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第6話┋ずっと一緒にいてほしいなんて、言えるわけもない
「たらいま〜」
ちょうど、日付が変わった瞬間だった。
飲み会に行くと事前に聞いていたから、一時くらいまでは、寝ずに高松を待ってやろうと思っていたのだ。
玄関に迎えに行く前から、気の抜けた声で相当酔っていることが分かる。
「おかえり。ああもう……立てるか?」
高松は玄関に座り込んでいた。肩を貸そうと近づいたが酒くさいし、iQOSではない紙タバコの匂いがする。この感じは相当飲んできたな。
「尾上さんすき〜。ちゅーしようよ」
「はいはい。分かったから」
高松は抱きついて甘えてくる。俺の首筋に鼻を寄せて匂いを嗅いでいる。
玄関で酔っ払いの相手なんかしたくはないし、適当にあしらって、ここから動かさなければならない。しかしこの男、多少なりとも鍛えているから重いのだ。万年運動不足、非力な俺の力では運ぶのも一苦労。
「立てるか?」
「うん。立てますよ〜」
そう言いながら、高松は壁伝いにフラフラと立ち上がった。抱えるように肩を貸して、高松を引き摺るようにして歩く。なんとかベッドまで運び込むことが出来た。
「今水持ってきてやる」
「ありがと、尾上さん」
随分と酔っ払った彼のため、コップに水を用意する。あの様子じゃ手元がおぼつかないだろうから、俺が飲ませてやらないと自力では飲めないかもしれない。
キッチンに行って戻ってくる、その僅かな時間で、高松は寝息をたてて眠りについていた。限界だったのだろう。まあ、帰ってきてくれただけ何倍もマシだ。道端で力尽きていたら、俺も困ってしまう。
……心配だから。
高松はスーツのまま眠ってしまったから、なんとかジャケットを脱がせ、ベルトを外してスラックスをずり下ろした。シワになるといけないだろう。
何度かこうして世話を焼いているが、そこそこ大変な作業だ。
一息ついて、高松の顔を覗き込む。穏やかな顔で眠っていた。
高松は酒癖が悪い。飲み会が好きでとにかく騒ぎたいから、大して強くもない酒を浴びるように飲む。こうしてベロベロになって帰ってきたことも一度や二度ではない。その度に俺は、大変な思いをして高松を寝室に運び込んでいるのだ。あまり本人には言わないけれど。
高松が酔っ払って帰ってくると、初めて身体を重ねた日のことを思い出してしまう。あの日、酔ったフリまでした高松にまんまと騙されて、部屋まで連れ込まれたんだ。今になって思えば、本当に酔っている時と全く様子が違った。何度も飲みに行って、高松が酔っ払う姿も見てきたのに、どうして気が付かなかったのか。千鳥足ではあったが、自力で歩けていたし、そもそもそこまで飲んでもいなかった。
耳元で一緒に来てと囁かれただけで、浮かれて、そんな簡単な嘘すら見抜けなかったのだ。恋の病だか、惚れた弱みだかは重症らしい。
「ほんとに仕方ないやつだなあ」
ジャケットをハンガーにかけていると、ポケットの中に何かが入ってることに気がついた。
何の気なしに手を突っ込んでみた。一つはタバコの箱。もう一つはライターだった。カラオケクラブ『あかり』と書かれたライターだった。
少しだけ胸の奥がざわついた。
昔流行ったカラオケスナックの類だろう。スナックとクラブの違いはよく分からないが、キャバクラでもないんだから、女の子をはベらせて密着して……なんてことはないと思う、たぶん。
大方上司に連れられて行っただけだ。ボックス席でハイボールを煽り、ノリノリでカラオケを歌う姿が目に浮かぶ。こいつは自他ともに認めるお祭り男だから、容易に想像出来る。
高松からはタバコの重みを感じられる匂いがする。これはiQOSの匂いではない。
ポケットに入っていたのはハイライトのメンソールだった。紙巻タバコを吸いたくなったのだろうか。酒が入るとタバコが増えるのは分かる。
その時使った店のライターを、無意識にポケットに突っ込んだのだろう。
それでも少しだけ気に入らない。そりゃ付き合いってものがあるから、行かないでくれなんて言えるわけがない。高松自身も飲み会が好きだから、楽しみを奪うこともしたくない。
でも、本当は少し嫌だ。女の子が胸元を開けていても目を奪われないでほしい。言い寄られても応えないでほしい。
対抗意識を燃やしているわけではないんだ、断じて。
たかだかスナックやクラブくらいでこんな気持ちになっている。もし、まあないとは思うが、風俗に行ったと分かった日にはどうなることか……自分でも想像がつかない。遊び上手らしい高松が『店の女』とどうこうなるなんて思ってはいない。思ってはいないが、気に食わない。なんなんだ、この複雑な気持ちは……!
「ああもう……お前のことになると、自分が分からなくなる」
高松は寝息を立ててすやすやと眠っている。頭を撫でてやるが、起きる気配はない。
高松と出会ってからというもの、時折知らない自分が顔を出す。他人と分かり合えることなんてないと思っていたから、恋人であろうと去るものは追わなかった。気持ちが離れてしまうのは仕方のないことだ。大人になってからは尚更そう思う。
「ずっと一緒にいてくれないかなあ……」
無理は言わないけれど、本当は一緒にいてほしい。気にしてほしくないから本人にも言わないでいる。
でも、今は眠っているから、ついつい本音を漏らしてしまう。俺はこんなにも狭量で嫉妬深い人間だったのだろうか。
「はあ……ダメだ」
こんな感情、さらけ出せないよ。
いもしない敵に嫉妬しているなんて、恥ずかしくて情けなくて言えたものじゃない。
ライターは自分の部屋に持っていった。チェストの引き出しを開け、その奥深くにしまった。
眠りが浅かったのか、早い時間に目が覚めた。
休みなのにもったいない。二度寝をするだけの眠気はなかったから、たまには早起きするかと思い、リビングに出る。
コーヒーメーカーのスイッチを入れ、カーテンを開けた。
目覚めの一服。吸い慣れたメビウスを一本取り出して、安っぽいオイルライターで火をつける。ため息をつくようにゆっくり息を吐き出すと、自然と頭が冴えていく感じがした。
目的もなくテレビを点け、ニュース番組を流し見してはコーヒーを飲んでいると、高松の部屋から物音がした。時計を見ると、まだ七時だ。
二日酔いが酷いのか、高松は頭を押さえてリビングに入ってきた。インナーシャツと、蛍光ピンクがアクセントになった黒いボクサーパンツ、髪は寝癖だらけで随分とだらしない姿だ。
この情けない姿を知っているのは、俺だけだ。
「尾上さん、昨日ほんとごめん! また運んでもらっちゃったみたいで」
「おはよう。慣れてるから大丈夫だ」
開口一番、平謝りされた。軽い冗談だが、酔ってベロンベロンになった高松を何度か介抱しているから、慣れてしまったのは事実だ。
それに、世話を焼けるのはちょっとだけ嬉しい。
「シャワー浴びてこいよ。朝メシはパンでいいか?」
「パンがいいです! ありがとう、シャワー行ってきますね」
コーヒーを飲み終わったら、脱衣所にタオルと服一式を用意しておこう。パンを焼いて、高松のコーヒーには牛乳を入れてみよう。牛乳とコーヒーは二日酔いに良いらしいから。
高松が戻ってくるまでずっと考えていた。
俺は高松のライターをくすねたのだと正直に言うべきなのだろうか。隠し事も得意でないし、いつかはバレてしまう。その時、俺はなんと言い訳するんだろう。
シャワーを浴びて、バスルームから帰ってきた高松をちらりと盗み見る。髪は既に乾かしてきたようだったが、まだ半裸だ。
「昨日、スーツ脱がせてくれたんですよね」
「そうだな」
ちらりと高松を盗み見る。適度に筋肉のついた腹。鍛えているのが分かる、見栄えのいい身体だ。
「毎度ごめんね。ポケットにライター入ってませんでした?」
「……い、いや、無かったよ」
一瞬口ごもる。上手く取り繕えただろうか。
「そっか、どっかに置いてきたのかな。飲んでたらiQOSじゃ物足りなくて、ハイライト買っちゃったんです。ライター貸してもらえませんか?」
高松はタバコをテーブルに置いた。鮮やかな緑が目立つパッケージだ。自室から持ってきたのだろう。
「ああ、良いよ」
眼前にあるライターを差し出そうとして、動きを止める。
やはり言うべきなのか。交際相手の物とはいえ、人の物を隠してしまうのは良くないことだ。このままで良いのだろうか。後ろめたい気持ちを抱えたままで良いのだろうか。
俺は目の前の高松のことも忘れ、しばらく葛藤していた。
「尾上さん……?」
「……ちょっと待ってろ」
高松は不思議そうな顔をしていた。
すぐに戻るからと念押して、自室に入る。チェストの引き出しを開け、昨日奥底に閉まったライターを取り出した。
ライターを握ったまま、その場で立ち尽くす。
本当のことを話そうと決めたのは自分だ。それでも緊張してしまう。しかし、全ては余計なことをしてしまった自分が悪いのだ。
自室の扉の前で大きく息を吸って、ドアノブに手をかけた。
俺を待っている間に高松はダイニングテーブルに着き、俺の入れたコーヒーを飲み、Tシャツを着ていた。なんの説明もせず放ったらかしてしまい、申し訳ないと思った。
高松の目の前まで近づいて、握りこんでいたライターを見せる。少しの間、なにも言えなかった。
「高松、これ……」
高松はライターを受け取った。すぐにスナックのものだと気がついたようだった。
「昨日行ったとこのやつ、あったんだ」
「お前のポケットから出てきて……その」
そこから先の言葉が上手く出てこない。言葉に詰まれば詰まるほど、怪しまれるというのに。高松は察しがいいから、俺が何を考えているのか、きっと分かってしまう。
「……ああ。いかがわしい店じゃないから、安心してね」
「でも、なんかその、あるだろ……。こう、そこまで露骨じゃないけど、それっぽい感じ」
どうしても、しどろもどろになってしまう。
羞恥もあるが、そういう店にほとんど行ったことがないから、上手く表現出来ない。
「ふふ。まあ、スナックなんて幅広いから言いたいことも分かりますけど、昨日のとこはけっこう硬派な店でしたよ。俺に求められてるのは盛り上げ役なんで、まあカラオケ係かな」
高松はそれから何曲か十八番を挙げて、サビのワンフレーズを歌い出す。俺でも知っている、有名で盛り上がりそうな曲だった。
「お前が歌ってるの、目に浮かぶな……」
「そうでしょ。今度カラオケ行きます?」
「あんまり得意じゃないんだけど、まあ行くか」
高松とならどこへでも行ける気がした。
カラオケは苦手だ。歌もそこまで得意じゃないし、流行りの歌も歌えないけれど、それでも、高松とならきっと楽しいんだろう。
「それにしても、どうして尾上さんの部屋からそのライターが出てくるんですか?」
一瞬、身体が固まってしまった。
160キロのストレートでど真ん中を討ち取られた気分だ。上手く流せたと思ったのに、高松は許してくれない。
「もしかして、妬いた?」
高松は口角をつり上げていた。こちらをおちょくっているような、嫌な笑みだった。泳がされていたのだと分かり恥ずかしくなる。
「……別に?」
妬きましたなんて素直に言えるわけがない。そもそも認めたくもない。いい歳したおっさんのくせに余裕もなにもないなんて。
「大丈夫だよ、尾上さん」
高松は椅子から立ち上がり、俺の両手を優しく包み込んだ。
「家に帰ったら、素直で可愛くてやらしい恋人がいるのに目移りなんてしないよ。するわけない」
高松はあまりにも真っ直ぐだった。その真剣な眼差しに射抜かれてしまった。
高松はきっとモテる。それでも俺と一緒にいてくれるのが嬉しくて、欲をかいてしまう。
やっぱり俺は狭量なんだ。高松を独り占めしたいとそう思ってしまう。
「俺はなんも言ってない……」
「顔に書いてあるよ」
優しく、包み込むように抱きしめられた。風呂上がりの、ボディーソープの匂いがする。
高松の身体は温かかった。
「好きだよ」
背中をさすられて、言葉に詰まってしまう。
顔が見えないのを言い訳に、泣いてしまおうとも思った。しかし、涙は流れなかったのだから仕方がない。
こういう時はきっと、笑っていた方が良い。その方が高松も嬉しいと思うから。
「俺も、好き……」
俺にはお前だけなんだと、何度も何度も思った言葉が、頭から離れてはくれなかった。
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