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第19話

 闖入者(ちんにゅうしゃ)が退散したことだし、さあ料理に取りかかろう。自分をせっついても、動くのがかったるい。西瓜にしても甘ったるいほどだったのが青臭さが急に勝つ。  蝉が鳴きしきるなか、ぼんやりとベンチを揺らしているあいだに、西に連なる山々の、その稜線が墨を垂らしたように黒ずんできた。雨雲の接近を感知する天然パーマを手櫛(てぐし)()き、そこでハッと気づいた。 「おれのバカちん。間宮さんに駅まで乗せてもらって改札口で待っていれば『おかえりサプライズ』が成功したかもだったんだ」  しかし、もしも行き違いになったときは悲惨だ。ようやく帰郷を果たした理人は、門扉を押し開けたか押し開けないかのうちに朋樹が抱きついてくるに違いない、と胸をときめかせているだろう。なのに山荘が、いわゆる(もぬけ)の殻の状態にあったら、がっかりするに決まっている。 「さて、と。今度こそ動くぞ」  勢いよく立ちあがるそばから崩れ落ちた。自己診断は炎天下での作業が原因の軽い熱中症で、ざまあない。  やむをえず座面に寝そべって眼鏡を外した。淋しさによってうがたれて、心に生じた空洞を〝ただいまのキス〟で埋めてくれる場面を思い描く。  最初は挨拶を交わす程度に唇をついばんで、だが禁断症状が治まるどころか、寝た子を起こすに等しい。先を競って結び目を舌で割りほぐし、相手のそれを搦め取って、行き倒れる寸前でオアシスにたどり着いたように貪り合って……。  空気が揺らいで蝉時雨が鳴りやんだ。ごついワークブーツが視界をよぎり、庭とポーチを結ぶ踏み段をあがる。  ここが喧噪が渦巻くインドの街角だとしても、愛する男性(ひと)の足音ははっきりと聞き分けられる自信がある。朋樹は夢うつつにそう思い、すると心臓がバクバクしはじめた。  茶目っ気を起こし、且つ〝うれしい驚き〟を演出しようと考えて、死角伝いに建物を回り込んできたのか。理人が、今しもポーチの床板を踏みしめた。  首を長くして──朋樹の場合は月に届く勢いだ──待ち焦がれた瞬間が訪れた。  と、同時に知った。あまりに歓びが大きいと、なりふりかまわず理人に飛びつくどころか、コンクリートを流し込まれたように、かえって固まってしまうものだ──と。  それに、怖いのだ。現在(いま)、ここにいる理人は願望が生み出した幻にすぎなくて、まばたきひとつ、蜃気楼のごとくかき消えてしまうかもしれない。  そんな残酷な結末は嫌だ、きっと心が粉々に砕けてしまう。

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