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第15話 聞き覚えのある声
ビルを出て、きょろきょろと周りを見る。
「あ、あった」
大きな道の向こう側に青い文字の看板が見えた。たしか、あのコンビニにも雑誌があったはず。
急がないと売り切れてしまうと思った俺は、走ってコンビニに行った。大慌てで中に入って、すぐに雑誌が並んでいる棚のほうに向かう。藤也 さんが載っている雑誌を探そうとして……何ていう雑誌かわからないことに気がついた。テレビに映っていたページしかわからないから表紙もわからない。
「……そうだ、たしか経済雑誌だ」
ってことは、たぶん難しい字が書いてある雑誌だ。棚を端っこから見ていたら、難しそうな名前の雑誌が何冊かあった。その中の一つに藤也 さんの名前が書いてある。
「紫堂 、藤也 って言うんだ」
名前は知っていたけど名字は初めて知った。あんまり聞いたことがない名前だけど、藤也 さんっぽくてかっこいい。
雑誌に書いてある名前を指で撫でてからレジに持って行った。五千円で買えるか心配だったけど、お釣りがもらえてホッとした。これでいつでも藤也 さんの顔が見られる。そう思うと嬉しくてにやけそうになる。
(本物もかっこいいけど、写真もかっこいい)
買ったばかりの雑誌を開いて藤也 さんの写真を見た。テレビで見た藤也 さんも写真の藤也 さんも、ドキドキするくらいかっこいい。いつも見ている藤也 さんよりキリッとしていて大人の男の人って感じだ。
「そりゃそうか。だって藤也 さんは四十歳だもんな」
テレビで四十代は働き盛りだって言っていた。四十歳って、きっとかっこいい大人のことに違いない。
部屋に帰ったら藤也 さんの載っているところを読んで、それから写真を切り抜いてパスケースに入れよう。パスケースより大きいから、折り曲げないと入れられないのが残念だ。
そんなことを考えながら自動ドアのほうに歩いていたら、聞いたことのある声が耳に入ってきた。
「この声、」
聞いたことはあるけど、どこで聞いたのか思い出せない。テレビじゃないし、お店の人でもない。でも、サングラスの人たちのしゃべり方にちょっとだけ似ている気がする。
「……あ」
思い出した。この声はお店の人じゃない。でも、お店で聞いた声だ。薄暗かったから顔はよく見えなかったけど、この声はあのときの声で間違いない。
(荷物運びをしないかって、教えてくれた人の声だ)
少しだけ掠れていて、話しているとたまに高い声になる男の人。この声は、あのとき俺に仕事を教えてくれた人だ。
俺は、そーっとコンビニの中を見た。……あの人だ。奥の飲み物が置いてあるガラスの前に、男の人が二人立っている。どっちも知らない顔だけど、真っ黒なシャツを着た男の人の声は間違いなくあのときの声だった。
(あの人、たしかボスが探してる人だ)
事務所に連れて行かれたとき、そんな話をしていた気がする。
(ええと……そうだ、サンゲンチャヤって言ってた)
その人を捕まえないといけないって言っていた。それに藤也 さんもサンゲンチャヤの話をしていた。
(あ、こっちに来る!)
慌てて雑誌の棚のほうに隠れた。チラチラ見ていたら、二人とも自動ドアを出て行った。そのまま通りを歩いて……横断歩道の前で立ち止まった。もしかしたら、このまま事務所に行くのかもしれない。
(どうしよう)
ボスが探している人を見つけた。藤也 さんも探しているのかもしれない。せっかく見つけたのに、このままじゃどこかに行ってしまう。
「……追いかけないと」
俺は急いで二人を追いかけた。せっかく買った雑誌をぎゅうぎゅうに握り締めながら、ゆっくり横断歩道に近づく。少し離れたところから、そっと二人を見た。
(お店のサングラスの人みたいだ)
サングラスはしていないけど、そんな雰囲気がする。信号が青になると二人とも歩き出した。大きい道をズンズン歩いて、途中で何度か道を曲がったら繁華街みたいなところに出た。
「ここ、どこだろう」
俺が住んでいたところに少し似ている。ってことは、きっと事務所がある。
「あ、」
繁華街から横に入った道の途中のビルに二人が入って行った。きっとここが事務所なんだ。
事務所の場所をボスに伝えないと……。そう思ってハッとした。ここがどこか俺にはわからない。周りを見ても繁華街のどこかってことしかわからなかった。
「あ、あそこに住所が書いてある」
住所が書いてあるビルを見つけた。それを言えばボスにはわかるかもしれない。
「……ダメだ」
場所よりも、もっと大事なことを忘れていた。俺はボスの電話番号を知らない。藤也 さんの電話番号もわからない。そもそも俺はスマホを持ってないから誰にも連絡できなかった。
「どうしよう」
せっかく事務所の場所がわかったのに、これじゃあ誰にも伝えることができない。
「……事務所の場所は住所を覚えれば大丈夫なはず」
俺はビルの看板に書いてある住所を何度も何度も読んだ。絶対に忘れないように、漢字もしっかり覚えた。ビルの色も形も覚えた。よし、あとは部屋に帰るだけだ。
「……どうやって帰ればいいんだろう」
ここがどこかわからないから、藤也 さんのビルがどこにあるのかわからない。
「そっか、来た道を戻ればいいのか」
全部覚えているかは自信がないけど、わかるところだけでも戻ろう。そう思って振り返ると――。
「やっぱりバイトの奴じゃねぇか」
俺に荷物運びの仕事を紹介した男の声がした。そーっと見上げた顔は初めて見る顔だったけど、ニヤニヤしていて、よくない笑顔だって思った。
「急に姿消しやがって、探してたんだぞ?」
「……」
「ちょうどタカシの野郎がとっ捕まったときだったからな。誰かがチクりやがったと思ってたんだが、まさかお前だったとはなぁ」
「……」
「おまえが紫堂の事務所から出て来るのを見てんだよ。大方、チクった礼でももらったんだろ? 紫堂んとこの坊ちゃんは、子どもに優しいって話だからなぁ」
「……」
「あれからアパートに戻ってねぇってことは、かくまってもらってたのか? あぁ、そういや紫堂の坊ちゃんはバイだって噂だったな。ってことは、イロにでもなったか。そういや高級車に乗せられてたっけか」
「……」
「ハッ! 見た目がいくらお綺麗だって言っても、こんなガキをイロにするなんざただの変態じゃねぇか。紫堂んトコも変態がボスじゃあお先真っ暗だな」
俺を捕まえた男の人が大声で笑った。後ろにいる二人も同じように笑っている。
否定したかったけどグッと奥歯を噛み締めてガマンした。こういうときは何も言わないほうがいい。小さいときから何度も見ているからわかっている。それに俺が何か話せば藤也 さんに迷惑がかかる。
(もしかしたら、ボスの事務所と仲が悪い事務所なのかも)
仲の悪い事務所だと、相手の偉い人を捕まえてひどいことをすることがある。そうして相手の事務所を潰して、代わりにその事務所が持っていたお店とかを全部取り上げるんだ。
捕まった偉い人がどうなるのかはわからない。でも捕まればひどいことをされるはず。もしかしたら死ぬことだってあるかもしれない。だから、俺は絶対に藤也 さんのことは話さない。俺が話したせいで藤也 さんがひどいことをされるなんて、絶対に嫌だ。
「オイ、聞いてんのか!」
「……っ」
俺が何も言わないから男の人が怒り始めた。近くにあった机をガン! って蹴って、また「聞いてんのかって言ってんだろうが!」って怒鳴る。怒鳴った男の人の後ろに座っていた二人が立ち上がった。それから少し近づいてきて、お店の人たちみたいな目で俺を見ながら笑った。
「痛い目を見ないと、わかんねぇようだなぁ」
サングラスの人たちそっくりの声に、体がカタカタ震えた。
(怖い……、怖い……!)
本当は、お店でこういうのを見るたびに怖くてたまらなかった。サングラスの人たちの怒鳴り声も怖かった。怒った顔が怖いとずっと思っていた。
でも、怖いって言えなかった。言ってもどうしようもないってわかっていたからだ。だからずっとガマンしていた。怖いものを見ても聞いても、怖くないって何度も思い込んだ。そうしているうちに、怖いのか怖くないのかわからなくなってきた。だから怖いものを見ても平気になったんだと思っていた。
(でも、そうじゃなかった)
本当はお母さんにも怖いんだって言いたかった。でも、そんなことを言ったらお母さんが困ってしまう。お母さんがもっと変になるかもしれない。そう思ったら言えなかった。
「……ほぉ、泣き顔は、そこそこじゃねぇか」
しゃがみ込んだ男の人が俺をじっと見ている。男の人は、黒色と金色が混ざった頭で細い目をしていた。耳は太いのや細いのや、いろんな形のピアスがついている。口にも丸いピアスがついていた。首には金色とか銀色のネックレスがジャラジャラしている。
「紫堂のイロか……。そうだなぁ、ちょっくら味見してみるか」
「アニキ、いいんですか?」
「どうせ何人もいるイロの一人だろ。喋らねぇってんなら、こっちの損害分は体で払ってもらうしかねぇよなぁ?」
ニヤニヤしている男の人の後ろで、二人が「それもそうっすね」と言って笑った。
イロとか味見とかはよくわからない。でも体で払うっていうのは知っている。風俗店のお姉さんたちと同じことをするってことだ。
俺は、いまから目の前の男の人たちにセックスされるんだって、わかった。
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