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第43話

 十五年前の夏にも、問題の場所で死神が大鎌をふるった。朋樹を助手席に乗せて理人が運転していたランドクルーザーは、センターラインを大きくはみ出して迫りくる対向車をよけたはずみに、ガードレールを突き破って崖下に転落した。  通報を受けて救急隊員が駆けつけたところ、朋樹は血だまりが広がりゆくシートに呆然と座り、虫の息の理人を膝枕であやしていた、という。  これもルーティーンの一環だ。間宮は立て看板の傍らを通りすぎるさい一刹那、黙禱(もくとう)を捧げた。  味蕾に消え残る煙草の苦みが誘発し、カサブタができても剝がれることを繰り返してきた心の傷がひりひりしだす。  一九八〇年代なかば、ジャンボジェット機が山中に墜落した。未曽有の大惨事に誰もが言葉を失うなかで、奇蹟が起きた。数名の生存者がいたのだ。さらに、うちひとりは軽傷を負ったにとどまった。  何が生死を分けたのか、神のみぞ知る。  理人と朋樹の場合も、そうだ。瀕死の状態で病院へ搬送された理人に引きかえ、朋樹は外傷のほうは打ち身および切り傷のみ。  ただし、脳に深刻なダメージを受けた。  朋樹の、最新の記憶は、寿命が二十四時間単位。ひらたく言えば、上書きする機能が損なわれてしまったせいだ。  たとえばナスの苗を家庭菜園に植えたとする。翌日には元肥をほどこすやら、せっせと働いたことじたいが頭から抜け落ち、こぼれ種から発芽したのが勝手に育ったのか、と本気で不思議がる。一事が万事、そういう調子だ。  間宮は思う。俺にとって年月(としつき)とは線のつながりだが、損傷を負った脳の捉え方は違う。いわば点が散らばっているにすぎないのだ。  悲劇にみまわれてから十五年の歳月が流れ、めっきり銀髪が増えた自分の姿に面食らうことがあっても、朋樹はタイムオーバーを迎えると、ころりと忘れる。  また、至純の愛は残酷な運命を()ね返してのける。朋樹の観点に立てば愛別離苦など、太陽が消滅する以上にありえない。だからを巧みに構築しおおせるのだ。 「根っからの作家の、底力ってのはスゲぇわ」  間宮は苦笑交じりにハンドルを切った。ウイキペディアから抜粋すると、朋樹は公募形式の、且つ権威あるミステリの賞を史上最年少で受賞して一躍、文壇の寵児(ちょうじ)となった。彗星のごとく現れた、というやつだ。  デビュー作はアニメ化され、実写化され、関連グッズは発売するはしから馬鹿売れして、莫大なロイヤリティを生みつづけている。  新作が書店に並ぶのをずっと待っている、長谷朋樹は才能が枯渇した一発屋だ──等々。事実上、筆を折ったあとでも〝幻の作家〟の復帰を望む声はSNS上でかまびすしい。何はともあれ生活が逼迫する恐れがないのは幸いだ。  文才は今や別の形で発揮されているわけだ。

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