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第10話 ぽち?

 男の声で抜くとは、思いもしなかった……。  誰に見られたわけでも、礼鸞たちに気づかれたわけでもないのに、羞恥に顔が染まった。  キョロキョロと視線を走らせ、必要以上にティッシュを引き抜き、自慰の痕跡を拭い去る。  無造作にゴミ箱にそれを放った俺は、逃げるようにキッチンへと向かった。  念入りに手を洗い、冷蔵庫を開ける。  ばくばくとうるさい心臓を無視するように、朝食の準備を始めた。  ……いるのか?  今まさに、真っ最中である礼鸞が、終わったからと直ぐに食事を摂りに来るとは思えなかった。  だけど、約束をしたからには作っておくべきなのではないかとも考える。 「なにしてんの?」  冷蔵庫を開けたまま、考えあぐねていた俺の背後から、聞き慣れない声が飛んできた。  慌て冷蔵庫を閉め、振り返った俺の瞳に映ったのは、昨日、礼鸞に頭を叩かれていた男だった。 「あ、の。ごはんを……」 「若に頼まれた?」  こくりと頷く俺に、男はばつが悪そうに顔を歪めた。 「俺の飯、やっぱ不味いよな……。でも、たぶん、朝飯は要らねぇよ」  玄関にタマの靴、あったしな、と男の視線は玄関から礼鸞の部屋へと動く。 「起きてくんの昼過ぎになるんじゃねぇかな」  ぼんやりと礼鸞の部屋の方角を見詰めていた男は、あ…と小さく声を零し、俺を見やる。 「でも、お前は食うよな?」  なにを言いたいのか察しのつかない俺は、男の言葉を待つ。 「俺の分も作ってくんね?」  若が起きてくるまで時間ありそうだし、いいだろ? と、男は手を合わせる。  そんなことかと、俺は二つ返事で男の願いを引き受ける。  自分1人のご飯を勝手に作って食べるのも気が引けるし、作る手間は1人分も2人分変わりはない。  朝御飯を準備し、席に着いた俺の真向かいに、男は座った。 「お前、…名前は?」  卵焼きに手を伸ばしながら、ちらりと視線を向けてくる男に、口を開く。 「瞬。近江、瞬」 「シュンな。俺は、ポチ」  卵焼きと白米を口に放り、咀嚼しながら、さらりと告げられた名に、疑問符が浮かぶ。  ……ぽ、ち?

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