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第12話:聖夜に囁いて①

 12月13日  困った。クリスマスプレゼントに何を贈れば良いか分からない。絶対に、クリスマスはプレゼントをあげるぞ! と意気込んでいたものの、尾上さんは何なら喜ぶのだろうか。  尾上さんは欲しいものを自分で買うし、物に対するこだわりもほとんどない。たぶん、何をあげてもそこそこ喜んでくれそうな気はするが、俺は尾上さんの喜ぶ顔が見たいのだ。  この前の尾上さんの誕生日だって、どちらかというと俺の方が貰ってばかりだったから、尾上さんが喜んでくれるちゃんとしたプレゼントを渡したい。  そうは言っても、マフラーとかネクタイとか財布とか、そういう身につけてもらえる物だと俺も嬉しい。今のところの候補はネクタイだ。これなら何本持っていても困らないし、普段使いもしてもらえる。  ただ、尾上さんはあまりネクタイをしない。首元がキツイのは嫌らしく、どうしても必要な時しかネクタイをしないと言っていた。尾上さんはシャツの上にニットやカーディガンを着ていることも多く、サボり先のゲースタはもちろん、会社でもそのままの格好らしい。  これは完全に俺の欲だが、尾上さんに身につけてもらえる物にしたい……! そう思ってずっと悩んでいるのだ。  悩みに悩んで、クリスマスまであと十日ほど。一応まだ時間はあるが、そろそろ決めなければ物によっては間に合わない。急いだ方がいい。  職場を出て車に乗りこみ、時間を確認すると午後七時だった。  少しだけ遅くなると尾上さんにメッセージを入れ、ショッピングモールに向かった。  バラエティショップならプレゼントの参考にもなるだろうと思い、家から少し遠い大型店まで足を運んでみた。仕事帰りに食料品とリップクリームを買う予定があったから、別に手間ではない。  相変わらず騒がしい店内が今日は特に混んでいた。  買い物かごを手に取って、とりあえず雑貨売り場をあてもなく回ってみる。  ジッポは……尾上さんはライターをよく失くしているから、落とさないか心配だ。アクセサリーも着けないし、キーケースは最近新しいものを買ったらしい。色々と手に取ってみても、どれもピンと来ない。  ウンウンと唸っていたら、時間だけが過ぎてしまった。このままでは埒が明かないから、近いうちにまた来るかと思い直し、自分の買い物を済ませることにした。  食料品売り場に向かう途中でツンと嫌な匂いが鼻に着く。……色んな香水が混じった匂いだ。あまりいい匂いではない。  香水は何年も同じブランドのものを使い続けている。それなりに値段はするが、良い物が高いのは仕方がない。……と思っていたけれど、いつも使っている香水と恐らく同じものを見かけた。激安を謳うだけあって、定価より安い値段が付けられている。  俺が使っているものと全く同じだとしたら、なんだか損した気分になる。俺は思わずその紙箱を手に取ろうとして──。  あ……香水つけてる尾上さんってめっちゃエロいな。  と、よからぬことを考えてしまった。  夕飯の買い出しをしながら惚けたように妄想にふける。あまりに酷い煩悩に取り憑かれて、しばらくそれ以外考えられず、結局リップクリームを買い忘れてしまった。  尾上さんから俺が選んだ香りがする。こんなに満たされることってないだろう。普段は香水を付けていないからこそ、余計にエロいと思ってしまう。  仕事をして帰ってきた時の、汗と混じった甘い匂い。抱きしめた時に俺の選んだ匂いがする。  ──すごく、『俺のもの』って感じがする。  頭を抱えてしまった。あまりに独善的で支配的な考えだ。それが独占欲だけだったらどれだけ良かっただろう。むしろ、自分のものを見せびらかすような、あまりに幼稚なものなのだ。  尾上さんにそんな発想はないから、俺の意図にも気づかない。気に入ってくれたら、職場にもデートにもつけてくれるだろう。  それが、なんかずるいことをしているみたいで嫌なんだ。でも、でも……俺の選んだ香水つけてほしい……!   この前も似たようなことで悩んで、自分を責めたばかりだというのに、同じ轍を踏んでばかりで。  ──俺はいつだって、わがままだ。  家に帰ると、尾上さんはリビングのソファでバラエティ番組を見ながら、ビールを飲んでいた。既に部屋着に着替えている。 「おかえり。先飲んでたわ」 「ただいま」  覇気のない返事をして、コートを脱ぎながら俺は考えていた。  長い葛藤の末、俺は香水をプレゼントすることにした。自分の欲に抗えなかったのだ。  それでも、何も言わずにプレゼントするだけじゃ俺の気が収まらない。滅茶苦茶で独りよがりな思考なのは分かっている。  それならもう、言ってしまえと思った。  八方塞がりで自分ではどうにも出来ないのだから、人に頼るしかない。時には人に頼ることも大事だと俺は思うから。  ただ、尾上さん本人にこの欲をぶちまけるのはおかしい。それは俺も分かっているから、完全にヤケを起こしているのだろう。  それでも、俺を助けてくれる人がいるのならば、それはきっとこの人なんだと、心の底から信じている。  すうっと深く息を吸って、気合を入れた。 「……尾上さん。今から変なこと言うんですけど、聞いてくれますか」  着替えも後回しに、スーツのままでソファに座って、尾上さんと向き合った。 「おう……。なんだよ改まって」  いつになく真剣な俺に、尾上さんまでかしこまって姿勢を正していた。 「その……香水あげたら付けてくれますか?」 「香水? お前がくれるって言うなら、付けると思うけど。でも、苦手な匂いはその……困る」  そりゃそうだ。俺だって好きな匂いの香水がいい。 「香水とか芳香剤の、バニラの甘ったるいキツイ匂いが苦手なんだ。それだけは無理……。香水のことはよく分からないけど、お前ならきっと良いやつ選んでくれるんだろ?」  はにかんでそう言うものだから、愛しくて抱きしめてしまいそうになる。本当にこの人は、俺を心の底から信じてくれている。無防備で時に危うい無償の愛。  だからこそ、裏切りたくない。誠実でありたいと思ってしまう。 「尾上さんに香水をあげたいと思った理由がその、すごく不純で。……俺の選んだ香りを纏った尾上さん、めっちゃエロいなって」 「あ? ちょっと待て。意味がわからん」  尾上さんは驚いて混乱している。そりゃそうだ。きっと尾上さんはそんな思考に至らないし、説明しても共感してはくれないだろう。これは俺の気持ち悪さを押し付けるだけの行為だと分かっているのに、止められない。 「匂いが好きとかそういうのは分からなくもないけど……それはもしかして、『お前が俺に贈った』ことに意味があるのか?」 「一種のマーキングみたいなもんですよ」  普段は香水を付けない尾上さんが、急に香水を付け始めたら、普段のキャラクターも相まって周りも驚くだろう。しかもクリスマス直後なんて、どう考えてもプレゼントで貰いましたって言ってるようなものじゃないか。勘繰る者だって少なくないだろう。そう、説明した。 「そしたら、尾上さんが『誰かのもの』だって分かるでしょ」  そして、その『誰か』の正体は俺だけが知っていればいい。 「それは……嫉妬とか牽制なのか?」  尾上さんなりに俺を理解しようとしてくれている。でも、そんなぬるいものじゃない。 「尾上さんを俺のものにしたいっていう浅ましい欲ですよ。見せびらかしたいんです……」  尾上さんは黙ってしまった。  あーあ。俺は全部ぶちまけてしまった。本当はどこまでも子供でわがままで、良い人間ではないことを。  ──沈黙が、怖い。  握った拳に力が入る。手汗が酷い。  どれくらいたっただろうか、しばらく考えていた尾上さんは重い口を開いた。 「それは……別に好きに考えたらいい。エロいはよく分からないけど、結局お前は俺が好きだから、そういうことしたいと思うんだろ? ……だったら、俺は嫌だとは思わない」 「……へ?」  全く思ってもいない答えが返ってきて、気の抜けた声が漏れてしまった。 「なんだよ、そんなに驚いて。別に好きにすればいいだろ」  尾上さんのその言葉は俺を暖かく包み込んでくれるようだった。尾上さんは俺のダメなところも悪いとは言わない、懐の深い人。 「俺だって綺麗な感情以外もあるさ。……それが何なのか、俺は言えないけど、お前は全部話してくれる。それがすごいと思うよ。俺に対して正直でいたいと思ったんだろ?」  尾上さんは、俺はお前の物ではないけれどと付け足して、俺の手を握った。 「どう思おうと自由だ。というかダメだって言われてやめられるものでもないだろ。確かにちょっとキモイけど、そんなに思い詰めることじゃない」 「ちょっとキモイ……」 「そりゃそうだろ。でも……別にそれでいいんだよ。お前の気持ち悪いところもダメなところも、全部お前なんだから。俺は……そのままのお前も好きだよ」  ──そっか。  こんな考え方を、俺は知らなかったんだ。  俺はずっと格好つけて、言葉も愛の伝え方すらなにかの受け売りばかりだった。変わりたくてもがいて、自分を隠そうと見栄を張れば張るほど空回りしていた。  それも全部、ダメな自分じゃいけないと思っていたからだ。 「そのままの俺、かぁ……」 「全員に好かれる奴なんてこの世にいないだろ。俺はカッコイイお前も好きだけど、無理はしなくていい」  尾上さんは分からないなりに考えて、俺を肯定してくれる。見方は公平だけど、俺にはとことん甘いのだ。依存しているわけじゃないのに、こちらに身を寄せてくるのが本当に心地よくて大好きで。 「……尾上さんは本当に俺に優しくて、いじらしくて。気持ち悪いって言われるようなことでも、尾上さんなら許してくれるんじゃないかって……甘えてたんですね」  本当に嫌われると思っていたら、言わなかったのかもしれない。心のどこかで、尾上さんなら俺を分かってくれる、許してもらえるだろうとタカをくくっていたのだ。そんな簡単なことに今さら気がついた。 「甘えたらいいだろ。別に、俺は嫌じゃない」  尾上さんは俺を真っ直ぐ見つめて言うのだ。 「え……」 「香水。俺にはどんなのが合うんだ? 今度一緒に行って選んでくれ」  きっと、とても、気を使ってくれているのだろう。この人の優しさは何よりも深い。そして、どこまでも真っ直ぐなんだ。  肩の荷が降りた気がする。俺はずっとダメな自分を背負って向き合っていくつもりでいたけれど、そんなに気負う必要はなかったんだ。ダメでも良いんだって。  俺がいっぱいいっぱいになっていただけで、尾上さんは気遣いも優しさも沢山くれていたのだろう。 「……デートですね」 「そうだな」  少し恥ずかしそうに笑う尾上さんが可愛くて、思わず口付けていた。尾上さんがギュッと抱きしめくれたから、背中に手を回して、胸に顔を埋める。  ……あったかい。 「なんか、良い匂いする」  顔を埋めたまま、スンスンと尾上さんの匂いを嗅いだ。 「石鹸の匂いじゃないか? さっきシャワー浴びたぞ?」 「どっちかというと体臭かな。すごく好きな匂いします」  清潔で爽やかなシャボンの香りに混じる、尾上さんの匂いはどうして甘く感じるんだろう。 「体臭……まさか加齢臭じゃないよな?」 「違いますよ」  首筋に軽く口付けた。……俺には甘すぎる。 「……尾上さん。ほんとにありがとう」  少しだけ声が震えてしまったけれど、尾上さんは気づいただろうか。  尾上さんが俺を想うのと同じくらい、俺は尾上さんが大切なんだよ。

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