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第28話 塔の崩壊
「神々の戦」の駒の一つに、雷の神というものがある。雷の神は轟音を響かせながら、気まぐれに下界の者に天罰を与える神だという。
雷というものは知らないが、その轟音が聞こえた時、咄嗟にシリルは雷の音ではないかと思った。今まで聞いたことがなく、かつてないくらい大きな音だったからだ。
「な、なんだ⁉」
伐採所の人間と会話していたシリルは、床が大きく揺れて不安定な中、背後から聞こえた轟音に反応して振り返った。
先ほど調査した壁面に、大きな亀裂が走っているのが見えた。先ほど見たような、表面に線が走っているだけのチャチなヒビ割れとは比べ物にならない。床から天井近くまで、遠くから見てもわかる亀裂が入っている。
――壁が崩壊していた。分厚いはずの壁が、ガラガラと崩れて瓦礫になっていく。すぐに、冷たい風が吹き込んできた。
「ぎゃああーッ!」
森林フロアにいた人々は、悲鳴を上げた。吹き込んできた風は、刃のように鋭く素肌を突き刺す。突然こんな寒さに晒されれば、悲鳴も上がる。
「シリル、大丈夫か!」
異変の中、アロイスが真っ先にシリルの元に駆けてきた。息が詰まるほど、強く抱き締められる。
「オレは大丈夫だよ」
「無事か、よかった」
心底からほっとしたような声音に、心が掻き乱される。そんな風に勘違いさせるような態度を、取らないでほしい。こんな状況の最中なのに、真っ先に自分を案じてくれたことに嬉しさを感じてしまった。
極寒の風は、白い雪を含んでいる。塔の外から吹き込んできたことは明白だ。崩れた壁の一部が、外まで繋がってしまっているのだ。
文官たちや護衛の兵士たち、そして伐採所の人たちは必死に己の身体を掻き抱いたりその場に蹲ったりしている。
「皆の者、上へ!」
アロイスの声が響き渡る。
吹雪に掻き消されることのない大声に、戸惑っていた人々は一斉に螺旋階段を目指し始めた。その様子を見て、アロイスはやはり王なのだと思った。咄嗟の状況で「この人に従えばいい」と人々に思わせることができるのは、王としての才覚がなせる技だと感じた。
一行は螺旋階段を使い、中層の上のフロアへと向かった。螺旋階段を上っていても、冷気が追いかけてくるかのように下の方から這い上がってくるのを感じた。
螺旋階段を使う人間の数々は続々と増えていく。どうやら、森林フロアよりも下のフロアも崩壊したようだと察した。
中層の一番上のフロアに着いた頃には、下から上ってくる人々でフロアはぎゅうぎゅうになっていた。さらに上の上層へと、上ろうとする人間はいない。冷気から逃れるために大勢で上層に押しかけたりしたら、間違いなく揉めごとになるからだ。最悪の場合は、殺されるかもしれない……。シリルは親方やエミールのことを思い出していた。
アロイスやシリルたちは上層へと行こうと螺旋階段を上がっている最中だったが、ふとアロイスが立ち止まった。彼は真剣な顔で、すし詰めになった中層フロアを見下ろしている。人込みでごった返す中で親とはぐれたのか、子供の泣き声が聞こえてくる。
「民らをこのままにしておいて、いいはずがない……」
「アロイス?」
一体どうしたのかとシリルがアロイスを見つめると、彼は大きく息を吸った。口を開くと、大音声がフロアに響き渡る。
「王たる私が許可する、避難してくる者たちを上層でも受け入れる!」
アロイスの宣言に、中層フロアがぴたりと静かになった。
「陛下、何を勝手なことを仰ってるのですか⁉」
エリクの慌てようから察するに、本来であれば偉い人間が何人も頭を突き合わせて話し合って決めねばならないことなのだろう。
中層にいる人たちも、一様に不安げな顔をしている。シリルには、彼らの不安がよく理解できた。王が許すと宣言したからといって、上層民が許すとは限らない。そう心配しているのだ。
「皆の不安はわかる。避難者たちを快く受け入れるよう、上層民を説き伏せよう。幸いにして、上層には演奏会のための音楽堂が数多く存在する。それらを避難所としよう。今言った準備を進めるために今すぐにとはいかないが、その点は耐えよ」
アロイスの言葉に、避難者たちは顔を見合わせる。王様が自ら説得してくださるっていうんなら、などと声が聞こえた。
「ただし」
続く言葉に、再び避難者たちの視線がアロイスに集まった。
「条件として、混乱を招かぬことだ。あとで兵士たちを遣わすから、その者らの誘導に従うように。従えずに上層まで駆け上がったり、または上層で悪事を行う者は斬り伏せられても文句が言えぬものと心得よ」
言葉を切ると、アロイスは避難者たちを見渡す。異論が上がらないかどうか、確認しているのだろう。
異議を唱える者は存在しなかった。
「以上だ」
くるりと向きを変えると、アロイスは早足で上層へと螺旋階段の段を踏みしめていく。シリルも慌てて後ろをついていく。
彼の背中に、尊敬の念が溢れてくるのを感じる。彼は民の苦しみを放置せず、導いてくれる王だ。シリルにとって、理想の王であると感じた。
上層に上がったアロイスは、またもや手腕を発揮し上層民を素早く説得した。
王宮に戻ると、手早く兵たちに事の次第を伝え、いろいろと命じていく。手際のよさに目を丸くしていると、アロイスはシリルを振り返った。
「私はこれから最上階へ赴く」
「オレもついていく!」
ほとんど反射的に答えた。何の役に立たなくとも、彼の側にいたくて。
シリルの答えがわかっていたかのように、アロイスはにこりと微笑んだ。
「ここは私にお任せください」
兵や召使いらへの指示出しを、エリクが引き継いでくれた。
エリクに感謝をし、アロイスとシリルの二人は最上階の儀式場へと向かった。
王宮の奥へと向かい、秘密の螺旋階段が隠された壁にアロイスが手を触れ、光らせて開ける。小走りで螺旋階段を駆け上がり、二人は儀式場に躍り出た。
「こ、これは……!」
儀式場の壁面を見たアロイスは、驚愕の声を上げた。
壁面には、塔の図が描かれておりそこに光る石がはめられている。大抵は石は緑色に光っており、アロイスに力を注がれると橙色に光る。
だが、中層にあたる箇所から下層の上部にかけて、全体の四分の一ほどの石が光を失い、黒く変色していた。
たしかアロイスの説明では、王の力が足りない時は青く光るということだったはずだ。黒く変色するなんて、聞いたことがない。異変が起こっている証だった。
「これほど大規模に塔が崩壊している、ということか」
石が黒くなってしまっているところは、崩壊してしまっている。そういうことなのだろう。
四分の一も塔が崩壊してしまったら、人々はどう暮らしていけばいいのだろう。そもそも暮らしていくかどうかの前に、時間が経てば経つほど塔の中は冷えていくだろう。
「このままでは、塔の中の温度が保てない。崩壊した部分から奪われていく熱の方が多い」
アロイスの言葉に、シリルも青褪めた。このままでは遠からず、塔の中のすべての人が死んでいってしまう。見ている間に、黒い石の周辺の石の色が、緑色から青色に変わっていっている。
「底の抜けたバケツに水を注ぐようなものだろうが、手をこまねいているわけにはいかない。星羅の儀を執り行う」
アロイスは儀式場の中央に座り、王の力を塔に注ぎ込み始めた。
青くなっていた石が緑色に変わり、そして橙色に変わろうとする。だがせめぎ合っているかのように、緑色と橙色の間の色で揺らぐばかりで完全には変わらない。
アロイスの顔に汗が浮き始める。王の力を注ぎ続けるのが、苦しいのだろう。星羅の儀は本来体力を消耗するものだと、彼は以前言っていた。
塔の人間が寒さで死ぬより、アロイスが力尽きる方が早いかもしれない。シリルは焦った。
ジョスランから聞いた話が、思い出される。塔が崩壊した時、楽士が命を捧げることで塔が再生したという話を。
塔の壁が崩れてしまった理由はわからない。とっくの昔に崩れ去っている運命だったのかもしれない。実際、一度崩壊しているのだから。それを当時の楽士が命を捧げて、塔を永らえさせた。
生命の神がいなくなれば、生命の神の創造物である塔は崩壊して当然なのかもしれない。王の星羅の儀には、塔を修復したり補強する効能はないのだろう。もしそんな効果があるのであれば、定期的にアロイスが儀式を執り行ってきたのに崩れるはずがない。
この塔を、いや、アロイスを救えるのは楽士である自分しかいないということだ。
アロイスは理想の王だ、死ぬべきではない。それ以上に、シリルは彼を死なせたくないと思っている。
壁が崩れた時、彼に強く抱き締められた感触を思い出す。大事にされている、と感じられた。それがたとえ、自分が楽士だからという理由だったとしても構わない。
シリルは、彼のためならば命を捧げられると思った。きっと神の導きがあって彼と出会えたのは、今日という日のためなのだ。楽士が命を捧げて塔を永らえさせるために、導かれたのだ。
アロイスと出会えたから、今日まで幸せに生きてこられた。神に助けてもらえるかもと思いながら塔の外に飛び出した時とは違って、今回は確実に死ぬだろう。死ぬ覚悟ができるくらい、たくさん幸せな思いをさせてもらった。何の役にも立たない自分が、恩を返せる唯一の機会だ。
決心すると、シリルは星羅の儀を執り行っているアロイスに気づかれないよう、こっそりと儀式場を後にした。
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