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第35話

   朋樹は根負けした。結び目を渋々ゆるめるのを見計らって()し込まれたスプーンが絶妙の角度で傾き、葛湯がとろりと伝い落ちる。蜂蜜を垂らしてあって、ほんのり甘い。  そう感じたのは、もちろん勘違いに決まっている。愛情という隠し味が利いているような気がしたのは、熱で舌が馬鹿になっているせいだ。  だいたい間宮を相手に『あ~ん』など、 「オエッ、だ。自分で飲めます」  スプーンを押し返す仕種を交えて、そっぽを向いた。 「おまえは病みあがり、無理は禁物だ。甘やかすのが楽しいんだから、今日くらい素直に甘えておけ」 「要するに自己満足に浸りたいわけですね。だったら、おれよりワンコあたりが適任だ」 「ああ言えば、こう言う。可愛げがないのが逆にかまい甲斐がある……おい、どこへ行く。欲しいものがあるなら俺をこき使え」  朋樹は小走りにベッドから離れ、ところがドア口に先回りされた。 「邪魔するな、どいてください」  ぎろりと()めあげても、間宮は門衛を務めるように立ちはだかって動かない。この調子では、強引にノブを摑むそばから突きのけられる可能性、大だ。  朋樹はこれ見よがしに舌打ちする一方で、思った。こちらへ向けられる眼差しは複雑な色を(たた)えている。  琥珀の中には稀に樹脂が化石と化す過程において、昆虫を閉じ込めたものがある。極端な話、それを髣髴(ほうふつ)とさせて、永久に癒えることのない悲愁が(こご)っているように感じられた。  圧に負けて後ずさると、いわゆる膝カックンを食らった形だ。ベッドに尻餅をついた。 「まったく、ひとの顔を見りゃゴキブリに出くわしたみたいにギャアギャアと。俺はわりかしナイーブなんだ。いいかげん傷つくだろうが」    ゆらりと歩み寄ってこられて、ベッドの上を斜めにずれる。間宮の重みがマットレスに加わるにつれて、なおも尻でいざっていったすえ壁に突き当たった。 「おれは、おれなりに愛想よくふるまっているつもりです。被害妄想じゃないですか」  と、にこりともしないで眼鏡を押しあげた。葛湯を作ってくれた借りの一部なりと返しておかないと、闇金並みの法外な利子がつきそうだ。そう考え直して、いくぶん表情および語勢をやわらげる。 「寝汗でべたべたするからシャワーを浴びにいってきます。第一希望は今すぐお帰りいただく。第二希望はリビングのほうでテレビでも観て、おれのことは放っといてくれ……」 「テレビはずいぶん前に壊れて処分したぞ」  処分、と鸚鵡返(おうむがえ)しに呟いたところに微笑(わら)いかけられた。不吉な予感がして盾で防御するように枕を構えたときには、押し倒されたあとだ。

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