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第8話┋ひとりじゃない

 夕方の国道八号線は混みあっていた。  平日の朝や夕方なら、通勤ラッシュに巻き込まれるのも分かる。しかし、今日は土曜だというのにやたらと混んでいる。  足繁く通っているゲームセンターに、二人で行った帰りのことだ。お互いの休日が合う日は、車を一台に乗り合わせて、遊びに行くことも多い。 「なんか今日、進むの遅いな」  運転席の高松に声をかけた。 「この近くでお祭りやってるんですよ。花火大会もあるんで、夕方くらいに混み始めるのかも」 「全然知らんかった……」  そういえば、朝に空砲が鳴っていた気がするなあ。  それにしても、渋滞は思ったより酷い。先程から自転車と変わらないスピードで走っている。  自分が運転しているわけでもないのに、ストレスを感じて、ポケットに入れていたタバコを取り出した。 「もうちょい進んだら裏から抜けるか。このままじゃ、帰りがいつになるか分からん」  少しだけ窓を開けると、エアコンの効いた車内に生ぬるい風が入ってくる。押し返すように煙を吐いて、中央のドリンクホルダーに設置した、灰皿に灰を落とす。 「夏祭りか……」 「気になりますか?」  最後に行ったのは、十年ほど前だろうか。 「よし。せっかくだから、行ってみるか!」 「おっ、良いですね」  一人なら興味のないことでも、高松と一緒ならきっと楽しいのだと、そう思う自分に驚いていた。 「花火は何時から?」 「たしか二十時だったと思うんですよね」  行くと決まれば俄然乗り気になる。タバコ片手にスマホでホームページを開いて、花火の打ち上げ開始時間と駐車場の場所を確認する。  花火の打ち上げは確かに二十時からで、二時間ほどの余裕がある。  もう裏道には出られるほど車も進んだし、ここから十分も走れば着く距離だろう。 「じゃあ、それまで腹ごしらえするか!」  昼は軽いものしか食べなかったから、腹が減っている。  焼きそばが食べたい。屋台だったら焼き鳥で一杯引っ掛けるのも……。いや、高松に運転させておいて、流石にそれはないだろう。 「俺もお腹空いてきちゃった。早く行きましょ!」  思うように進まない国道を抜け出して裏道に入ると、今までの混雑が嘘のようにスイスイ進めた。土地勘があると、こういう時に楽が出来る。 「結局屋台ですよね」 「祭りなんて食いもんがメインだろ」 「尾上さんって、花より団子って言葉似合いますよね」 「今バカにしただろ。お前だってたいして変わらないのに」  俺も浮かれているのか、声を上げて二人で笑いあった。  川沿いに屋台が立ち並んでいる。  時刻は十九時に近づき、そろそろ日も落ちる頃だというのに、屋台の光で辺りはまだまだ明るい。  祭り囃子と人の声、お面をつけた子供に浴衣を着たカップル。華やかな祭りの雰囲気に一瞬で飲み込まれた。 「人すごいですね」  見渡す限り人だらけだ。 「もうすぐ花火始まるからな。俺たちもさっさと腹ごしらえするか。お前も焼きそば食べる?」 「俺も食べたいです!」  高松も浮かれているのか、屋台の『焼きそば』の文字に向かって、足早に歩き出した。  白いシャツの高松を追いかける。人混みに紛れないよう、軽く手を握った。高松は少し驚いてこちらを確認していた。俺だと分かって嬉しかったのか、優しく微笑んで、繋いだ手を握り返してくれた。  夏祭りで手を繋いで歩くなんて、人前でイチャつくカップルみたいだと思い、恥ずかしくなる。  きっと雰囲気に飲まれているからなんだろう。目立たないし、誰も見ていないから、少しくらいは良いだろうと自分に言い聞かせた。   焼きそばの屋台に着いても、高松は手を離そうとしない。財布を取り出す直前まで手を引かれ続けた。  温もりが離れていくのは寂しい。人目も気にせずもっと繋いでいたかったなんて、きっと気の迷いだ。祭りの熱気にあてられているだけだ。 「これだけじゃ足りないから、もう一個何か買ってから食うかな……」  焼きそば片手に辺りを見回してみる。 「アレなんてどうですか」  高松が指を指した『アレ』とは、チョコバナナのことだった。確かに祭りでもないと食べないものだろう。普段はあまり甘いものを食べないけれど、せっかくの機会だ。 「いいな。じゃあ、俺買ってくるわ。焼きそば持ってて」 「はーい」  屋台の前方に並べられた大量のチョコバナナ。茶色のものと白いものを一本ずつ選んだ。  ポケットに手を突っ込む。ゲームセンターで両替した百円玉の残りがそれなりにあった。その中から代金を支払って、すぐに高松の元に駆け寄る。  予め目星を付けておいた場所に移動し、芝生に腰を下ろした。  オーソドックスな茶色のチョコバナナを高松に渡す。 「なあ、お前こういうの好きなんだろ?」  高松は不思議そうにこちらを見つめてくる。その視線を引きつけるように、軽く舌を出し、白いチョコバナナを根元から舐め上げ、先端に口付けた。 「……なんだよ。フランクフルトの方が良かったか?」 「あのさあ……そういうの、大好きだけどさあ」 「ふふ。結局好きなんだな」  目を見開いて驚く高松の顔は傑作だった。こんなにくだらないことでも分かりやすく反応してくれるから、ついついからかってしまう。 「もしかして、そのためにわざわざ白いの買ったんですか?」 「そうだけど?」 「……無駄に手が込んでる」  空腹で鳴り続けていた胃袋に焼きそばとチョコバナナが収まった。チョコバナナは意外とボリュームがあり、思ったより腹は膨れた。それでも、せっかくの祭りをこれだけで終わらせてしまうのは惜しい。  よし、第二陣行くか。  ベビーカステラ、じゃがバター、今食べるには重いものばかりだ。今はきゅうりの一本漬けくらいの軽いものがいい。いや、焼き鳥も捨てがたい。やっぱり一杯引っ掛けたくなってしまう。  ふらふら歩いていると、ある一角に子供が集まっている。横目で見ると、金魚すくいの屋台だった。  懐かしいなあ。  子供の頃は金魚すくいなんてさせてもらえなかった。今みたいに、遠巻きに見ているだけだった。 「金魚もだけど、俺生き物飼ったことないんですよね」  高松も金魚すくいが気になったようだ。 「なんか、動物に好かれそうなのにな」 「自分のことだけど、そのイメージ分かる気がします」  そう言って高松は笑った。 「俺は猫飼ってたんだよ。ちゃんと世話もしてたぞ」  ふと、昔のことを思い出してしまった。  子供の頃に飼っていた猫。俺が拾ってきた雑種の子猫のことだ。世話をする、大切に育てるからと両親を説得し、最期のその時まで家族として一緒にいた。 「猫好きなんですか? 俺はアレルギーとかもないし、尾上さんが迎えたいなら……」 「もう、何も飼う気はないよ。……俺より先にいなくなるんだから」  その時の喪失感を、俺はもう二度と味わいたくない。お別れなんて、したくないに決まっている。 「……そっか」 「なんか、しんみりさせちゃって、ごめんな」  しけた雰囲気にしたかったわけではない。ちょっとだけ場に似合わないことを思い出してしまっただけだ。 「……よし! 食べよう!」  せっかくの祭りなんだから、パーッといかなければ楽しくない。  さっきすれ違ったおっちゃんの右手に、プラカップに入ったビールを見てしまった。  ……飲みたい。  キンキンに冷えた中ジョッキの方が美味しいはずなのに、やたら美味そうに見えるのは何故だろう。 「せっかくだしビール飲む? それなら、俺が運転するけど……」 「今日はいいですよ。飲むなら一緒に飲みたいし。今はこういう甘いものの方が食べたいかな。ほらこれ! ……綺麗ですね」  高松の視線の先に、きらきらと光る飴細工。  りんご飴の屋台のようだが、俺のよく知るオーソドックスなものばかりが並んでいるわけではない。 「へえ……今はりんご飴でも色んなのあるんだな。青とか紫も。これは、みかん飴?」  チョコレートや抹茶をまぶしたものもあれば、そもそもりんごじゃないものまである。こういうのをまとめてフルーツ飴というらしい。 「買いませんか? 小さいのなら食べきれるんじゃないかな」 「じゃあ、買ってみるか」  ポケットから小銭を取り出した。 「すいません。オレンジと紫の小さいやつ一つずつ!」  百円玉を六枚渡して、小ぶりのりんご飴を二つ受け取った。飴細工がつやつやと光って綺麗だった。 「あ……もうこんな時間。花火見ながら食べましょうか。俺、穴場知ってるんですよ」  はぐれないようにと高松に手を引かれ、人混みを抜ける。屋台の列から少し離れた、河川敷の階段に二人で座った。  辺りにちらちらと蛍光色の光が飛び交っている。おそらく蛍の光だろう。 「このオレンジ色のりんご飴、なんかお前っぽいよな。こういうのアレ……なんて言うの、イメージカラー?」  明るくて、自然と周りに人が集まる、太陽みたいな高松にピッタリの色だ。 「じゃあ尾上さんは紫ですかね? 品のある感じ。いや、どっちかというとグレーのような気もするけど」 「そんなもんなのか。自分じゃわかんないもんだなあ」  自分のイメージカラーなんて考えたこともなかった。自分なんか黒だろうと思うから、意外な答えだ。  他人から見た自分と、自分が思う自分では差があるのかもしれない。 「お前から見て、俺はどんな奴なんだ?」  ずっと気になっていた。高松から俺はどう見えているんだろうと。 「素直で優しい人ですよ。尾上さんは人と壁作っちゃうから、みんな知らないかもしれないけど。……勿体ないですね、こんなに素敵な人なのに」  買い被りすぎだ。  暗くて人付き合いも悪く、何かに打ち込む情熱もない。長い間、自分をダメな人間だと思っていたのに。 「なあ、高松。俺と一緒にいて楽しいか」  高松はきっと、楽しいと言ってくれる。欲しい答えをくれる。それなのに、答えを聞くのが怖いんだ。  冷たいアスファルトの上で、高松の手を握る。何かを訴えるように右手を重ねてしまう俺は、ずるい。 「楽しいですよ。急にどうしたんですか」 「……俺さ、高松のこと本当に好きなんだなって思うことがあるんだ。他人事みたいだけど」  高松と一緒にいると楽しい。高松は明るくて面白くて、そもそも良い奴なんだけど、それだけじゃない。優しくて、俺のことを一番に考えてくれる。高松と一緒にいると、幸せだ。  果たして、俺のこの気持ちは伝わっているのだろうか。 「作ってくれた夕飯を食べる時、隣で一緒に映画を見てる時、デートしてる時も。何回も何回も、お前のこと好きだなって思ってるんだぞ」  もちろん良い事だけじゃない。煩わしいこともあれば、嫌な部分が見えることだってある。それでも、その何倍も高松を愛しいと思っている。  他人に歩み寄ること、そして誠実であること。閉じていた俺の心を開いて、俺の世界を広げてくれたのは、紛れもない高松、お前なんだよ。 「……ありがとな」 「俺こそ、感謝してるんですよ。俺も尾上さんと生活してて楽しいことが多すぎて、あんまりにも幸せだから」  暗くてよく見えないけれど、高松はこういう時……きっと笑っているんだ。  二十時を迎えしばらく待っていると、気の抜けるような音がした。  すぐに色とりどりの火花が咲いて、遅れて音がする。 「花火、綺麗ですね」  こんなに綺麗なのに、すぐに散ってしまうんだからもったいない。儚いから綺麗なものもあるんだと人は言うけれど、俺はずっと見ていたくなってしまった。  不健康で不摂生だからいつかポックリ逝くだろう、そう長くも生きられないだろうと思っていたのに。  ずっと高松の隣にいたい。最近はそんなことばかり考えている。 「……綺麗だな」  横目で高松を盗み見る。  この世で一番綺麗な横顔だった。闇のように暗く、黒い瞳に色とりどりの花が咲いて、彼の目を輝かせていた。  思わず息を呑む。  ああ。こんなに綺麗な君を、俺は知らなかったんだ。  重ねた指先に力がこもる。この手を離したくない。きっと、高松はどこにも行かないと信じているけれど、根拠なんてない。 「高松。なあ……ずっと一緒にいてくれないか」  ──言ってしまった。  高松は俺の元に繋ぎ止めておくにはもったいない男だ。だから、高松の気が変わるのも仕方がないし、別れを切り出されても引き止めないつもりでいた。  でも、我慢なんて出来なくなってしまった。高松と釣り合わないと思うのなら、俺自身が変わるしかない。高松が俺から離れたくないと思うような、そんな人間になるしかない。誰からも認められる人間にはなれないけれど、理想に近づくための努力なら、きっと出来る気がする。  俺はこんな歳になっても、今からでも、変われるのだろうか。 「どこにも行かないですよ。俺は尾上さんと一緒にいます」  そう言って、高松は微笑む。彼の笑う顔が好きで、今だってこんなにも胸が高鳴っている。  考えるより先に体が動いていた。身を寄せて、ゆっくり優しく口付けた。唇を触れ合わせるだけのキスを何度か繰り返した。 「好きだ」  いくら花火の音が大きくとも、高松には聞こえているだろう。いや、たとえ聞こえていなかったとしても、何回でも、聞こえるまで言ってやる。 「好きなんだ……」  声が震える。胸の奥底から気持ちを吐き出しているみたいだ。喉の奥が詰まったようで、どうしてこんなに苦しいんだ。 「うん……俺も、尾上さんのこと好きだよ」  抱きしめられて、優しく頭を撫でられている。  俺は子供じゃない。守られるような人間じゃない。 「たかまつ」  高松を抱きしめる腕に力が入る。肩口に顔を埋め、思い切り息を吸い込んだ。iQOS特有の匂い、焼きそばのソースの匂い、俺と同じ柔軟剤の匂い、そして甘い彼の匂い。  ああ、死にたくねえなあ。死にたくねえよ。  長生きしたいよ。俺もタバコ、iQOSにしようかなあ。  空が暗く、星の光が見えるようになっても、しばらくそのままでいた。遠くからは、騒がしい祭りの音が聞こえる。

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