
スナップを利かせて麦わら帽子を遠くへ放り、ディスクを追って走る犬のように落下地点へ急ぐ。キャッチしそこなっても、それが楽しくて「あはは」と笑う。
浮かれすぎ、と我ながら呆れる。だって長らく家を空けていた恋人が、今にも白樺の林の向こうから現れるかもしれないのだ。はしゃぐのは禁止、というほうが無理だ。
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