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第17話:世界に一人だけの君へ

 俺は猛烈にソワソワしていた。  11月3日、文化の日は俺の恋人──尾上さんの誕生日だ。今年で44歳になる彼に今年も誕生日プレゼントを贈ろうと思っている。  去年は素直に尾上さんの希望を聞き、デートをしてマッサージ用品をプレゼントした。一年目だしミスマッチを避けたかったからだ。プレゼントなんだから、俺のエゴでいらない物を押し付けては意味がないだろう。  でも、俺は元々サプライズが好きで、相手がビックリする顔も喜ぶ顔も大好きだ。キザだとも言われる。  付き合い始めて一年半、なんとなくだけど尾上さんのことが分かってきた。だから、多少の冒険をしても許されるんじゃないかと調子に乗っているのだ。  プレゼントの目星はついていて、今年は財布をあげようと思う。尾上さんの財布を見ると年季が入っていて、革がヘタっているように見えるからだ。  せっかくなんだから良いものをあげたいだろう。 「そうだ! オーダーメイドで財布を作ろう。我ながらいいアイディアじゃないか!」と自画自賛したところで今に至る。  今日は日曜だが、尾上さんはどこかに出かけていってしまい家には俺一人だ。スーパーで買った4個入り300円のもみじまんじゅうを食べながらお茶をすすり、財布について考えてみる。 「うーん。尾上さんが喜びそうなのは……」  まず、尾上さんの好きな色は黒。今使っているのは二つ折りだ。そこまで詳しくはないけれど、プレゼントなら本革だよな。たぶん。シンプルで品があると尾上さんに似合いそうだ。デザインも使いやすさも妥協せず、ずっと使い続けてもらえる物にしたい。尾上さんがこれから生きる何十年の一部だとしても、普段使うものに、生活に、俺を感じてくれたらこんなに嬉しいことはない。 「よし、決めた。絶対作る」  そうと決まれば急いでお願いしよう。時間も心も余裕はあればあるだけいい。  スマホの連絡先の中から古い番号を探す。あまり連絡はしないが長い付き合いで、うってつけの奴がいる。そもそも尾上さんに財布を贈ろうと思ったのもこいつの存在が大きい。  発信すると3コールほどで繋がった。 『久しぶり』 『健太郎こそ久しぶりだな。どうしたんだ?』 『急にごめんな。頼みがあるんだけど、財布を作ってほしいんだ』  プレゼントの財布を作ってもらうため、休日の昼間にとある場所を訪れていた。  電話で呼び出された場所は雑貨屋のような店だった。『CLOSED』の札がかかった正面のドアから中に入ると、やや背の高い男が立っているのが分かった。 「よっ、高松」  長めのスポーツ刈りが似合う、ラフなパーカーの男──三浦が出迎えてくれた。彼は中学からの付き合いで、かなり古い友人だ。今は革製品を加工する職人として独立し、自身の店まで持っている。 「悪いな三浦、休みの日に」 「気にするなよ」  店の裏方に通され、物であふれた狭い部屋で適当な椅子に座った。そして、三浦はすぐ『仕事』の話に入った。久しぶりの再会にしてはそっけないが、元々そういう奴だ。 「で、財布作るにしてもどんなのがいいんだ?」 「とりあえず二つ折りのメンズ財布で、色は黒か紺色かな」 「男もんか。それってお前の?」 「いや、恋人の誕生日プレゼント」  俺がそう言うと、三浦はのけぞるようにして驚いた。 「恋人だぁ!? お前いつの間に男の恋人なんてできたんだよ」 「一年半くらい前だけど、言ってないんだから知らなくて当然だし……そんなの今は関係ないだろ」  その時の俺は、自分たちが物珍しさでおもしろおかしく見られているのだと、そう思ってしまった。三浦があまりにも大袈裟に驚くせいだ。 「分かってないな……」  三浦は眉間に手を当て俯いた後、ため息をついた。  そして顔を上げると、こちらを真っ直ぐに見つめてきた。真剣な職人の目だった。それだけで彼が決して茶化しているわけではないと分かった。 「あるよ。健太郎がその人のために作る、世界で一つだけの財布なんだから……色々と教えてくれないと困るんだ」  三浦はメモ帳を取り出して、ペン先を俺の方に向けた。俺は自然と背筋が伸びた。 「とりあえず性格は?」  それなら自信満々に答えられる。尾上さんのことは俺が一番詳しいからだ(たぶん) 「自分だけの芯がある。人とずれてたり、頭が固いところもあるけど、本人の中では一本筋が通ってるから見てて気持ちいい」 「昔の頑固親父みたいだな」 「歳は俺らの一個上。なんだけど、なんか同年代とは思えない可愛さがあるんだよなぁ。あとな、気を許した相手には本当に親切で優しいから! 俺は何度あの人の優しさに救われたか!」 「もしかして惚気聞かされてるのか……?」  少しヒートアップしてしまったらしい、三浦は少し引いてゲンナリしていた。 「まぁいい。えーっと、気を許した相手には優しい、それと交際期間は……一年半だったな」  三浦はメモ帳に乱雑な字で書き記していく──が、唸りながら腕を組み、眉間を抑え始めた。よく分からないが何かを考えているらしい。  そして、三浦は少ししてからその重い口を開いた。 「これは、その……俺にはどう言葉を選べばいいか分からないんだが、聞かせてくれ。……おじさんとおじさんで付き合ってなんになる?」 『なんになる』  ──そんなの、考えたこともなかった。 「結婚もできなければ、子供も作れない。関係を縛るものがなければいつでも破局するんだぞ。……そんな不安定なもの、お前は不安じゃないのか」  俺は元々恋愛というものに疎いから、そんなことを聞かれてもよく分からない。一夜だけの関係なら数えきれないほど経験はあるが、その先を自ら求めたことはなかった。普通は誰かと付き合うのに意味や理由がいるのだろうか。普通じゃない俺には分からない。 「不安……不安がないと言ったら嘘になるかなぁ。俺にはもったいない人だし、尾上さ……恋人の気が変われば別れるのは仕方がないと思う」  俺はぎゅっと拳を握った。  少しだけ考えてみたけれど、最初に思い浮かんだ想いは変わらなかった。 「それでも、大好きなんだよ」  ずっと一緒にいたいのは俺のわがままかもしれない。尾上さんは俺と同じ気持ちじゃないかもしれない。それでもこの気持ちに嘘はつけない。俺はもっと器用で、それでいて汚い大人だと思っていたのに、こんなに純粋で綺麗な心を思い出させてくれたのは尾上さんのおかげだとそう信じていたいのだ。 「おい三浦。それにしても、ちょっと意地悪な質問じゃないか? いくらお前がバツ3で最近離婚したからって」 「うっ……ごめんって」  三浦がこんなことを聞いてきた理由は察してしまうが、憂さ晴らしをされたこっちの身にもなってほしいものだ。 「で、まだ喋りたりないことあるか?」 「あー……それがな」  三浦には忍びないが、これだけは言っておかないといけないことがある。 「いいところはいっぱいあるんだけど、ちょっと難儀なところもそれなりにある人でね。ちょっと大雑把なところがあるというか……興味ないものにとことん興味がなくて」 「つまりズボラだと」 「うっ……」  三浦は俺が言いたかったことをズバリと言い当てた。  革製品は使えば使うほど味が出る。つまり経年変化を楽しむものでもあり、手入れして長く使ってナンボだ。はたして、ものぐさな尾上さんが手入れをするかというと──やはり怪しいものがある。  三浦はため息をついて、頭をかきながらいくつか革の切れ端を見せてきた。どうやら見本らしい。 「これなんかどうだ」  その中から三浦が勧めた物を手に取り、手触りを確認する。シュリンクレザーというらしく、表面に凹凸が多いからザラザラしている。 「耐久性も高い方だし、黒なら傷も目立ちにくいかな。多少ズボラでも長く使えると思う。それでも手入れはしてほしいけどな」  三浦は何ともなしにさらっと言ったけれど、その言葉を聞いたとき、俺は嬉しくなった。彼は俺と同じ目線になって尾上さんを見てくれたんだとそう感じたからだ。そうだった、こいつは元々意地悪なことばかり言う奴じゃない。 「それなら尾上さんでもいけるだろうけど……いや」 「なんだよ、申し訳ないとか思ってんじゃないだろうな。客商売なんだから、俺だって客に合わせて物作るさ。こういうのは独りよがりじゃダメなんだ」  そう言って誇らしげに口角を上げる三浦は頼もしい。窓から差し込む光を受けて輝く彼は一流の職人だ。  その後は三浦と詳細を詰めていった。  尾上さんはカードを持ちたがらないから、ポケットは少なくてもいいだろう。今まで使っていたものとあまりサイズは変わらない方が使い勝手がいいだろう。あとは名入れもしてほしい。尾上さんの名前はもちろんだけれど、俺が贈った物だと分かる印があったらさらに嬉しい。 「内側にオレンジのステッチを入れて、ここに二人分のイニシャルを入れるんだな。……なんか、意外と独占欲強いんだな」 「そうか? そんなことないと思うけど」 「……ま、まぁいいか」  薄暗い部屋の中、ホールケーキにしては小さめの三号サイズに、4と4のロウソクの炎がゆらゆら揺れている。今日は尾上さんの誕生日、11月3日だ。 「ハッピバースデー尾上さん。お誕生日おめでとう!」  いつも通り大きめの声でバースデーソングを歌うと、尾上さんは俺の合図でロウソクの火を吹き消した。少し照れている尾上さんは可愛いなと思いながら、部屋の照明を点けた。  イチゴのケーキを切り分け二人で食べ始めた。先に夕飯を食べたから、尾上さんは控えめにケーキを咀嚼して、イチゴを頬張っている。可愛い姿を目に焼き付け、いよいよ今日のメインイベントに移ることにした。 「尾上さん、誕生日プレゼント用意しました」  俺は足元に隠していたプレゼントをダイニングテーブルの上に置いた。 「絶対気に入ると思います! ……たぶん」 「なんで自信ないんだよ。堂々としてればいいのに」  尾上さんははにかんで「ありがとう」と言い、綺麗にラッピングされた箱を丁寧に開けていく。  少しずつ包装が剝がされていくとドキドキして仕方がない。 「これは……財布?」  尾上さんは驚いて目を見開いていた。いつもは皺が寄った眉も今日は力が抜けている。頬も口元も緩んでいて本当に可愛らしい。 ──そう、俺はこの反応が見たかったんだよ!  絶対に喜んでいると分かるその表情がたまらなく愛しくて仕方がない。ずっと見ていたくなる。 「オーダーして作ってもらった財布です!」 「オーダーメイド? 名前入れてあるし、しかもこれ本革なのか。高かっただろ」  尾上さんは刻印された二人のイニシャルを指でなぞっている。 「いやいや、そんなことないですよ! 尾上さんがパチ屋でスるお金より安いんで余裕です」 「おいおいなんだよ、いつもごめんな」  そんな冗談を交わして視線が合うと、思わず吹き出してしまった。俺も尾上さんもひとしきり笑っていた。 「俺は本当に嬉しいよ。お前がさ、こうやって俺のために作ってくれたのもそうだし、いい物選んでくれたこともさ」  革は手入れすれば長く使える。時が経てば経つほど、使えば使うほど変化していく物だ。尾上さんと共に人生を歩んでいく世界に一つしかない財布。 「父さんにもおじさんにも言われたんだ。いい大人なら身に着けるものはいい物にしろ、そして、それに恥じない人間になりなさいって」  尾上さんの家はそれなりに裕福らしい。きっと家柄も良くて親族もいい大人だし、心構えも俺とは違う。それでも俺は俺なりに失敗して、学んで、歩んできた年月の重みがある。尾上さんもきっと同じだ。  その唯一無二の大事な重みを奪うわけでも貰うわけでもない。共有してずっと一緒に持っていけたら幸せだなと、そう思うのだ。 「なぁ、お前はどうやって自分の財布選んだんだ?」 「俺? 俺は……」  今使っている物は前のが古くなってきて、そろそろ買わないと、と思っていたところショーケースで見かけた物だ。値段なんか気にせず買った。 「ビビっと来たものを買いました。一目惚れですよ」 「へえ。お前でもたまには衝動買いするんだな。倹約家なのに」 「俺でもたまには大きい買い物しますよ」  いいと思った物にお金をかけるため普段から節制しているのだ。家電はもちろん、今回みたいなプレゼントのためにも。 「でも……なんだろうな。離れた所からパッと見ただけだったのに、使いやすいし今もずっと手に馴染んでるし。大袈裟かもしれないけど、運命の出会いだったんですかね? はは、一目惚れだけに」  尾上さんは馬鹿にしたように鼻を鳴らす。たしかに自分で言っていておかしくなってしまった。おとぎ話じゃあるまいし! 「運命の出会いなんてそんなもん……いや」  尾上さんが考え込んだように黙るから、俺も首を傾げてしまった。 「確かに、運命の出会いはあるかもな。出会った後もずっと続いたら、それはたぶん運命かもしれない」  尾上さんは真新しい財布を優しく包み込むように手に取った。作られて日の浅いそれが手に馴染むのは、まだ先のことだろう。 「これ、ずっと大事に使うよ。……俺の宝物だ」

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