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第16話

 麦わら帽子のツバを引っぱり下ろして耳を覆った。幻聴だ、空耳だ、と繰り返し自分に言い聞かせても、急な斜面に生い茂る灌木(かんぼく)の枝々をへし折る音がバキバキとはっきり聞こえる。  煙幕が張られているようにおぼろな光景が、瞼の裏に浮かんでは消えて、もどかしさと、ぼやけたままに留めておきたい気持ちがせめぎ合う。 「見たくない、知りたくない見たくない!」  小さく小さく、ひたすら小さくうずくまった背中めがけて蝉時雨が降りそそぐ。蝉時雨は怖い。血腥(ちなまぐさ)を封じた穴蔵を否応なしに暴いてくれるから、怖い、怖くてたまらない……。 「おい、日向でぼけっとしてると熱中症にやられちまうぞ」  ぶっきらぼうな、その実、気づかわしげな声が朋樹を現実に引き戻した。山で遭難して、そこに捜索隊が来てくれた思いでぎくしゃくと半身を起こし、ところが一転して敏捷に飛びのいた。  庭を囲む木柵に横付けにしたワンボックスカーから、今しもガタイのいい男が降り立った。白抜きで〝蕎麦処 うさぎ庵〟とある藍染めの作務衣を粋に着こなし、カスミソウの花束をぶら下げている。大股で門をくぐると、こんもりと掃き集めた芝に顎をしゃくり、 「このクソ暑いのに芝刈りか。ちょうどいい、陣中見舞いだ」  大玉の西瓜で丸々と膨らんだネットを掲げてみせた。  朋樹は麦わら帽子を目深にかぶりなおした。小作りな(おもて)は日盛りの庭を背景に、青磁のようになおさら青白い。それでも皮肉たっぷりな笑みを浮かべ、 「ひと玉丸ごとの西瓜は野菜室を占領するため、もらってもありがた迷惑な部類なんです。いちおう参考までに」  ことさら流暢に答えて眼鏡を押しあげた。  干からびるところを助けてくれた男は間宮鱗太郎(まみやりんたろう)といって、理人とは、よちよち歩きのころからの親友らしい。だったら愛想よくふるまっても損はないはずだが、むしろ即座に追い返してやりたい。害虫並に敵視する理由は我ながら謎ではあるものの、間宮に対してはすげなくするのが正解、と細胞に刻み込まれている。 「きのうツラを拝みに寄ったとき、でっかい西瓜にスパーンと包丁を入れたいと言ったのはおまえなんだが、やっぱり忘れちまったか」 「言いがかりをつけるのは、やめてください。間宮さんが押しかけて……もとい、訪ねてきたのは直近で確か……」  梅雨空が広がっていたっけ? 入道雲がもくもくと湧いていたっけ? ……駄目だ、いろんな場面がごっちゃになって思い出せない。  間宮は、いたわしげな眼差しを困惑顔に向けた。それからキャップ風に頭を覆うタオルを外してニッと笑った。

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