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タイトルは未定です

 何も見るものがなく、適当にテレビのチャンネルを変えていたら、知らないドラマがちょうど始まるところだった。雰囲気は恋愛や青春もののようであまり趣味ではないが、暇つぶしにはなるだろう。  何分か見続けていたら、キッチンでコーヒーを入れていた高松がリビングに戻ってきた。二人分のマグカップを持った高松がソファ、俺の隣に座った。 「尾上さんがこういうドラマ見てるの、なんか珍しいですね」 「いや、本当に見るものなくて」  高松からマグカップを受け取り、まだ熱いコーヒーを飲む。ほんのりと甘い。 「これ、なんてやつなの?」  高松に言われて、番組欄からタイトルを探した。 「『君との境界線』だってさ」 「へえ、聞いたことないですね」  二人でなんとなくそのドラマを眺めていた。  主人公は真面目そうな高校生の男の子。朝のホームルームが始まり、教師が転校生を教室に呼び入れた。 『南高から転校してきました。水原大和(みずはらやまと)です!』  明るく通る声で挨拶をした、その転校生は金髪で制服を着崩した美形の男の子だった。  そして次のカットで、まるで運命の相手にでも会ったかのような大袈裟な演出とモノローグが入る。流石の俺も何かが違うぞと気がついた。 「これはBLですね」  高松が呟く。 「BL……?」 「『ボーイズラブ』の略らしいですよ」 「あー……そういや最近よく見るな。でも結局恋愛ものだろ。俺はあんまり……」  男同士の恋愛を描いたドラマは増えている気がする。日が変わるような時間にチャンネルを変えているとそれらしいドラマがやっていたり、サブスクで契約している動画サイトでも特集が組まれていた。男だ女だと言う前に、そもそも俺は恋愛ものに興味がない。 「そうでしょうね。でも俺は恋愛ドラマとか映画とか好きなんですよ」 「まあ、好きそうだな」  高松は気になるようだから、そのまま見続けることになった。  場面は変わり、夕方。夕日に照らされて、朝とは違う静かでアンニュイな大和が教室に一人佇む。 『(かい)』  彼は主人公の名前を呼んだ。 『忘れちゃった? 昔はよく一緒に遊んでたのに』  彼はいたずらっぽく笑う。両親が再婚して名字が変わったのだと大和が言って、主題歌とスタッフロールが流れ始めた。 「……ありきたりすぎやしないか」  王道がつまらないとは言わないが、他と差別化できていない作品をわざわざ見たいとは思わない。好きでもないジャンルならなおさらだ。 「それは俺もちょっと思いましたけど、さすがにこういうのばかりじゃないでしょ。違うのも探すかぁ……」  高松はテレビのリモコンを操作して、サブスクの動画サイトから今度はBL映画を探している。 「まだ見るのか?」 「これだけで見限るのは早いでしょ。ほら、コメディっぽいのもありますよ。見やすそうなの一本見てもいいですか?」  映画なら一時間半ほどで、ドラマよりサクッと見られる。あらすじを聞いた感じでは、さっきのドラマよりは面白いだろう。 「……暇だし付き合うよ」  こうして、『金曜日の絆創膏』は始まった。  川上と松島は会社の上司と部下。主人公でゲイの松島は上司の川上にフラれ続けていた。序盤はコメディらしい明るい雰囲気で進んでいたが、中盤になると川上の悲しい過去が明らかになり、シリアスな展開が続く。そして、過去まで優しく包み込んでくれる松島にいつしか川上は惹かれていき、二人はめでたくゴールイン。簡単に説明するとこんな感じだ。 「これは……アリですね」 「まぁ、面白かったんじゃないか」  そこまででもないが、駄作というには出来が良い。俺は好きじゃないというだけで、好きな奴はとことん好きなんだろう。 「無理しなくてもいいですよ」 「別に無理はしてない。話は面白いと思う」 「じゃあ他も見ます?」 「いや、俺はいいかな……」  恋愛だけのストーリーはどうも苦手だ。    俺は高松健太郎、42歳。この歳にして初めてのジャンルに手を出す。勢い余って買ってきてしまった。この前見たBLドラマの原作漫画を──。  たまたま本屋の前を通った時、あの映画のことを思い出したのだ。久しぶりに入った本屋でウロウロしていると、BLマンガコーナーを見つけた。『年下攻め』『高校生』など、丁寧にジャンル分けされていて、担当している店員の熱意が伺える。お目当ての品はど真ん中に陳列され、脇に添えられた『実写映画化!』のポップも目立っている。どうやら相当人気の作品らしい。  俺は元々恋愛ドラマや漫画は好きな方だ。高校生の頃は妹の少女漫画を借りて読んでいたし、BL漫画も同じように面白いと思うかもしれない。  手元には例のBLマンガがある。  尾上さんはリビングのソファで本を読んでいるし、俺も読書タイムにしたい。ダイニングテーブルにコーヒーも用意して、『金曜日の絆創膏』とタイトルの入ったポップな表紙をめくり、俺は物語の世界に没頭し始めた。  ストーリーも佳境、終盤になってすれ違っていた二人がやっと想いを伝え合う。 『ごめん、松島。俺やっと分かったんだ。やっぱり……お前が好きだ』 『……うん。川上さん、俺もです』  次のページをめくる。(おそらくどちらかの家に)帰ってきた二人がスーツのまま玄関でキスを交わしている。盛り上がってきたな。 『川上さん、俺もう我慢できないです』  川上を壁に押し付けた松島は何度か口付けを交わし、川上の腰を抱いた。頬を染め、見つめ合う二人のカットが入る。 『初めてだから、優しくしてくれ……』  次のページをめくる。 『ま、松島ッ……すき……あッ♡』  俺は勢いよくマンガを閉じてしまった。今見たものは一体なんだったのだろうか。  松島と川上がベッドで、間違いなくセックスをしている。確かにそういう流れはあった。あったけれど、誰でも見られるマンガでアレなシーンは省略されるものじゃないのか。いわゆる、朝チュンとか。  てっきり爽やかで王道な恋愛マンガだと思っていた。ドラマで再現できるわけがないからそりゃそうなんだけど、突然濡れ場を見せられたものだから驚いてしまった。  決して嫌なわけではないし、むしろ先が気になってしまうけれど緊張はする。心配なのは尾上さんにバレないか。これじゃ、親に隠れてエロ本を読むのと変わらない。  俺は深く息を吸ってもう一度マンガを開いた。 『あン……もっと、もっとほしい』  局部は白抜きで修正されてはいるが、やっぱりどうみてもセックスだ。なんだかいけないものを覗き見ているようで、ソワソワする。俺が知らないだけで、こんな物が世の中には溢れている。小さな本屋のBLコーナーでさえそれなりの数があったし、バリエーションも豊富だった。きっと黒髪でメガネで40代のキャラクターも探せばいるんだろうなあ。  余計なことを考えてしまった。妙に意識してしまったせいか、川上が尾上さんと重なってしまう。共通点といえば黒髪とスーツくらいで、どちらかというと似ていない方なのに。年も違えばメガネもしていない。尾上さんと同じ美人なタイプだなとは思うけれど。  ページをめくる手が止まらない。 「うわぁ……」  ──この顔、エロいな。 「……どうかしたか?」  思わず声が出ていたようで、尾上さんが不思議そうに俺の様子をうかがっている。 「な、なんでもないです」  急いで手元のマンガに視線を落とす。  川上の頬は赤く染まり、薄く開いた目元には涙が溜まり、口からは涎を垂らしている。尾上さんもたまにこんな顔をしているなと、また余計なことを考えてしまった。  修正の向こう側にナニがあるのだろうか。巷のエロマンガと比べれば控えめであるはずなのに、好奇心と劣情を刺激される不思議な魅力。  気づけば、晴れやかな気分で読後感に浸っていた。 「そんなに面白かったのか?」 「え!」  尾上さんから不意に声をかけられ、不自然なまでに驚いてしまった。 「あ、いや……まあ面白かったですけど」 「なんかニヤニヤしながら読んでるし……そんなに面白いんだったら俺にも見せろよ」  隠しているつもりが、どうやら俺の顔はニヤケていたらしい。  この人はなんてことを言うんだ。見せられるわけがないだろう。BLマンガのえっちなシーンでニヤニヤしていたなんて知られたら、何を言われるか分かったもんじゃない。 「で、でも……尾上さんこういうの興味無いんでしょ?」 「そんなにニヤニヤしながら見てたら、俺だって気になるだろ……」  どうしてこの人は、気まぐれで余計な気を起こすんだろう。  俺は少し躊躇ったが、尾上さんにマンガを見せることにした。隠す必要などあるのだろうかと開き直ったのだ。きっと堂々としていても問題ない。たぶん。 「……どうぞ」  尾上さんは黙々とマンガを読み進め、部屋にはページをめくる音だけが響く。  終盤に差し掛かり、問題のシーンが近づいてきたあたりで俺はソワソワして、トイレにでも逃げてしまおうかと思った。やっぱり恥ずかしいかも。 「え……あ? これ、エロ本なのか」 「いえ、普通のマンガです」  尾上さんは俺とマンガを交互に見ている。  なーんだ、俺は理解したぞと言いたげな顔をしていた。 「あー……それであんなニヤニヤしてたのか。なんか……無理言って見せてもらったりして、ごめんな。せっかくエロいの読んで楽しんでたのに」 「謝らないでくださいよ。謝られる方が恥ずかしいんだから」  尾上さんは最後までページをめくり終えると、マンガを閉じて一息ついた。 「こういうのでニヤけてたのか? ほんと、人の好みなんてそれぞれだなぁ。だいたい何も準備してない初めての奴に、すんなり入るわけがないだろ。無理させるとケツが切れるぞ。それに、後ろでイけるようになるのも大変なんだ。俺だって初めはこんなにすんなりイけなかったんだから。あと、ゴムは着けろ……あんまり人のこと言えないけど」  尾上さんは一息でまくし立てる。言葉には実感がこもっていて、若者に説教する口うるさいおじさんのようだなと思った。 「それはまぁ、マンガだからですよ」 「俺は気になって、なんか……萎える」 「萎える……」  萎えるなら仕方がない。尾上さんには合わないんだろうと半ば諦めかけていたが──いや、そんなことはないぞと思い直した。俺はいいことを思いついたのだ。 「じゃあ、元々付き合ってる二人なら?」 「見れそうだな。恋人でもいいし、両方ともゲイやバイで、セックスはするけど特定の相手はいない二人とか。とにかく、ノンケじゃない方がリアリティがあっていい」 「ジャンルはどうですか?」 「うーん……純粋な恋愛モノやヒューマンドラマよりは、アクションとか他に見せ場があった方がいいな。恋愛はオマケくらいでいい。あーでも、やっぱり若い子よりは30くらいの二人がいいかな。あと、マンガより映画の方がいい。それと……」  イキイキと話していた尾上さんは急にトーンダウンし、喋るのをやめた。  薄目で睨まれる。おそらく俺の意図に気づいたんだろう。 「お前、俺に余計なこと言わせようとしてるな。別に見たいわけじゃないんだぞ」 「バレました? 尾上さんってそういうの好きなんだ。探しておきますね〜」 「おい、こら!」  ゲイやバイでセックスをする二人が主人公(できれば30歳くらい)で、アクションシーンのあるもの……本当にあるんだろうか? 

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