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第32話

 通奏低音めいた雨音が、子守歌のように山荘を優しく包む。風邪は寝て治すに限るが、たびたび席の発作に襲われるありさまでは、おちおち眠ってもいられない。  それでなくとも理人に風邪を伝染(うつ)すといけないからキスはおあずけなんて、ツイていないったら。だいたい、おでこをこっつんこして熱を測る、あのやり方は恋人ならではのスキンシップで、(けが)れを除くためにも消毒薬を振りかけたい。  などと、洗面所に駆け込みかねなくても熱があがったせいだ。いつしか眠りに落ちた。  とはいうものの、座席に縛りつけられたうえでホラー映画を延々と観せられているも同然だ。グロテスクな場面が繰り返し夢に登場して吐き気をもよおし、 「楽になる、吐いちまえ」  古新聞を敷き詰めた洗面器が口許にあてがわれて、背中をさすってくれる手に甘えた。  悪夢が霊安室を舞台にしたものへ変わると、荒波に翻弄される小舟のように、シーツにしがみついておくのが精一杯になる。うっすらと煙が棚引く線香の、幻臭まで漂ってくるような、リアルな、その夢。  地階に下りて廊下の突き当たり。パイプベッドに北枕に寝かされて、白い布を顔にかぶせられても微動だにしなかった人は、誰?  雲の切れ間から薄陽が射すように、時折、意識がはっきりする瞬間があった。たとえば往診に訪れた医師と、間宮が寝室の隅でぼそぼそと話している最中に。 「……特殊な症例の長谷さんが独り暮らしをつづけるのはリスクが大きい。専門の施設に任せることを検討すべきです」 「あの事故から十年あまり、ここに日参してサポートしてきた。今後も協力は惜しまない。専門の施設だ? クソ食らえ」  デマカセだ、間宮が突撃訪問を仕かけてくる頻度は、朋樹の感覚では月に一、二回。そう医師を相手に暴露したつもりだが、枕にくぐもる。  再び意識が薄れはじめたなかで思う。仮に、本人がうそぶいたとおり間宮が入り浸るようなことがあれば、  ──バズーカ砲をぶっ放して、追い出してやる……。  夢うつつに狙撃スタイルをとる朋樹をよそに、押し問答はつづく。 「個人の力には限度があります。もしも間宮さん自身が大病を患ったときには、どうするつもりですか。専門家にバトンタッチするほうを選択する段階を迎えている、と医学的な見地から忠告しているのです」 「お言葉だがな、先生。朋樹をここから引き離すってことは、ツギハギだらけの、もろい心を護る繭を切り裂いて引きずり出すのと一緒だ。〝よんどころない事情で留守にしていた理人を手料理で迎えてあげる〟ってのが、朋樹を精神的な面で支える柱なんだ。アイデンティティが崩壊してみろ、行き着く先は閉鎖病棟だぞ」  と、いう調子で医師は間宮に言い負かされる形で立ち去ったのだが、そのころ朋樹はすでに眠りこけていた。

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