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第94話 逃がしてよ
はあっとあからさまな溜め息を吐いた礼鸞の指先が僕の額を弾いた。
「った……」
額に走った痛みに瞳を上げた僕の視界には、礼鸞の呆れ顔が映り込む。
「今更、なに言ってんだか……。オレが好きで、…自分で決めて、やってきたコトだ」
ふっと息を吐いた礼鸞は、僕の頭に手を乗せる。
手持ち無沙汰紛れに僕の髪を弄りながら、言葉を繋いだ。
「お前の頼みは、秒で片付くものから骨の折れるものまでピンきりだった。だけど、どれも比留間 に不利益んなるようなものはない」
オレの判断は間違っていないと断言した礼鸞の意思の強い眼差しが僕を見据える。
「お前を守ってオレになんの得があるんだ?って言った時、お前はオレにならナニをされても良いって言ったよな?」
初めてあった時に投げられた質問と、その時の僕の返答だ。
冷たい空気を纏う礼鸞の心の中心は、凄く温かい場所だと思ったから、僕はそこに棲みたかった。
「そのままそっくり返してやるよ。お前を傍に置いておけるなら、オレはなんだってしてやる。多少の厄介事くらいでお前を手放す気はねぇんだよ」
わかったか、とでも言うように僕の頬を軽く叩く礼鸞に、首を横に振るった。
「僕は試してたんだ。鸞ちゃんの気持ちを疑って、ちゃんと僕を好きなのかを確かめてた。僕のコトを好きなら〝お願い〞を叶えてくれるよね? って。でも、そんなの、……好意を利用した搾取じゃん」
好きな人を信じられないなんて、終わってるよね…と鼻で笑う僕に、礼欄は盛大に舌を打ち鳴らす。
「なんも取られてねぇのに、搾取もくそもねぇだろ」
アホか、と礼鸞は僕の頬を摘まんでくる。
その手をやんわりと剥がした僕は、眉尻を下げた情けない顔で礼鸞を見やった。
「鸞ちゃんがどう感じようと、僕は嫌なんだ。狡くて卑怯な僕が、嫌なの……」
ごめんね、と言葉を繋ぐ僕の手を擽った礼鸞の指先が、指の間に差し込まれる。
恋人同士が繋ぐように指を絡ませ握られた手は、簡単に離すコトが出来なくて。
「試してぇなら、なんぼでも試せば良い。オレはお前の〝お願い〞なら、なんでも叶えてやる。それに……」
捕まれた手に、逃げたいのに逃げられない。
居た堪れない感情のままに、僕は顔を俯ける。
「オレは、お前のコトを狡いとか卑怯とか、思ったコトねぇよ。狡いっていうのは、昔のオレみたいなヤツをいうんだよ」
はあっと吐かれた溜め息は、昔の礼鸞自身に対しての落胆だ。
「興味の無いフリして素っ気なくしておいて、離れていきそうになったら、優しくして引き留めて……。素直に〝好きだ〞って伝えりゃいいのに、人と違うコトが不安で逃げ出して……」
お前を傷つけてた分、狡さならオレの方が上をだろ、と張り合わなくていい場所で、競ってくる。
礼鸞は、怖かったんだ。
同性に惹かれている自分が。
マジョリティではない自分が。
そんな昔の話を引き合いに出したところで、あの頃の僕に償うコトなんて、…癒すコトなんて叶わないのに。
そんな無意味な後悔は、必要ない。
「そうだよ。鸞ちゃんは、出来るじゃん」
納得の声を上げる僕に、柔らかくなりかけていた礼鸞の表情が再び引き締まる。
「……鸞ちゃんは、女の人、好きでしょ? …好きになれるでしょ? 僕と別れて〝普通の〞恋愛すればいいじゃん」
これで丸く収まるでしょ、と紡いだ僕の言葉に、礼鸞の眉間の皺が深くなった。
「オレの感情をお前が決めんな。男とか女とか普通だとか異質だとか…、もう、どうでもいいんだよ。オレは、お前にしか興味ねぇんだよ」
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