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第19話 紫堂兄弟
「一応、気を遣って昼過ぎにしたんだが予想どおりだな」
「気ぃ遣うな、予想するな、ここに来るな」
「ひどいな、わざわざ報告に来てやったというのに」
「電話かメールでいいだろうが」
藤也 さんは怖い顔をしているけど、ソファに座っているボスはニコニコ笑っている。そんなボスの後ろには金髪の人が立っていた。あのとき最初に俺を助けてくれた人だ。
(お礼を言いたいんだけど……)
起きたら声がガラガラでうまく話せなくなっていた。こんな声じゃちゃんと聞こえないだろうし、きっと嫌な気分にしてしまう。でもお礼を言いたい……どうしよう。
そう思ってもう一度金髪の人を見たら、金髪の人も俺を見ていた。慌てて頭を下げたら、金髪の人がちょっとだけ笑ってくれたような気がした。
「まぁ、起き上がれるくらいでやめたのは賢明だな」
「うるせぇ。人の性生活に口を出すんじゃねぇよ」
「おや、俺だってソウくんのことを心配してたのに」
「静流 を貸してくれたことは感謝してる」
「高くつくよ?」
「言われなくてもわかってる」
藤也 さんが少しだけ困った顔になった。怖い顔に見えるけど、たぶんこれは困っている顔だ。藤也 さんがこんな顔をしているのは、俺が勝手に外に出たせいだ。それにボスと金髪の人にも迷惑をかけた。
「藤也 さん、」
ごめんさないって言いたかったけど、ガラガラ声で続きが言えない。代わりに、隣に座っている藤也 さんの手をぎゅうって握り締める。「俺のせいでごめんなさい」って気持ちを込めて必死に握った。
そうしたら、フカフカのクッションが一個ソファから落ちてしまった。体を支えていたクッションがなくなったからか、藤也 さんの腕にぶつかってしまった。
「クッションまみれにしないと座っていられないくらいには、抱き潰したんだな」
「うるせぇぞ」
たしかに俺の周りはクッションばかりだ。だって、クッションがないとちゃんと座れなかったんだ。
目が覚めて、トイレに行こうとしたけどベッドの上で転がってしまった。起き上がろうとしても力が入らなくて起き上がれなかった。それを見た藤也 さんは「やりすぎた」って言っていた。
俺は自力で動くことを諦めた。そんな俺を藤也 さんがソファまで運んでくれた。
(ずっと藤也 さんとくっついていられるのは嬉しいんだけど……)
トイレだけは恥ずかしかった。だって、座ったあとも「倒れたら危ないだろ」ってずっと側にいるんだ。だから、手でちんこを下に向けるのもジョロジョロって音がするのも、全部藤也 さんに見られてしまった。
「ねぇ、ソウくんが真っ赤になってるけど、おまえ何したの?」
「介助全般だな」
「……思ってたより変態だな」
「うるせぇ。それより、報告に来たんならさっさと報告しろ」
藤也 さんの顔はまだ怖いままだけど、たぶんもう怒っていない。その証拠に俺の手をポンと叩いた手が優しかった。それだけで全部大丈夫なんだって思える。
「あの三人は、お望みどおり手筈を整えたよ。明日には船の底だろう」
「思ったより早かったな」
「大垣のオジキの伝手だ」
「急ぎなのに、よく手を回してくれたな」
「昔、何度か尻穴を使わせてやったんだ。これくらい当然だろう?」
「……おまえ、後ろに静流 がいるの忘れてねぇか?」
「大丈夫だよ。この子はそのくらいじゃあ暴れたりしないから。ね?」
「昔のことですから」
「なるほど、昨夜はそっちも大概だったってわけか」
「嫌だな、静流 はおまえよりずっと優しいよ? その証拠に俺はこうして自分で歩いて来てるだろう?」
「俺が優しくねぇみたいな言い方すんな。昨日は甘やかしただけだ。仕置きはまた別だ」
そうだ、俺はまだ勝手に部屋を出たお仕置きをされていない。思い出したら少しだけブルッと体が震えた。
「ほら、ソウくんが怯えてる。おまえは昔から限度を知らないからな。静流 より余程狂犬だ」
「いつの話をしてんだ」
藤也 さんとボスの話はよくわからない。でも俺がお仕置きされることはわかった。
(藤也 さんは好きだけど、でも、お仕置きは怖い)
お仕置きよりも、そのあと嫌われたらどうしようって考えるほうが怖かった。お仕置きをして、やっぱりいらないと言われたらどうしよう。
「本当におまえは、どうでもいいことにはよく頭が回るな。言っておくが、お仕置きしても嫌いになることはねぇよ。昨日も言ったが、何があっても俺が蒼 を嫌いになることは絶対にない」
藤也 さんは俺に嘘をつかない。だから、好きでいてくれるっていうのも嘘じゃない。
「藤也 さん、」
「あぁ、ほら泣くな。んな可愛い顔、藤生 に見せんじゃねぇよ、もったいねぇ」
「藤也 さん、俺、ぉれ、」
「おまえの考えてることは大体想像がつく。心配すんな。俺はおまえを置いていかないし嫌いにもならない。ずっと俺の側にいりゃあいい」
「……ぉれ、藤也 さんが、好き、」
ガラガラの声だったけど、どうしても言いたくてもう一度「好き」って言った。そうしたら藤也 さんがぎゅうっと抱きしめてくれた。俺と藤也 さんの間にあったクッションが一個落ちてしまったけど、そのままぎゅうぎゅうに抱きしめてくれる。
「やれやれ。なんとも感動的なシーンだな」
「少しずつ自覚し始めてるんだ。しばらくは情緒不安定だろうな」
「ま、ソウくんがそんなだから、あんなことがあっても壊れなかったんだろうしね」
「そこは良かった点だろうが、いつまでもこのままって訳にもいかねぇだろ。少しずつ変わっていくしかねぇ」
「そうなったとして、昨日のことに耐えられると思うか?」
「俺が全力で愛してんだ、耐えられるに決まってんだろうが」
「うわ、ちょっと気持ち悪い」
「ぶん殴るぞ」
「だって、こんな藤也 なんて見たことない。四十年見ているけど、こんな気持ち悪いのは初めてだ」
「……おまえ、本当に殴られてぇのか?」
藤也 さんの声が低くなった。これはちょっと怒っているときの声だ。……もしかして、ボスとケンカするってことだろうか。
「ぁの、藤也 さん、ケンカは、ダメだと思います」
顔を少し上げて小さい声でそう言った。藤也 さんもボスも偉い人だ。偉い人同士がケンカしたら大変なことになる。心配する俺の頭を、藤也 さんがポンと撫でた。
「藤生 とは喧嘩にならねぇから心配すんな」
「おや、俺としては久しぶりに兄弟喧嘩してもよかったんだけどな」
ボスの言葉に驚いて、思わずボスを見つめてしまった。
「あれ? ポカンとしてるってことは、教えてなかったのか?」
「必要性も必然性もねぇだろ」
「ひどいなぁ。藤也 の恋人なら、俺にとっても兄弟みたいなものじゃないか」
「おまえと関わらせるつもりは一切ねぇから安心しろ」
「俺はソウくんと仲良くするよ?」
「すんな!」
否定しないってことは本当に兄弟なんだ。……どっちがお兄ちゃんでどっちが弟なんだろう。
「あ、俺もソウくんが考えてることがわかった。いま、どちらが兄でどちらが弟かって思っただろう?」
「え、と、……はい」
「兄弟だけど兄とか弟とかはないんだ。俺たちは双子だからね、対等ってことにしている」
「ふたご、」
「そう。小さい頃は顔もよく似てたのに、なぜか藤也 はこんな怖い顔になってしまった。ね、藤也 の顔って怖いだろう? 俺はこんなに美人なのに」
「うるせぇぞ。自分で美人とか言ってんじゃねぇよ」
「だって本当のことだろう? 俺くらいの美人、女でもそういないからな」
ボスが綺麗な顔で笑った。
(たしかに、ボスはすごく綺麗だ)
お店のお姉さんたちでもこんなに綺麗な人はいなかった。そんなボスと藤也 さんはたしかに似ていない。
でも、藤也 さんが怖い顔っていうのは違う。ちょっと怖いときもあるけど、それは俺がちゃんとできないときだ。それに笑うことだってたくさんあるし、どんな顔でもかっこいい。
「あの、ボスが綺麗なのは、わかります。でも、藤也 さんは、怖くないです。かっこいいです」
ガラガラ声だけど、うまく聞こえただろうか。そう思ってボスを見たら変な顔をしていた。後ろに立っている金髪の人も少しだけ目を大きくしている。
「……なるほど。ソウくんが藤也 にベタ惚れだってことは、よーくわかった。ま、たしかに顔の造作はピカイチだから、ソウくんの審美眼は正常だ」
「蒼 は俺だけ見てりゃいいんだよ」
「うわ、やっぱり気持ち悪いな」
「うるせぇ。報告がそれだけなら、さっさと帰れ」
「はいはい。邪魔者は退散するよ」
立ち上がってドアを開けたボスが、「おっと、忘れるところだった」と言って振り返った。
「三玄茶屋 のほうだが、あのボンボンにシャブを回していた二番手も潰しておいた。これであの辺りも少しは静かになる。会長もそろそろ歳だし、このあたりで隠居願うことになるだろう」
「紫堂が出張るのか?」
「いや、大垣のオジキと鷹木のオヤジで分割だ。紫堂は、あくまでもホワイトグレーな組織だからな」
「鷹木とはまた、えらく大物を引っ張り出したな」
「鷹木のオヤジには上の口も下の口も使わせてやったんだ。今後も俺のために働いてもらうさ」
「俺はこいつが安全なら、それで十分だ。そっち側のことはおまえの好きにすればいい」
「当然だ。遠慮なく喰らい尽くしてやるよ」
「金と情報くらいなら何とかしてやる」
「へぇ、珍しいな」
「蒼 が世話になったからな」
「そのうち返してもらうさ」
ボスがニコッと笑ってから金髪の人と部屋を出て行った。最後のほうはやっぱり意味がわからなかったけど、藤也 さんは怖い顔をしていない。ってことは怒るようなことは何もなかったってことだ。
(……でも、何もわからなかった)
藤也 さんとボスの話はほとんどわからなかった。きっと俺の頭が悪いからだ。これじゃあ藤也 さんの側にいられなくなるかもしれない。頭が悪い恋人なんて、かっこいい藤也 さんには似合わない。
(俺、やっぱり藤也 さんの役に立ちたい)
もっと勉強して仕事もして藤也 さんの役に立ちたい。藤也 さんとずっと一緒にいるためには、もっと役に立てるようにならないとダメだ。
「俺、藤也 さんの側にずっといたいです」
どうしても言いたくて、藤也 さんの腕を掴んでそう伝えた。そうしたら藤也 さんの大きな手が背中を撫でてくれた。俺はぎゅうぎゅうに抱きしめながら、もっとたくさん勉強しようと決意した。
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