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第143話 消えちゃう

 生きる気力の失せた黒藤を、今すぐに仕留めたところで、比留間(こちら)の憂さは晴れない。  俺をおちょくった絵図を描いた主犯である河堀は、もうこの世にいない。  野心の消えた黒藤を生かしておいたところで、なんの問題もない……のではないか。  ならば、比留間の管理下に置き、捕らえて離さなければ…、自由を奪いマルのためだけに生かしておくのもありなのではないだろうか……。  もう駄目だと、まるで張り詰めていた糸がぷつりと切れたように、マルは顔を覆って泣き崩れた。 「僕が、…ペケが、消えちゃう………。ごめん、ペケ…、ごめん」  踞り、ほろほろと泣き出したマルに、俺は眉を潜めた。 「消える?」  何を言っているのかと紡いだ疑問符に、マルは嗚咽を漏らすだけで、答えを紡がない。  キリキリとした痛みが、胸を刺す。  こんな風に、泣かせたかった訳じゃない。  追い詰めたかった訳じゃない。  〝消える〞とは、なんなのか。  ただ、2人が黒藤の支配下から逃れ、自由になるだけだ。  そんなに、愛おしかったのか?  黒藤の元を離れたくなくて、泣き濡れているのだろうと感じた。  でも、マルはペケへの謝罪を繰り返している。  不意に、タマの紡いだ言葉が脳裏を過った。  ―― 親がいなくて戸籍のないコ。  自由だと解き放たれたところで、戸籍もなければ生活能力もない彼らは、野垂れ死ぬしかないとでも思っているのかもしれない。  指示を受け生きてきた彼らは、放り出されてしまえば、どうすればいいのかわからなくなってしまうから。 「お前たちは、消えたりなどしない」  踞るマルへと落とした言葉に、涙に震えていた肩が、ぴくりと跳ねた。 「当面の間、比留間(うち)で面倒を見る」  傍に置きたければ、俺の好きにして良いと渋々ながらでも礼鸞の了承は取りつけてある。  裏切りが発覚したら容赦はしないと言われたが、裏切るための要因である黒藤は、比留間が抑えている上に、今のあいつになにかを仕出かす気力は皆無に思えた。  原動力がないのなら、反旗の翻しようもないはずだ。  鋭さを失った真っ赤に充血した瞳が、俺を見上げる。 「……あなたが、買ってくれる…の?」  いったい誰から買うというのか。  強いていうならば〝拾う〞だろう。  自分自身を、意思も感情もない無機物として扱うマルに、胸の奥が煩わしさを訴える。  誰かの所有物でなければ消えてしまうという発想は、従事するのが…、飼われるコトが当たり前だと慣らされてしまった彼らの悲しい(さが)なのだろうと、その感覚を理解する努力は放棄した。  ろくでもない飼い主に、馬鹿らしい戯れ言を吹き込まれ、それを鵜呑みにしているのであろうマル。  俺の口からは、呆れ混じりの深い溜め息が零れていた。  縋るように俺を見詰めてくる瞳に、ゆるりと腰を落とした。  目の前にしゃがみ込んだ俺に、緊張でひりつく空気がマルを囲う。 「2人が多すぎるなら、ペケだけでもいい」  困ったように眉尻を下げ、懇願してくるマルに、嫌な空気を蹴散らす為に、はっと短く息を吐いた。 「買う…、とは違う。けど、ここに、…俺の傍に置きたいとは思ってる。もちろん2人まとめて、だ」  俺の傍にいる気はあるか? と視線で問う俺に、マルは小さく安堵の息を吐いた。

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