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第142話 君はもう要らない

 控え室の前に辿り着き、その扉を開く。  中には、いつものように身体の熱を持て余しているマルがいた。  俺の手にも、黒藤の手にも、いつもの麻縄もペットボトルも握られていないと視認したマルは、眉をぴくりと揺らした。  黒藤と肩を組む柴田の姿にも、警戒感を強める。 「マル。君はもう要らない」  黒藤の言葉に、マルの顔から血の気が引く。  マルの顔色の変化を素知らぬふりで流した黒藤は、いつもの意地の悪そうな笑みを浮かべ、話を続けた。 「あ。ペケも連れてこなくちゃ、だね」  今、思い出したというように言葉を紡いだ黒藤は、柴田へと視線を向ける。  ペケを迎えにいこうと促す黒藤に、柴田の瞳が俺を窺う。 「俺はここで待つ」  俺を気にしながらも、柴田は黒藤と連れ立ち、部屋を後にした。  2人を見送り、戻した瞳に映るマルの姿に、俺のすべてが止まった。  きらりと光った雫が頬を伝い、音もなく落ちていく。  目の前で、マルが静かに泣いていた。  どんな痛みを与えても、こんな泣き方をしたコトはなかった。  流れた涙は、自由になった喜びからなのか、捨てられた悲しさからなのか。  あまりにも無表情で泣くマルに、その真意はわからない。  驚きを浮かべる俺と頬を伝う雫の感触に、自分が泣いていると気づいたマルは、ばっと顔を下げ、手荒く涙を拭う。  擦れ赤くなった目尻のまま顔を上げたマルは、俺に視線を据え、口を開いた。 「あんたが、あの新しいヤツを連れてきたの? だから、僕は要らなくなったの?」  お前のせいで僕は捨てられたのかと、マルの潤んだ瞳が俺を責めてくる。  やっぱりマルは、黒藤を慕っていたのだろうか。  あんなに黒藤の声に、言葉に、怯えていたのに。  あの歪んだ性癖は、黒藤に仕込まれたものだろう。  縛られ、拘束されるコトも。  命令され、逝かされるコトも。  マルの本意ではなく、恥辱でしかなかったはずなのに。  それでもマルは……。 「柴田は…、さっきの男は、君の居場所を奪い取りに来た訳じゃない。あいつは俺の仲間で、くろ……、白藤に騙された仕返しに来ただけ、なんだ」  じりじりと焼けつくような瞳で見詰めてくるマルに、俺は首を横に振るい、言葉を繋ぐ。 「君たちは、自由になっただけだ」  捨てられたわけではないと言葉を紡いだ俺に、マルの顔が、ぐしゃりと歪んだ。 「じ、ゆう……?」  苛立ちと哀しみが混ぜられたような、挑発的とも取れる音で声を零したマルの瞳が、再びの涙に溺れた。  それは、ほろりと零れた1粒の雫を皮切りに、次から次へと、ぼろぼろと溢れ落ちていく。  黒藤を処分しなくてはいけないのに、気持ちが揺らぐ。  泣くほど悲しまれてしまっては、胸が痛む。  奪い取り消し去るコトに、躊躇いが生まれてしまう。

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