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第20話 恋人の日常1

「さむ」  マンションの自動ドアが開いたら、ピューッて冷たい風が入って来た。いつも暖かい部屋にいるから冬だってことを忘れそうになる。  藤也(トウヤ)さんが買ってくれたコートを着て、ふわふわのマフラーを巻いてマンションを出た。目的地は大通りを真っ直ぐ行った先の、大きな公園の隣にある大きな本屋さんだ。  コートのポケットには藤也(トウヤ)さんにもらったスマホを入れた。右の手首には桜色のアクセサリーもちゃんと着けてある。朝、藤也(トウヤ)さんに本屋さんに行くこともちゃんと話した。 「よし」  外は寒いけど、中がモフモフの靴だから足も寒くない。コートの下も藤也(トウヤ)さんが買ってくれた暖かい服を着ているから大丈夫。  大通りを歩き、大きな公園に行くため横断歩道で信号が青になるのを待つ。コートを着ていても立ち止まったらやっぱり寒い。そんなことを思っていたら「ねぇ」と声をかけられた。 「ねぇ、一人?」 「はい」  誰だろう? 顔は見たことがない。声も聞いたことがない。ってことは知らない人だ。 「きみ、可愛いね。高校生? まさか中学生……じゃあないよね」 「中学生でも高校生でもないです」  中学校は一応卒業したし、高校には行ったことがないから高校生じゃない。 「じゃあ大学生かな? 小さくて可愛いから高校生かと思った」  大学にも行っていないから大学生でもない。だから否定しようとしたけど、俺が答える前に「ねぇ」って話し始めたから口を閉じた。 「一人ならカフェ行かない? 今日、寒いよね? あったかいカフェラテ飲もうよ。あ、パンケーキとか好きなの食べてもいいからさ」  たしかに今日は寒い。でも、寒いとどうして知らない人とコーヒーを飲むことになるんだろう。 (変な人だな) 「ね、どう? そこの公園に、おしゃれなカフェがあるんだけどさ」  公園にあるカフェは知っている。藤也(トウヤ)さんと一緒に何回か行ったこともある。あのお店のコーヒーは悪くない程度だって藤也(トウヤ)さんが話していた。それに、パンケーキよりタルトのほうがおいしい。 (そのこと、教えてあげたほうがいいのかな) 「ねぇ、行こうよ。ここじゃ寒いでしょ」  でも、この人は知らない人だ。わざわざ教えてあげなくてもいいような気がする。 「きみ、可愛いから何でも奢ってあげるよ?」  知らない人に食べ物をもらうのはよくないことだ。変な薬を入れられて眠らされて、そのまま知らないところに連れて行かれるぞって藤也(トウヤ)さんが教えてくれた。とくに、俺を可愛いって言う知らない人には気をつけろとも言っていた。 「行きません」  それに俺は本屋さんに行かないといけないんだ。今日は英語の本と料理の本、それから藤也(トウヤ)さんの写真が載っている雑誌も買おうと思っている。早く行かないと売り切れてしまうかもしれない。 「もしかして用事ある? ちょっとくらいいいでしょ? ねぇ、何でも奢ってやるからさ。あ、もしかしてカラオケのほうがいい? それともゲーセン行く? どこでも連れてってやるよ?」 「行きません」 「いいじゃん、ちょっとくらい。ほら、行こうよ」 「ちょ、っと」  行かないって言ったのに腕を掴まれた。その瞬間、体がビクッと強張った。  知らない人に触られるのは嫌だ。腕や手を掴まれるのも怖い。他人に触られると気持ち悪くて吐きそうになる。 (嫌だ、離せ、気持ち悪い!)  掴まれた腕を振ろうとしたとき「俺の連れに何か用か?」って声が聞こえてきた。 (藤也(トウヤ)さん!)  藤也(トウヤ)さんの声が聞こえただけで怖くなくなった。思い切り腕を振って藤也(トウヤ)さんのところに走って行く。 「んだよ。俺が先に声かけ、て……」 「俺の連れに用があるのかって聞いてんだが?」 「あ、いえ、何も、ないです」  そう答えた知らない人が、ぴゅーって走って行った。 「ったく、油断も隙もねぇな」 「藤也(トウヤ)さん」 「大丈夫か?」  知らな人に握られた腕を藤也(トウヤ)さんがゆっくり撫でてくれる。それだけで気持ち悪くなくなった。藤也(トウヤ)さんって、やっぱりすごい。  それに今日もすごくかっこいい。朝見たばかりなのに、思わず何回も全身を見てしまった。  いつものかっこいいスーツに、今日は黒くて長いコートを着ている。周りにもそういう人たちはたくさんいるけど、かっこいいからすぐに見分けられる。テレビでいろんな芸能人を見るけど、絶対に藤也(トウヤ)さんのほうがかっこいい。 「あー、ポーッと見惚れてくれるのは嬉しいんだが、本屋に行くんだろ?」 「そう、だけど。あの、なんでここにいるの?」 「この時間に本屋に行くって言ってただろ」 「言ったけど、でも、仕事は?」 「高宮なら巻いてきた」  そう言って藤也(トウヤ)さんがニヤッて笑った。高宮さんっていうのは藤也(トウヤ)さんの秘書って人だ。何回か会ったことがあるけど、眼鏡をしていて俺と同い年の娘がいるって言っていた。  高宮さんは俺には優しいけど、藤也(トウヤ)さんにはたまに怖い顔をする。たぶん、こうやって仕事の途中で抜け出すからだ。 (抜け出したら駄目だと思うけど、俺が言うのも変だしな)  それに、後で高宮さんが怒るような気もする。  藤也(トウヤ)さんは社長だから秘書よりも偉い。それなのに高宮さんのほうが偉く見えるときがある。高宮さんに怒られている藤也(トウヤ)さんを見たことがあるけど、怖い顔をしながらもおとなしく怒られていた。それを見たとき、本当は高宮さんのほうが偉いんじゃないかなって思ったくらいだ。 (同級生だからなのかな)  藤也(トウヤ)さんと高宮さんは中学から大学までずっと一緒だったって聞いた。それだけ長く一緒にいるから、高宮さんは藤也(トウヤ)さんを怒ることができるのかもしれない。  俺はそんな高宮さんがちょっとだけ羨ましかった。だって、高宮さんは中学生の藤也(トウヤ)さんを見ていたってことだ。高校生のときも大学生のときも見ていただろうし、かっこいい藤也(トウヤ)さんをずっと見ていたなんて羨ましすぎる。 (でも、高宮さんに怒られるのはちょっと怖いかも)  何回も怒られているっぽいのに、藤也(トウヤ)さんは怖くないんだろうか。 「あの、また怒られるよ?」 「あー、それは面倒臭ぇなぁ」 「じゃあ、仕事に戻ったほうが、」 「(アオイ)とデートして、一緒に帰ってからやるさ」  藤也(トウヤ)さんが俺の手を握った。そのまま大きなコートのポケットに一緒に手を入れる。ポケットの中は暖かくて、藤也(トウヤ)さんの手はもっと温かかった。俺はドキドキしながら藤也(トウヤ)さんのポケットに手を入れて本屋さんまで歩いた。  本屋さんでは英語の本と料理の本、最後に雑誌を取った。雑誌を見た藤也(トウヤ)さんが「藤生(フジオ)に聞いたのか」ってちょっと怖い声を出した。  もしかして怒られるだろうか。そっと見た顔は怒っているようには見えなかったけど、ちょっとだけ呆れたような顔をしているように見えた。

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