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第154話 なにもない

 どこをどう切り取ったら〝心配〞に結びつくのかと首を傾げる僕に、礼鴉の親指が再びクマをなぞる。 「眠れなくなるくらい何かを気に病んでる……それは、黒藤のコトなんだろ?」  困ったように眉尻を下げた礼鴉は、寂しげな瞳を僕に向け、諦めの溜め息を吐いた。 「黒藤は生きてるよ。あいつの命は、君の手の中だ」  息苦しさから逃げるかのごとく、視線を逸らせた礼鴉は、そっと僕の手を取る。 「生かすも殺すも、君次第。会いたいなら、会わせられるけど……本音を言えば、会わせたくはない、かな」  懇願に近い切実な音を纏った礼鴉の言葉に、僕は首を横に振るった。 「会いたいわけじゃ、ない。……黒藤のコトを考えて、眠れないわけじゃない」  ふるふると頭を振るう僕に、礼鴉の疑問に塗れた瞳が向けられる。 「君のこのクマの原因は、黒藤なんじゃないの? ……好き、なんだろ?」  悲しげな音を纏った礼鴉の声に、僕は再び顔を歪めた。  僕の反応に、礼鴉の顔には困惑の色が浮かぶ。 「愛や恋のそれとは違うかもだけど、黒藤が好きだから、恩義を感じてるから…、だから、あの時、黒藤を葬るコトを躊躇ったんだろ……?」  首を傾げ問うてくる礼鴉に、僕はどうしてそうなってしまったのかと、記憶を浚う。  あの時と称されたのは、格闘技場が礼鴉たちの手に渡った時で、その際、僕は黒藤をどうしたいのかと問われていた。  柴田という男が黒藤の命を奪うつもりだが、僕が自分でケリをつけたいのなら、手出しはしないと言われた。  好き好んで戦っていたわけでも、苦痛を我慢していたわけでもない。  捨てられるはずだった僕たちを買い取り、居場所を与えてくれたコトに、感謝はしていた。  でも、尊敬しているとか、好きだとか、そんな感情を持ち合わせてはいなかった。  逆に、葬りたいと思うほどの憎しみや憤りを感じてもいない。  強いていうのなら、好意も嫌悪も…、興味や関心すらもなく、生き長らえていようと野垂れ死にしていようと、どうでもよかった。  そんな相手だからこそ、あの時は黒藤を相手に人を(あや)めてしまったという業を背負う必要などないと躊躇っただけだ。 「黒藤のコトなんて、1ミリも考えてないよ」  寂しげな瞳や悲しげな声で投げられる質問を、僕は否定する。  礼鴉が気に病むような黒藤への情など、僕は持ち合わせていない。  ならば何故に黒藤を見逃したのかと、不可解だと言わんばかりの怪訝な瞳が僕を見詰めてくる。  居た堪れない空気を孕む礼鴉の視線に、僕は瞳を伏せるしかなかった。

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