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1月13日のバルコニーで

 メビウスのパープルオプション。別れた妻に禁煙しろと言われるまで吸い続けていた銘柄だ。その後はiQOSに変えて、TEREAのパープルになった。  それでもたまに、紙巻のタバコが恋しくなる時がある。酒を飲んでいると無性にタバコが吸いたくなる。二次会へ向かう道すがら、コンビニに寄って適当なメンソールのタバコを買うのがお決まりの流れだ。マルボロのメンソール、ハイライトのメンソールでもなんでも、スリムタイプでなければ良い。スリムタイプは苦手だ。余計なことを思い出してしまうから。  昨日の残りのタバコがある。二次会へ向かう道中、後輩にコンビニでお使いを頼んだら、スリムタイプのオプションを買ってきてしまった。吸えないこともないから何も言わずに受け取った。しかし、どうしても減りは遅い。  バルコニーに出てタバコを吸っていたら、尾上さんが顔を出した。 「こんなとこにいたのか。寒いだろ……一月だぞ」  尾上さんは震えている。 「うん、めっちゃ寒いです」 「じゃあなんで」 「なんか、一人になりたかったんですよね」 「部屋で吸えばいいだろ?」 「……分かってないなあ」  分かるはずもない。俺自身もよく分かっていないのだから。  二十年も前に捨ててきた男のことを考えてなんになるのだろう。俺が拒絶して突き放した彼が吸っていた細いタバコは、どうしても彼のことを思い出させる。自分から彼と同じ匂いがすると、まるで責められているようで、後悔や罪悪感に苛まれた。  そんな姿を恋人に見られたくなくて、逃げてしまったのだ。  尾上さんは何も知らない。言うつもりもない。昔の不甲斐ない出来事なんて、尾上さんとはなんの関係もないから。 「ふーん……どうせ俺には分かんないけど、風邪引かない程度にしろよ。コーヒー出来たからな」 「い、今行きます、ちょっと待って……」  灰皿に吸殻を落とすと、立ち上る紫煙が寒空に消える。  不貞腐れてバルコニーから出ようとする尾上さんを引き止め、後ろから抱きしめた。いつもは俺の方が温かいのに、今は尾上さんの方が温かい。 「尾上さん」  ──この人を幸せにしたいなぁ。  一人の人を愛する覚悟、幸せにする責任。そんなものを今の俺が持てるのだとしたら、きっとこの人がくれるんだ。尾上さんは不器用だけど真っ直ぐで、俺を信じてくれるから。 「寒いんだけど……中入らないのか?」 「あ、ごめんなさい!」  バルコニーから出て窓を閉めると、尾上さんはパッと振り向いて俺の手を包むように握った。それから、はにかんでそっと囁くのだ。 「お前もこれで少しは温かくなったんじゃないか」  吐く息は白く、指先もまだ冷たい。けれど、尾上さんの微笑みは冬の寒さを忘れさせるほど、穏やかで温かかった。
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