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第58話 ノラネコ

 何もなければ、それで良い。  思いながらも、不安に駆られた俺は1度屋敷に戻り、礼鸞に話を通した後、タマが活動の拠点としているバーへと向かう。  カウンターで酒を注文していたタマに、昨日からミケが娼館に戻っていない事実を伝えた。 「うわ、マジで? 最近、娼館の周りで館野らしき人影を見たってヤツが居て、注意してたつもりだったんだけど……」  顔を歪め、チッと舌を打ったタマは、連れらしい男たちが飲んでいるボックスに向かい、声を張る。 「なんか知ってるヤツ、いる?」  タマの声に振り返った男たちは、首を傾げたり、横に振るったりで、情報は得られない。  ふと、別のボックスの一角で飲んでいたサラリーマン風の男が空のグラスを片手に立ち上がった。  タマの横のスツールを引いた男は、カウンターに向かい腰を下ろす。  頬を引き攣らせた男は、白んだ瞳で言葉を紡いだ。 「〝ノラネコを拾ったんだけど、遊びたいヤツいない? オレが散々鳴かせた後だけど〞って下衆な笑いを浮かべてたの見たよ」  タマに向けてというよりは、バーテンダーに話しかけるように紡がれた言葉だった。  男の行動に、タマの視線がバーテンダーに向かい、アイコンタクトが交わされた。  バーテンダーは何事もなかったかのように、空のグラスを受け取り、高額なウイスキーを注ぎ、男の手元へと返した。 「4丁目の雑居ビルとラーメン屋に挟まれた小さい居酒屋に居るんじゃないかな。〝ネコと遊びたい〞って言えば、品物見せてくれるらしいよ」  グラスを受け取った男は、再び仲間内の飲み会が開かれているボックス席へと戻っていった。  〝ノラネコ〞と称されたのが、本当にミケなのか、定かではなかった。  昨年、比留間の傘下に入った、顔バレしていない園田(そのだ)を館野の元へと向かわせ、確認させた。  ミケで間違いないという報告に、俺の気は(はや)る。 「ポチは、大人しく留守番だ」  乗り込んでやろうと思った俺の気合いは、礼鸞の一言に阻まれた。 「な……っ」  血走った目を曝し、礼鸞に掴みかかった俺の手は、ぐっと握り込まれ簡単に剥がされた。 「行ったら、お前は揺れる。館野への怒りとミケへの心配で、制裁も救済も中途半端になんだろうが」  呆れたように紡がれた声に、ぐっと奥歯を噛み締めた。 「心配すんな。俺がきっちり落とし前つけてきてやるよ」 「うっす! オレがミケちゃん、ちゃんと救い出してきますよ!」  園田の軽さが、俺の心をも、少しだけ軽くした。

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