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第29話 秘密の儀式場
小さな螺旋階段を下り切ったところで、扉が閉まっていることに気づく。アロイスが手を触れると光が灯って自動的に開く、不思議な扉がだ。
王だけでなく楽士が触れても開いてくれないだろうか、と慌てながらシリルは扉に手を触れてみた。途端に、身体の内側から扉へと向けて何かが引き出されるのを感じた。扉に光が灯っていき、自動的に開いた。
楽士でも反応してくれるようだ。この分ならば、最下階の秘密の儀式場にも自分一人で入れそうだ。
シリルは自室に戻り、衣装箪笥を開けた。衣装箪笥の中には、仕立ててもらってから一度も使っていないコートがある。シリルはフード付きの毛皮のコートを選び、手には革手袋をはめ、足にはブーツを履いた。これで完璧だ。
王宮は全体的にざわざわとし、せわしない雰囲気に包まれている。誰かに見咎められないうちに、足早に王宮を出た。
下へと向かう螺旋階段を下りる。王宮にほど近い場所は、まだ暖かい。コートを着ていると、暑いくらいだ。だが暖かい空気の中、下からひやりと冷気を感じる。下はどれほど寒いのだろう。
アロイスが追いかけてくるといけないので、シリルは足早に段を下りていった。
ひたすらに階段を下り、上層から中層へと着く。中層まで来ると、もうだいぶ寒かった。かつての下層を思わせる寒さだ。
分厚いコートを着ているからこれくらいはへっちゃらだ。だが、これから崩壊している場所を通って下層までいかねばならない。窓から飛び出して、身体が芯まで冷え切った時のことを思い出す。あの時とは違って、今回は防寒をしっかりとしている。これで大丈夫だと思いたいが、苦しい思いをすることには変わりないだろう。
「おい、あんた! そっから下は……」
忠告する中層民に構わず、シリルはさらに下へと下りた。
鋭い冷気が足元から襲ってくる。その寒さに、この一つ下のフロアから壁が崩れているのだろうと察せた。思わず足が止まった。
「シリル、サボるんじゃない。足を止めるな」
小さな声で自分を一喝する。立ち止まっている場合ではない、一刻でも早く最下階へ行かなければ。シリルは下のフロアまで下りた。
白い吹雪がフロアを吹き荒れていた。崩壊した壁から、絶え間なく吹雪が吹き込んできている。螺旋階段を下りていくと、シリルの身体が直接吹雪に吹き晒される。
シリルは、顔を覆う物も着けてくればよかったと後悔した。唯一素肌を露出している顔が、刃に突き刺されているかのように痛む。フードを目深に被り、少しでも顔に風が当たらないようにした。
螺旋階段の段に雪が積もっていて、シリルは滑らないように慎重に階段を下りた。
寒さに耐えながら、ひたすらに下を見て階段を下りていく。足元から目を離すことはできない。少しでも気を許すと、転げ落ちてしまいそうだ。早く通り抜けたいのに、神経を使って一歩一歩慎重に下りるしかない。
「っ!」
足が滑りかけた時には、冷や汗がどっと噴き出た。
やっと下層の壁が崩壊していないフロアまで辿り着いた時、シリルの身体は芯まで冷え切っていた。
壁が崩壊していなくても、上からの冷気で相当寒いフロアには、下層民は誰一人としていなかった。皆凍死してしまった……というわけではないだろう。下の方に避難しているのかもしれない、と希望を抱きながらさらに下を目指して盲目的に足を動かした。大丈夫だ、雪がなくなった分歩きやすくはなったのだから。
「あんた、上から来たのか!」
ある程度フロアを下りていくと、声が聞こえてきてこちらへ駆けてくる下層民の姿が見えた。下層民が死に絶えてしまったわけではないのだとわかって、ほっと胸を撫で下ろす。
このフロアの方が、崩壊したフロアより離れている分まだ寒さがマシだった。だから下層民たちは、ここまで避難してきているのだろう。まさか下の方が暖かいなんてことがあるだなんて、思ってもみなかった。
「あんた、上の人だろう! 上はどうだった、どれくらい上まで崩壊しているんだ⁉」
立派なコートを着ているから上層民に見えるのだろう。苦笑しようとした笑みが、寒さで引きつった。
「中層の真ん中より少し上くらいまで、全部ダメだ。上層なら暖かいし避難者も受け入れているけれど、しっかりとした防寒具がなきゃ上に行くのは無茶だ」
「中層の真ん中まで……!」
声をかけてくれた男の人が、絶望に顔を歪める。
「それよりあんた、この人を早く温めてあげないと!」
あとから来た恰幅のいい女性の下層民が、男の人を叱り飛ばす。
「いえ、そんな必要は別に……」
「そんなに震えて、遠慮している場合じゃないでしょう!」
断る隙も与えず、恰幅のいい女性はシリルの手を引いて連行した。
シリルが連れて来られたのは、大きめの職人工房だった。避難所として開放しているのか、それとも近所の人が集まっているのか大勢の人がたむろしていた。
待ってな、と言われたので少しの間震えて待っていると、恰幅のいい女性がスープを持って戻ってきた。湯気が出ているスープを見て、下層の湯沸かし場の機能が働いていることを知った。
「ありがとうございます」
礼を言って器を受け取り、スープを口にした。身体が内側から温まっていくのを感じる。お湯に浸された布を女性が差し出してくれたので、それで顔についた霜を取るとほっとするのを感じた。
「助かりました」
「上の人が、なんだってこんな寒い思いまでして下に来たんだい?」
女性から同情の眼差しを受ける。よほど寒そうに見えていたらしい。
「この塔に秘密の最下階があって、そこで儀式を執り行えば塔が復活する可能性があるんです。オレはその儀式をするために、来ました」
嘘をつく理由はないと思ったので、儀式をすれば自分が命を失うことだけは伏せて、素直に事情を話した。
「なんだって! その儀式とやらをやれば、あたしたち全員助かるっていうのかい⁉」
女性は悲鳴のような声を上げた。工房にいる人々の視線が、一斉に自分たちに集まる。
「でも、その儀式場の場所はこれから探すんです」
「そりゃ大変じゃないか! みんな、こんなところでぐうたらしている場合じゃないよ!」
女性はパンパンと手を叩き、工房にいる人たちに呼びかける。女性に呼びかけられた人々が大急ぎで工房を出て行って近所の人に呼びかけ、あれよあれよという間に大勢で秘密の最下階を探すことになった。
身体も充分に温まったことだし、大勢の下層民たちと一緒に一番下のフロアへと向かった。
一番下のフロアには人が住んでおらず、廃墟になっている。その認識だったが、ここ最近は違うようだ。王の力が行き渡るようになって暖かくなり、一番下のフロアは下層民の広場として使われていると道中で聞いた。現在は避難所の一つになっており、既に人が何人かいた。
一番下のフロアではあるが、ここは秘密の最下階ではない。最上階のように、儀式場を隠す秘密の扉があるはずだ。
既にこのフロアにいた人にも説明をし、下層民らによる大捜索が始まった。一人で探すはずだったのに、と戸惑いながらも非常に助かったと感じた。一人で探していたら時間がかかっただろう。
「おい、ここが怪しいぞ!」
ほどなくして、声が上がった。シリルは叫んだ人のところへと、駆けた。
そこは打ち棄てられた礼拝堂だった。秘密の最上階が隠された壁があったのも、礼拝堂だったことを思い出す。
「この壁だけ、叩くと音が違うんだ」
見つけた人は、地道に壁を叩いて探してくれたようだ。
「ありがとうございます!」
シリルは礼を言うと、壁に手を触れた。シリルの中から力が引き出され、扉に吸い込まれていく。壁に光が灯り、光が真円を描いていく。真円が完成すると、壁が横にずれてその奥の下へと続く螺旋階段が現れた。
「ここから先に入れるのはオレだけです。秘密の扉を見つけてくださり、ありがとうございました」
下層民たちが一緒に入ってきたら、命を捧げるのを止められてしまうかもしれない。シリル一人だけが壁の向こうに足を踏み入れると、壁はひとりでに閉まった。
ここからは一人だ。シリルは覚悟を決めて、螺旋階段を下りた。
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