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秋の章

    秋の章  雨粒が忍びやかに軒をすべる。しっとりと濡れた芝生はところどころ茶色みを帯び、秋が深まりゆくことを告げていた。  白樺の林を抜けた先にポツンとたたずむ山荘の、その一室で、長谷朋樹は呻吟しながらパソコンに向かっていた。クリエイターに付き物といえる、生みの苦しみの真っただ中にあるのだ。  ミステリの神さまがきさえすれば、憑坐(よりまし)と化したように、指先から物語があふれて止まらない。ところが現時点では、一行書き進めては二行消すことの繰り返し。  土砂崩れが発生するなどして道がふさがれ、さらに外部と連絡を取る(すべ)も失った屋敷を舞台に、つぎつぎと登場人物が殺されていく、いわゆる〝クローズド・サークル〟もの。そのジャンルは根強い人気がある。  格闘中の原稿のなかでも何者かによって、曰くつきの洋館と外部をつなぐ吊り橋が落とされ、惨劇の幕が開く(くだり)に差しかかったが、はて、これはどこの出版社から依頼を受けたものなのだっけ?   そもそも小説誌に連載中の原稿なのか、単行本用の書き下ろしなのか、それすら判然としないなんて我ながら呆れてしまう。 「まっ、おっつけ担当さんが進捗状況を訊いてくるだろうから、〆切の件も含めてはっきりするか……」  ついでに書き綴った憶えがまったくないエピソードが散見することにも合理的な説明がつけば、一石二鳥だ。  コーヒーを淹れに立ち、カップを片手に掃き出し窓にもたれた。メッシュを入れたように銀白色に変じた面積が増えた髪が波打ち、どこか精霊めいた雰囲気を漂わす。  深煎りの豆で淹れた一杯をゆっくりと味わう。芳醇なそれが金鉱の在り処を示すように、脳細胞を刺激した。 「そうだ、今日は理人が帰ってくるんだった」  六つ年上の恋人──篠田理人は豪華客船で辣腕をふるう一等航海士だ。世界一周を謳う船旅に出航すれば、ひと月余りのほとんどを洋上で過ごすこともザラだ。  豪華客船は賄い飯のほうも、なかなかのものらしい。もちろん、えりすぐりのシェフには敵いっこないが、朋樹には料理の腕前を補って余りある愛がある。  さて、日本の大地を踏んで、やれやれといった心境だろう理人のために何をつくろう。キノコたっぷりの炊き込みご飯と粕汁の組み合わせは、季節感にあふれて食欲をそそるに違いない。  さっそく米を研ぐ。小房に分けたシメジとマイタケ、それからコクが出るよう細かく刻んだ油揚げを加えて土鍋に投入。粕汁は根菜を中心に、ゴマ油で炒めた豚バラとこんにゃくを足す。  理人の好みに合わせて、炊き込みご飯も粕汁も薄味に仕上げるのがミソだ。

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