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第20話

 折も折、ほのかな紫煙の残り香に鼻孔をくすぐられた。理人の衣服に焚きしめられた馴染み深い、それ。  恋情をかき立てられる香りだが、これも幻臭の類いで、しゅんとなるのがオチかもしれない。わざと、ゆっくり眼鏡をかけなおす。ワークブーツをふりだしに恐る恐る視線を上にずらしていき、(おもて)に達したせつな、ひゅっと喉が鳴った。  朋樹は、さしずめ水中花籠だ。湯をそそぐと乾燥花がゆるゆる咲き()める、という細工がほどこされた工芸茶。  同様に、不滅の愛を誓ったパートナーが触れると美しく花開く。  理人がベンチの正面にしゃがんだ。幻じゃない証拠にくっきりした輪郭をともなっている、ちゃんと厚みがある。この出来事が現実味を増していくにつれて、ときめきという小片を貼りつけて描く、ちぎり絵が完成するようだ。  まじろぎもせず見つめられ、熱っぽく見つめ返す。そして朋樹は皿を弾き飛ばしながら跳ね起きた。西瓜の皮が転がって、果汁をまき散らしたことにも頓着しないで。 「ただいま」 「おかえり、なさい」  たった十一の音の連なりにすぎないやり取りが、ようやく再会を果たしたふたりにはレアメタル以上の価値がある。眼鏡をずらして湿り気を帯びた睫毛をぬぐった。差し伸べられた腕におずおずと身を任せ、抱き寄せられた瞬間、打って変わってありったけの力でしがみついた。  戦場カメラマンが天職──自他ともに認める理人からカメラを取りあげるということは、大空を(かけ)る鳥の翼を切って籠に閉じ込めるに等しいということ。  そんな冷酷な仕打ちをする権利は、神さまにだってない。それでも、だからこそ胸底から迸るものがある。 「ひとりぼっちは淋しい、淋しくて気が狂う。もう、どこへも行かないで……朝も昼も夜も、春も夏も秋も冬も、ずっとそばにいて!」 「我慢させてばかりで、すまない」  脊梁が軋むほどに抱きしめてきながら、声をしぼり出すさまが雄弁に物語る。異国の空の(もと)にあるあいだ恋情と使命感がせめぎ合って、分身の術が使えたら、と切望した──。  百万言を費やしても真情を伝えきるには到底足りない。言葉足らずな部分を補うのは、互いの温もりのみ。  だから朋樹は波間をたゆたう二艘の小舟を(もや)うように、腕になおも力を込めた。ツムジへのくちづけで応えてくれると、涙腺が決壊する予感に瞼がひくつく。

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