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第5話

 夕方、流路の車について街――といっても地方都市によくある量販店や大型スーパーやドラッグストアが集まっている国道沿いの複合施設に行って、洋服の大型チェーン店で下着や当面の服を買い、スーパーで日用品を揃えた。  レンタカーの営業所に軽自動車を一旦返却してまた借り直そうとすると、同じクラスのレンタカーは次に予約が入っていて明後日以降でないと借りることが出来ないと言われた。 「えー、どうしよ」 「いいよ、またオレが乗せてきてやるから改めて借りに来ようよ」  その申し出に甘えることにして、とりあえず流路の車に乗って帰ることにした。 「ありがと、流路。用事が一気に済んだよ」とワゴン車に乗りつつ声を掛けると、「どういたしまして」と流路は笑った。      帰り道、しばらく二人とも無言でいると、大通りの信号で停まったときに流路が口を開いた。 「あのさ」 「ん?」 「佐々乃って……付き合ってる人は、いないの」  急に聞かれてドキリとした。そういえば結局そんな話はどちらからもしていなかったのだ。お互いもう二十七とかで、結婚の話が出てもおかしくない年頃なのに。 「……今はいない。半年くらい前まで彼女がいたんだけど、仕事が忙しくてデートをすっぽかしてたらつまんないって言われてフラれた」 「ええ?ひどいな」  流路は笑ったが、その言葉に少し安堵が含まれているような気がするのは自意識過剰だろうか、などと天音は考えた。 「しょうがないんだ。……俺も、忙しいけど会う時間作らなきゃ、とか思うのに疲れてたし。相手に不満が溜まってるのにも気付いてたのに時間が無いからって自分に言い訳して何もしなかった。……二年くらい付き合ってたけど……女性にとっては結婚とか考え始めるような年齢だよな。なんか悪い事したなと思うよ」 「……そうか」 「流路は」天音は思い切って切り出した。「……お前は、どうなの。今はいないの」 「ここ何年か、いない。大学の頃から新卒で入社した後まで付き合ってる人はいたけど……。その人、自由人でさ。学生のころから海外を一人旅したりしてて、卒業後ももう少し世界を周りたいっていって就職せずに旅をしてた。大きな園芸店でバイトしてたから植物が好きになったみたいで、世界の変わった樹木を見て回りたい、いずれそれを輸入する仕事をしたい、とか言ってて……。オレは仕事が忙しかったから、その人がたまに海外から帰って来ても会えなかったりして、生活のリズムが全然合わなくなって……。お互いにもう潮時だったんだな。『もうやめようか』ってどちらからともなく言って別れた」 「そうか。俺も流路も、仕事優先で恋人を放ったらかしだったわけだ。ダメだなあ」  はは、と天音は笑ったが、その〈付き合っていた人〉が男性なのか女性なのかはさすがに突っ込んでは聞きかねた。本人が言わないのに不躾なことを聞くのは嫌だった。 「……だから、誰も来ないから。ゆっくりしてってよ、佐々乃」 「うん。ありがとう」  なんとなくホッとして天音は言った。それがどうしてかは、はっきり自分に追求したくなかったけれど。 「さすがに外出たらちょっと汗かいたなあ」  店に帰り着くと、天音は手をヒラヒラさせて顔を扇いだ。 「そうだな。佐々乃、先に風呂に入れば」 「いいの?」 「うん。その間に夕食用意しとく。何が食いたい?」 「なんか、ほんとに至れり尽せりだなあ……とか言いつつ、よかったら今度はハンバーグ食べたい。昼間、おっさんたちが頼んでたやつ」 「いいよ、あれならストックがあるからすぐ出来る。煮込んだやつがいい、普通に焼いてソース掛けたやつがいい?」 「うーん、焼いたやつ」 「分かった。準備しとく」  脱衣所で服を脱ぎながら、いつしか天音はさっき車内でラジオから流れていたヒットソングを鼻歌でまた歌っていた。  まるで旅館のような建物で、気の合う奴と一緒で、旨い飯がやたらと出てくる。こんな出来すぎたことがあっていいのだろうか。やはり来て良かったと、ここに来て以来、何度目かに思う。  過去のことはどうも互いに棚上げしている感じがするが、もしかするとこのまま暗黙の了解で水に流すべきことなのかもしれない。  シャワー室で頭と身体を洗い、浴槽の方に向かって歩いたとき、天音は異変に気付いた。  辺りはもう薄暗い。カサ、カサ、と暗闇の中で何かが動いているのが分かる。 「……猫かな……?」  目を凝らすと草木の中からこちらに向かって何かが走り出てくる気配がし、天音は仰天した。数メートル先の闇の中で、何かの 目がギラリと光る。 「ギャッ!」  天音は慌てて脱衣所に戻り、そのまま出ようとして素っ裸なのに気付いて、バスタオルだけ腰に巻いて飛び出した。廊下に一旦出ると、ドタバタとカフェへと続く扉を開ける。 「りゅ、りゅ、流路……つ……!」 「な、どうした?佐々乃……」  ただならぬ様子に驚いた流路が、目を丸くしてこちらを見る。 「な、なんか、いるっ!風呂場に、なんか……!」 「……え、なんだなんだ。動物?」  こくこく、と天音は頷いた。 「なんだろなあ」  動揺している天音とは対照的にのんびりした態度で首を傾げた流路は、キッチンの中に立て掛けてあったホウキを手に取った。 「……そ、そんなんで戦えるのかっ……?」 「たぶん、大丈夫」  微笑んだ流路は天音に先立って浴室に入って行く。そして、風呂に続く扉を開けると「ははあ」と笑った。 「……な、なにっ?何だった?」 「タヌキだ」 「たぬき……?」 「ほら、あそこにいる」 指さす方を見ると、暗闇の中で「ヴーー……」と微かな唸り声がする。 「ギャッ!」思わずまた大声を上げて天音は流路の背中に隠れた。 「そんな怖いもんじゃないって。タヌキとかイタチとか、よくいるんだよ、ここらへんには。可愛いモンだけど、触ったりすると菌もあるだろうし凶暴だから手は出さないようにね」  こくこく、と頷くと、流路はすたすたと浴槽を通り越して庭に出た。すると、警戒していた様子の毛むくじゃらのそれは、ビクっとして一瞬こちらの出方を窺っていたようだったが、少しだけ流路がホウキを持った手を上げると驚いたらしく、ガサガサッ、と音を立てつつ飛んで逃げて行った。 「はー……びっくりした」  天音は胸を撫で下ろした。 「はは、佐々乃、ビビりすぎ。動物、嫌いだっけ?」 「嫌いじゃないけど。猫かと思ったらあんまり見たことない大きさの動物がギラギラした目でこっち見て来たから、びっくりして……」  自分の動揺ぶりに今さら恥ずかしくなってきた天音は頬をポリポリと掻いた。  その様子に「くす」とまた流路が笑ったのでさらにムクれる。 「笑うなよお……」 「ごめん。……なんか、可愛いなと思ってさ」  そう言われてカッとなって思わず、 「かわいいって、何だよっ……!」  と顔を上げて流路を見た。  すると、びっくりしたような顔をした流路の頬が少しずつ染まって来た気がして、(ん?)と思う。 「……ごめん、笑って」  流路はフイ、と目を天音から逸らした。 「……ん?ああ、こっちこそ悪かったな、大騒ぎして……」 「また、なんか出たら呼べよ。鹿とかもいるって話だし……」 「シカ⁈」 「おう。まあ、熊とかは出ないらしいから大丈夫」 「……大自然過ぎるだろ」 「まあね。山奥だからさ」  そう言うと、こちらを見ずに流路は浴室を出て行った。  あいつ、何だよ……と思ったが、なんとなく天音は流路が頬を赤らめた理由が分かった。  腰に巻いたバスタオルがずり下がって来ていて、もう少しで下半身が見えそうになっていた。「わ」と言って今さらバスタオルを巻き 直す。  しかし、風呂入るんだった、と思い直してまたタオルを脱衣所に置いて浴槽に浸かった。 「ふー……」  息を吐いて空を見上げると、たくさんの星が瞬き始めているのがガラスの天井越しに見える。 「あいつ……」天音は呟いた。  ……普通って、男が男の裸を見たくらいで、顔を赤らめたりするんだっけ?分からない。いやいや、そんなことないか。バドミントン部でだって、体育の授業の前だって、社会人になったばかりの頃に通っていたスポーツジムでだって、みんな平気で全裸になって着替えてたし、自分だって誰かの裸を意識して見たことなんてなかったはずだ。  しかも、『可愛い』ってなんだ。男が男に向かって言うことか。……けれど、不快ではなかった。  まさかとは思うが。流路から感じるいろんな要素――表情や、態度や、天音に帰って欲しくなさそうや口ぶりや――そこから、つい考えてしまう。  もしかして……まだ、俺のこと、好きだったりするのか?なんて。  けれどそう思った途端、顔から火が出そうになった。  ああ、なんて図々しい。少し優しくされたくらいでこれだ。あいつはそんな気さらさらなくて、さっき赤面してたのだってナイーブなヤツだから単に誰かの裸を見るのが気恥ずかしかっただけかもしれないのに。 (けどさ。けど……)天音はあの夏祭りの夜を思い出してしまう。  あんなキスをしてきたヤツだぞ?もしかして、って考えてしまうのは仕方ないじゃないか。  けど、まあ、もしかしてそうだとしたら、じゃあ自分はどうするつもりだ?どうしたいんだろう。天音はそこまで考えてやはり答えが出せなかった。はっきりと出したくなかっただけかもしれないが。  髪を乾かし買ったばかりの部屋着に着替え、タオルを肩に掛けてカフェの中に入ると、肉の脂の匂いが室内に充満していて食欲が唆られた。  ジュー、という音がして流路の手元を覗き込むと、フライパンの上でじわじわと脂を噴き出しながらハンバーグが二つ並んで焼かれている。 「うわ、ハンバーグだ!」  天音は思わず目を輝かせて、感嘆の声を上げた。 「佐々乃ってなんだか、子供みたいなとこあるよな……」  流路が呆れたような顔をする。 「なんだよ、いいだろ」 「うん、いいけど」  穏やかに微笑んでフライパンを揺らす流路を見て思わずモヤっとした気持ちになり、(?)と胸の中にクエスチョンマークが浮か ぶ。だからなんだ、〈モヤ〉って。  苛立ちではない、なんとなくもどかしい気持ち。それをなんと名付けていいのか分からない。  出されたハンバーグを口にするやいなや、「うまーい!マジでこんな旨いもん食うの久しぶりだ」と天音は声を上げた。 「昨日から大袈裟なんだよ。さんざん接待で高級店に行ったりしてたんじゃないのか?」 「まあ、そういうこともあったけどさあ、気を遣って食うメシなんて大してうまかねーよ。ここ最近は本当にロクなモン食べて無かったし。 あー、俺もうチェーン店のメシとか食えないかも」 「……じゃあ、オレがずっと作ってやるよ」 「そうだな、頼むな〜!」  天音は調子に乗って、バンバンと隣に座る流路の背中を叩いたが、流路は口の端だけで微笑って箸を進めた。  それでなんだか、もじ、としてしまって天音はハンバーグに目線を戻した。 「……本当にウマい。けど、ここにいたら太るなあ、確実に。運動しないと」 「運動かぁ。あ、そうだ、佐々乃って泳げたっけ」 「泳ぎ?得意ではないかな……二十五メートルくらいならクロール出来るかなって程度だよ」 「そっか。あのさ、瑞澤川の下流の方に泳げるスポットがあるんだ。去年、この建物の工事の様子を見に来たついでに一人で泳ぎに行ったんだよ。そこだけ流れが穏やかで、立ったら胸の下に水が来るくらいの深さかな。今週はずっと天気いいみたいだし、金曜あたりにそこ行って泳がないか?」 「え、カフェは?」 「ランチの時間までやって閉める」 「お前さあ、そんな経営方針でいいわけ?」 「だって、今日だって結局あのあと客は来なかったろ」 「や、そうだけど。そういう問題か?」 「ま、いいんだよ、趣味みたいなもんだし。儲けようとあんまり思ってないし」 「そうなのかぁ?」 「……オレ、証券マンだったろ。金は今でも動かしたりしてるから」 「はぁ?お前、なんか怪しいことやってねえだろうな?」  天音が思わず目を剥くと、 「バカ、なわけあるか。普通に投資やってるだけだよ」  と、流路は可笑しそうに答えた。 「そうか。ならいいけど」  なるほど、こいつはそういえば敏腕トレーダーだったのだ。資産管理はお手のものなのかもしれない。 「泳ぐっつっても……。水着なんて持ってないぜ?早く言ってくれれば買って来たのに」 「あ、それなら大丈夫。去年、最初に買った水着が思ったより小さくてさ。それ、やるよ」 「〈思ったより小さかったヤツ〉ねえ。なんか引っかかるけど、じゃ、それ貰っとくわ」 「ああ。穿いてみたあと、ちゃんと洗ったからさ」 「当然だっつの」  まったく、こんな呑気な生活を送っていていいのだろうか、と天音は滞在二日目にして思う。まるで、夏休みに田舎のおじいちゃんの家にしばらく遊びに行っていたときみたいだ。  あの子供の頃のような全能感と安心感が天音の心を満たし始めた。この歳になって友人に甘えてこんなことでいいのか、とも思うが、流路も嬉しそうだし、何より二人とも大学卒業後は身を粉にして働いて来たのだ。たまには頭を空っぽにして、自由に生きるのもいいのかもしれない。  その後の数日、天音はカフェを手伝ったり、買い出しに行ったりレンタカーをマンスリー契約で借り直しに行ったりした。 約束した金曜の午後になると、流路の車で瑞澤川沿いの細い道路を下流の方へ下った。何台か駐車できそうな窪んだ場所があり、そこに車を停める。  岩場に囲まれてぽっかりとまるでプールのように流れが穏やかになっている下流のそのスポットには、二人以外は誰もいなかった。平日だし、子供が遊ぶには深過ぎるからかもしれない。 「ここより上流の方が魚が多いから釣り客もこっちにはほとんど来ないんだよ」と言われて「へえ」と返す。  服の下に既に水着を着てきた二人は、Tシャツとボトムスを脱いで岩場に置き、少し身体を動かしてから水に入った。気温は三十度を超えていたが、水温は山から流れて来る川の水とあって随分冷たい。慣れるまで天音はぶるっと身体を震わせた。  しばらくして水温に馴染むと、持って来たビーチボールを打ち合っては拾い、ぶつけ合っては笑い転げた。  太陽はまだまだ高く、陽射しは強いが空気はからりとしていて、きらきらと水面に日光が反射して輝き、あまりのまぶしさに目が眩んだ。  泳いではボールを再び打ち合ったりしていたが、その途中で、つるり、と天音は水中の平らな岩の上で足を滑らせた。 「うわ!」  がぼ、と後頭部から水面に身体が落ちる。体勢を立て直そうとするのだが、また苔で脚が滑り、更にちょうどそこが水深の深い地点だったようでなかなか身体が起こせない。  遠くで「……さの!」と流路の声が聞こえたが、焦ってザバザバと自分の手足が水を掻くばかりで何にも捕まることができない。  ヤバい、と思ったそのとき、ぐいと前から両脇に手が入れられて、身体を引き上げられた。 「大丈夫か⁈佐々乃」  飲み込みそうになった水をげほげほと吐き、「だ、だいじょうぶ……」と答えたが、心臓は物凄い速さでバクバクと音を立てていた。 「お前さあ、溺れんなよなー、こんなとこで」 「びっくりした……死ぬかと思ったよ。足が滑ってなかなか下に着かなくて……」  立ち上がってみれば、深いといっても水面が少し胸の上に届くくらいの場所だった。 「よかった……」  流路は天音の両脇に手を入れたまま、溜め息を吐いた。  その息が少し顔に掛かり、流路の太い腕が直に身体に回されていることを急に意識してしまう。 「りゅ、流路、もう大丈夫だから……」  そう言って腕から逃れようとすると、向こうも初めて気づいたように「あ、ああ……」と言って腕を離そうとした。それなのに流路は再び天音の脇に入れた腕を背中に回した。 「え……」  抱き締められて目を見開くと、 「佐々乃」  と発した流路の、真剣な瞳がそこにあった。  ふいに顔が近付いてくる。抵抗した方がいいのか判断する暇もなく、唇が天音の唇を優しく覆った。 「ふぁ……ん、りゅう……」  声を出そうにもすっぽりと口を覆われてしまって何も言えない。そのうち、上の唇と下の唇を啄ばむようにキスされ、重なった唇から出てきた湿った舌が天音の唇の隙間を舐めた。 「ふ……。っん……っ」  流路の分厚い舌が天音の舌下に入り、上に押し上げられるようにして舌先で舌の裏側をくすぐられる。 (あ……)と、それだけで意識がとろりと溶けるのが分かった。  じっとしているうちに、頭を押さえられて腰にぐっと腕を回され、じゅう、と舌を唾液ごと吸われる。  ヤバいヤバいヤバい、と心は焦るのだけど力が抜けて動けない。舌が口の中を埋め尽くして、息が苦しい。 「ん、はぁっ、くる……りゅう、じ……」  このままでは窒息してしまう、と、なんとか流路の頬を手のひらで押し返すと、ハッとしたように流路が口を離した。  天音の開いたままの口と流路の唇の間に唾液が糸を引いて、ぽたりと水面に落ちた。流路の手はまだ天音の二の腕をガッチリ掴んでいて、熱っぽい瞳に至近距離で見つめられて身が竦む。  ヤバい。きっと俺の顔、真っ赤になってる……。  そう思うのに、流路の顔から目が離せなかった。 「ごめん、佐々乃……。オレ……」 「……」 「お前のイヤがること、また、したよな……。悪い」 「……いいよ、別に」 「え?」 「いい、つってんの!」  天音はぐい、と流路の胸を押してなんとか腕の中から抜け出した。そして、ざば、と水に入って反対方向に泳ぎ出す。 「佐々乃……!」  流路の呼ぶ声が聞こえたが、そのまま天音はしばらく泳ぎ続けた。でないと収まらなかったのだ。下腹の辺りが熱くて仕方なかった。流路にバレていませんように、そう願った。    水から上がってバスタオルを肩に羽織り、綺麗なフォームのクロールで泳ぐ流路を眺めていると、しばらくして彼も岸に上がって来た。 「そろそろ、帰ろっか」 「……うん」  身体を拭きながら先を歩く流路の背中を見て、また今日の出来事も無かったことになるんだろうか、と思う。  あの花火大会の夜に起こったことをお互いになかなか口に出さず、もうこれからも出さないかもしれないみたいに。今日のキスも、うやむやになる?  店の敷地に戻ると、先客がいた。何人か乗っている様子のワンボックスカーが停まっていたのだ。 「あれ、お客さんかな?」  車の中でお互いにずっと沈黙していたので、しばらくぶりに天音は口を開いた。 「ああ、常連のまどかさんかな」  まどかさん。女の人か。そう思っていたら、車から二人、女性が降りて来た。 「ちょっとぉ、如月くん!今、帰ろうとしてたとこよ!」  六十代半ばくらいの女性がこちらに向かって叫んでいる。 「すいません!今、行きます!」  流路は小走りで彼女たちの方へ向かって行き、その後を天音はゆっくりと追う。 「如月くんてば、いつも勝手に店閉めて〜!」 「すいません、あまりにもヒマなもので」 「やっぱり私たちが毎日見張りに来ないといけないわねえ、ふふふ」  そこに年輩の女性がまた一人降りてきて「如月くんが戻ってきてちょうど良かったわねえ」と加わった。 「みなさん、珈琲飲んでいかれます?」 「いいの?クローズド、って書いてあるけど」 「はい、ぜひ。もしよければ最近パンケーキもメニューに加えたんです。いかがですか?」 「いいわねえ、いやだ、如月くんのお店のせいで太っちゃうわよ、こっちは」  三人は流路を囲んでコロコロと笑った。 「あ、あの子が、東京から来た、お友達の方?」  流路が〈まどかさん〉と呼んでいた女性が天音の方を見ると、あとの二人もそれに続く。  急に注目され、さっきの川でのこともあって天音は無意味にドギマギしつつ、「あの……佐々乃といいます。如月くんとは高校の同級生で……」と、いつになく堅い口調になって名乗った。 「そうそう、水野さんたちが噂してたのよねー、若い男の子がもう一人増えたよって!」 「ほんとよねえ、なあに、違うタイプのイケメンがこんなとこに来てくれて嬉しいわねえ」  おばさまがたは女子高生のようにきゃいきゃいと二人を囲んだ。 「あの……。佐々乃はもうしばらく店を手伝ってくれることになって。ちょうど休職中で暇だと言うので……」  チラ、と流路が天音を見て言った。 「あ、そうなんです。あと何週間か分からないですけど、ここでお世話になろうかと思ってて……」    そう言うと、流路は眉を上げて少し驚いたような表情になった。さっきのことで俺がもう東京に帰るかもしれないと流路は思っていたのかも、そう天音は察した。 「そうなの!良かったわあ、私たちも大歓迎よねえ」 おはさまたちの後から店に入ると、天音は流路に続いてキッチンの中に入った。 「え、手伝ってくれるの」 「だって、俺、もうスタッフだろ?」サロンを巻きながら天音が言うと、「うん……そっか」と流路は顔を緩ませ、嬉しそうに笑った。  なんなんだ、こいつは。と、また天音は思ってしまう。 〈単なる昔の同級生だから〉、みたいにクールなツラをしてると思って油断してたら急にキスしてきて。あげくに、今度はまた〈単なる店を手伝ってくれている友人〉て、扱いで。どうしたいんだよ、もう。  少しイライラする気持ちを抑えながら、天音は流路に指示されて生クリームを泡立て始めた。 「来週末、花火大会があるの、知ってる?」  パンケーキをテーブルに運んだ天音に、まどかさんが話し掛けてきた。 「花火大会?」  今さっきあんなことがあった後で聞くのはとても微妙なワードだ。どうしても高校時代のあの日の出来事を想起させてしまう。 「そう。縁日が出てるとこまでは二十分以上かかるけど、この店からも歩けないことはないわね」 「お店からも花火は見えると思うけど、もう少し瑞澤川を下った方に歩くととっても大きく見えるのよ」  口々におばさま達が言う。 「へえ、いいですね」  天音は営業スマイルを顔に貼り付けて返した。すると、「あ、そうだ!」と、急にまどかさんが叫ぶ。 「なによぉ、ひっくりするわね」 「あのさ、私んちもあなたんちも浴衣が余ってるって話をしてたじゃない?ほら、うちの拓哉とあなたんちの将生くんが高校生の時に、花火大会に女の子たちと行くから作ってくれって言われたやつ!」 「ああ、そうそう、せっかくいい生地で張り切って仕立てたのに台風で花火大会が中止になったのよねえ。大学で着れば、って言ったのに『荷物になるし着方がわかんないからもう要らない』って言われてさぁ。さすがにあのときはムカっと来たわね」 「そうそう。ねえ、それ、着てくれない?」  そう言って急に話を振られて天音は慌てた。 「え、浴衣をですか?いえ僕ら、着方とか分からないので……」と天音はなんとか辞退しようとしたが、「いいのいいの!私たち町内の盆踊り大会でも子供たちの着付けの係やっててね、得意なのよう。浴衣は簡単よ、教えてあげる。来週の土曜の四時頃、持って来て着付けてあげるわねー!」と押し切られ、「ええ……」と天音は困り顔で流路を振り返った。  すると流路は〈やれやれ、仕方ない〉というように肩を竦め、天音に向かって首を振る。 「じゃあ……すいません、お願いします…」    天音は降参してまどかさんに告げた。 「ええ!任せてね、カッコよくなるわよ〜!」  おばさま達はまたきゃぴきゃぴと盛り上がり、まあいいかと天音も流路に向かって微笑んでキッチンに戻った。  まどかさんたちの乱入により漂っていた緊張感が解けて、昼間の出来事はしばし忘れて二人はまた何事も無かったように世間話をしながら晩酌をした。  その日のメインは冷凍のクラストを使ってオーブンで焼いたピザだった。たっぷりのモッツァレラチーズとあとはルッコラと生ハム、甘いフルーツトマトをだけを載せたシンプルなものだったが、当然それも驚くほど美味しかった。腹が膨れるとあまり難しいことは考えたくなくなってしまうのが自分でも情けないところだったが。  翌週の土曜の四時過ぎ、宣言通りおばさまたちが再び来襲した。 『上はⅤネックの肌着と、下は浴衣用にステテコみたいな形の下着だけ用意して着ておいてね』と予め言われていた二人はその格好に着替え、バスローブを上に羽織って彼女たちを待っていた。 「いいわね、肌着は完璧!さあ、着付けるわよ〜。私の方が背が高いから如月くんを担当するわね。かなえさんは佐々乃くんをお願い」  まどかさんはテキパキと指示を出し、かなえさんと店の真ん中で着付けを始めた。 「若い男の子に触るのなんて久しぶりねえ」と、かなえさんが言うので「あ、それ逆セクハラじゃないですか〜?」などと言って天音はおばさま達と笑い合った。 「佐々乃くんは細いからタオル、多めに巻いとくわね」「細いっすかね……?」「ええ、もうちょっと食べた方がいいんじゃない?」「ここに来てから結構食ってるんですけどね〜」と、着付けをしながらもさすがご婦人たちは喋る事を止めない。 「帯は今はねえ、ワンタッチのものもあるんだけど、せっかくちゃんとしたのがあるから使いたくて。着付けが崩れたらここを、こうして直してね」  時おりアドバイスをしながらおばさま達は素早く手を動かし、見事な腕前であっという間に着付けは完了した。 「はい、出来た」「二人とも男前よ〜」と口々に言われ、「ありがとうございます、本当に」と礼を言うと、「あ!私たち、町内会の仕事もあるのよ!じゃ、また来るわね〜!」と言って、彼女たちは慌ただしく出て行った。 「はあ。嵐のようだったな」  流路が腰に手を当てて溜め息を吐いた。 「だなぁ。にしても、小物も全部くれるって気前がいいな」 「だな。『下駄はサイズが合わないから』つってたけど……サンダルで行こうか」 「うん。そうしよ。その方が歩きやすい」  そうだ、あの日も家にあったサンダルで行ったんだっけ。天音の脳裏にまたあの夜の記憶が蘇って、ぶんぶんと首を振った。 「どした、佐々乃」 「ん、なんでもない……」 「佐々乃は、浴衣似合うよな」 「……そうでもないよ。流路の方がやっぱ体格がいいから男っぽくなっていいよな……」  何を俺たちは褒めあっているのか、と思うのだけど、おばさま方がいなくなって浴衣を着た二人の間にはどんどん微妙な空気が流れ始めた。  いけないいけない、と、その空気を払拭するように天音は拳に力を入れる。 「早く、行こうぜ。出店とかもいっぱい出てるんだろ。俺、そういうの見るの久しぶり」 「オレも。中学以来かなあ。高校のときはゆっくり見れなかったし……」  あのとき出店をゆっくり見られなかったのはお前がぐいぐい俺を引っ張って行ったからだろ、と言いたかったけれど、そのあと起こったことを考えるとやはり口に出せなかった。 「ほら、戸締りして行こうぜ、流路」 「うん」  店の敷地を出て坂道を下り、瑞澤川沿いを下流に向かって歩いて行くと、最初はまばらだったのに人がどんどん増え始めた。 「うわ、ここの町内にこんなに人いたんだ?」  普段見かけるのは農作業をしているじいさんやばあさんばかりなのに、祭りには若いカップルや子供たちがたくさん来ていた。どこから一体湧いて来たのだろうと天音は首を傾げる。 「隣町からも来るんだと思うよ。人混みでぎゅうぎゅうにならずに見ることができる穴場の花火大会だからさ」 「まあな。隅田川の花火大会とかと比べりゃ、かわいいもんだよなあ」 「そりゃそうだろ」  横を見ながら喋っていると、どん、と子供が腰のあたりにぶつかって来て「わ」と天音はよろけた。 「大丈夫か?」咄嗟に流路が腕を伸ばして身体を支えてくれて転ぶのは免れたが、その腕の力強さに、びくりと心臓が跳ね上がった。 「ん、うん。大丈夫……」  バカか、俺は。と天音は思う。流路は普通にしているのに俺ばかりが意識している……というか、元凶は流路なのだ。俺が悪いわけではない、とギロリと流路の横顔を睨んだ。 「なに、佐々乃」 「なんでもねー……」  浴衣着て花火なんて見に来て、デートじゃないんだから。いや、デートって、男同士で、またそんなことを考えて、馬鹿か俺は。ぐるぐると思考は回る。  そのとき、「あ!如月くーん!」と聞き覚えのある声がした。 「あ、澤木さん」  流路が笑顔で手を振る。  例の、ホームページを作ってくれている澤木だった。もしかして流路のことを好きかもしれない女性。 「偶然!私も昔からの友達と来てるんだ」 「そうなんだ」 「浴衣、似合うね」 「うん、まどかさんたちが要らないからって浴衣をくれた上に着付けまでしてくれて……」 「へえ。まどかさんたち、喜んでたでしょ、君たちに触れて」 「はは、確かに盛り上がってたよ」  二人の会話を天音は笑顔で聞いていたが、友達と来ているとなるとこれは……と身構えた。 「ねえ、今、友達はかき氷買いに行ってくれてるんだけど……戻ってきたら四人で一緒に花火見ない?」  ほら来た。まあ、そうなるよな。  そして当然、流路も『そうですね』と応じると思っていたのに、 「あ、ごめん、ちょっとこれからオレたち行くところがあって……」  と、やんわりと断った。 「ええ、そうなの?残念〜」 「うん、ちょっと町内会の手伝い頼まれちゃって……」 「そっか、分かったあ。また〈森の音〉行くね」 「うん、ありがとう。待ってるよ」 「うん。またねー、佐々乃くんも!」 「あ、はい、また!」  慌てて天音も手を振った。  澤木と別れると、「流路、上手い嘘つくじゃんか」と天音は肘で流路の肘をつついた。 「まあね、嘘も方便ってやつ?」 「そうだな。女子と一対一とかになっても困るしなぁ」 「うん、困る。……オレ、今日は佐々乃と二人で過ごしたかったから」  そう言われてピタリ、と天音は足を止める。まただ。その思わせぶりな態度が気に障った。 「佐々乃?」 「……流路ってそういうとこあるよな」 「そういうとこって?」 「そういうとこだよ!とぼけんじゃねー!」  イラついて天音は思わず流路の脛を蹴った。 「痛ってえ、なにすんの」 「流路が悪いんだろっ!」  そう言い捨ててさっさと天音は人混みをかき分けて歩き出した。 「佐々乃ってば!ごめんって!」  流路が背後で言うのが聞こえるが、無視する。ごめんって言うけど、俺が怒ってる理由なんて分かってないだろう、と天音はますます苛立った。 「なあ、佐々乃って!」  グッ、と後ろから左腕を掴まれた。振り払おうとしたが、さすがに力が強くてびくともしない。 「……お前、なんなの」 「え」 「分かんないなら、いい」  少し掴む力が緩んだのが分かって、腕から逃れて天音はまた歩き出した。そのとき、人の声でざわざわしていた辺りにドン、と音が響いて一瞬静けさが広がり、すぐ〈わあっ〉と声があちこちから上がる。  イライラしていたのもしばし忘れて天音は空に開く大輪の花火に見入った。 「キレーだな……」  思わず呟いた。 「うん。綺麗だ」  振り向くと流路は微笑んで、「佐々乃、もう少し歩いたところにある高台に花火がよく見えそうなポイントがあるんだ。行こう」と言って天音の腕を今度はそっと握った。 「駄目だって」そっと天音はその腕を解く。「誰かに見られるかも」 「……いいのに、別に」 「良くねえよ」 「行く?」 「……うん。あ、俺、飲み物だけ買いたいんだけど」  そう言うと、 「今日はオレ、二人分のスポーツドリンク凍らせて来たから大丈夫」  と、流路は肩に掛けていたトートバッグを指差した。 「え、二本持って来てくれたのか。重かったろ?」 「別に。……前は、一本しかなかったからね」  そうだ、あのときはお茶一本しかなかったのを分け合ったのだった。  ――そしてほら、お前だってちゃんとそんなことを覚えているじゃないか。 「あ、でも俺その前に焼きそばとか買いたい……」 「そうだな、出店の焼きそばってあれはあれで旨いよなあ。あとはたこ焼きでも買う?」 「いいね。ビールも買うか」 「ああ、そうしよう」  そんな風に二人はいつのまにか仲直りしたみたいになって、ドン、ドン、と花火が大きな音を立てて上がる中、買ったものをお互い手に持って川沿いの道から細い脇道に逸れた。  流路が先導して丘へと続く木の階段を上がって行く。月明かりと花火の明かり以外はなんの光も届かない真っ暗な夜道を、スマホの明かりで足元を照らして進んだ。草木が裸足の足元をくすぐり、大きな花火の音に紛れて、時おり虫の鳴く声が聴こえてくる。 「えー、誰もいないじゃん。こんな山の中で、遭難しないだろうな?」 「大丈夫だよ。ここは山っていうか丘。そんなに広いとこじゃないから、どの方向に歩いてもどこかの道に出るよ。古い展望台があるんだけど、夜は暗すぎて誰も来ないんだよな」 「こんなとこ昼でも誰も来ないだろ……。あ、またなんか動物とか出ないだろうな?」  天音は木の葉や雑草をカサカサと踏みしめながら、時おりパキ、と枝を踏んで鳴る音に「なんか出たっ!」といちいちビクついた。 「佐々乃って割とビビリなんだなあ」  流路が可笑しそうに笑う。 「流路がビビらな過ぎなんだよっ。お前だって都会育ちなのにさ」 「オレはじいちゃんに子供の頃、よく山歩きとか付き合わされてたからなあ。ほら、手、貸しな」  そう言ってふいに流路の手が伸びて来て、片手が握られた。 「え……」  クソ。またドキドキさせられている。天音は温かくて乾いた大きな手のひらにギュッと手を握られて、じわじわと手汗をかいてきた。  これじゃ緊張しているのに気付かれるかも、と思って「いいよ、離せよ……」と言ってみたけど流路は黙って天音の手を引き、歩き続けた。  ようやく高台に辿り着いたころには全身汗ばんでいた。けれども、丘の上には涼しい風が吹きつけ、湿った肌を少しずつ乾かして行く。 「こっち」  まだぐいぐいと手を引かれて歩くと、小さな東屋が目に入った。東屋の古い木のテーブルの上に買ったものを置き、屋根をくぐると視界が開けて、眼下に街の明かりと屋台の明かりがきらきらして見えた。  夜が更けて辺りが暗くなるに連れ、ドン、ドン、と花火の上がる頻度が上がってゆく。打ち上げ地点が近いせいか大きな音が腹の底まで響いてくる。 「凄いなあ。綺麗だ」さっきよりも距離感が近く、降ってくるような花火の迫力に天音は魅了された。「うん。凄いな」流路もそう答える。  しばらくぼうっと二人で空を見上げていたが、「あ、佐々乃。食いもん、冷めるよ」と言う流路の声で我に返った。「そうだな、まず食おうか」  二人でベンチに並んで腰掛け、花火を見ながら缶ビールを開けて「お疲れ」と乾杯する。そしてスマホの明かりで手元を照らしながら焼きそばとタコ焼きに箸を伸ばした。「やっぱこういうジャンクなのもウマいよな」と顔を見合わせて笑う。  さっきまで少し不機嫌だったくせに(楽しいな)と天音は思った。楽しい。高校のときあんな気まずい別れ方をしたのに、今こんなに距離がまた近くなるなんて。けれど、この距離感は一体なんと呼べばいいのだろう。単なる友達というには、もうそれをとっくに踏み越えている。  考え込んで天音がぼんやりしていると、「佐々乃、何考えてんの」と隣から流路が顔を覗き込んできた。 「なんでもないよ」  動揺しそうになって、缶ビールをあおりながら答える。 「嘘だ」 「ウソってなんだよ……」 「佐々乃」  暗闇の中、流路の眼が少し光った気がした。 「……何だよ」なんとなく怖気付いて天音の声は小さくなる。 「キスしてもいい?」 「え……?」  躊躇って答えないでいるうちに、右から流路の腕が伸びてきて肩を引き寄せられた。  あ、と思ったときには唇を塞がれていた。  頬から耳にかけて流路の手のひらが触れている。最初はふ、ふ、と軽く触れるだけのキスだったのに、徐々に天音の唇の隙間を流路の舌が舐め始める。 「ちょ、まだ、いいって、言ってな……!」  腕の中でもがこうとしたら、肩をさらに強く掴まれた。顔を押さえる手のひらにも力が入り、口腔に厚い舌が侵入してくる。 (あ、また…)と思っているうちに熱っぽい舌が天音の口腔を掻き乱す。ビールや食べ物の、色々なものが混じった味がして、それが自分の口の中の味なのか流路の舌からしてくる味なのか、混ざりあってもう分からない。  舌を流路の歯に甘く噛まれては、じゅる、と唾液を吸われ、このまま食われてしまうのかと思う。 「んん……っ……はぁ……」  駄目だ。いつもこいつにキスされると頭がぼんやりして逃れられない。感情も身体もドロドロに溶ける。 ――つまり、ものすごく、気持ちがいい。 「んあっ……はぁっ……」  絶え間なく続くキスの合間に息継ぎしていると「はっ、……佐々乃……声、エロい……」と吐息混じりに流路が囁く。 「んんっ、お前がっ……そうやって……ふ……ン……」  喋ろうとしても碌に喋らせてもらえない。あまりにもしつこくて濃厚なキスに、じわりじわりとさっきから身体の下の方が熱さを孕んで来ている。  するとそれを敏感に感じ取ったのか、頬を押さえていた流路の手がするりと動き、「あ、だめだって……!」と言ったときには浴衣の上から触れられていた。 「ここ、勃ってる……」 「ば、ばかっ、こんなにしつこくされれば、誰だってっ……!」  込み上げてきた恥ずかしさに涙目になってその手を振り払おうとするが、大きな手のひらがさらに強く、そこをグッと握るようにして押さえ込んでくる。 「あ、ああ……やだっ……」 「いや……?佐々乃……」 「だって……そんなのっ…」  見逃して欲しいのに流路の手はやすやすと浴衣の隙間に潜り込んだ。しばらく手探りで下着の隙間を探られ、そこから硬くなったものを取り出される。 「佐々乃……」 「だから、だめだって、触るなって……!」 「こんなになってるのに……?」  最初は握るだけだった手が徐々に上下し始める。 「あっ、あ、だめ……」敏感なところをしっかり握られ、責め立てられて、力が抜けてしまい、抵抗しようとしたのにいつしか「あっ、んんっ……」と、湿った声を出していた。 「なぁ、佐々乃……っ……名前で、呼んでいい……?」 「んんっ、ええ、なに……っ?」 「あまね……」  唐突に下の名前を耳元で呼ばれてゾクゾクとした刺激が背中に走る。  どうしたってむずむずして、自然と腰が動きそうになってしまう。こんな屋外で、友達に触られて、もうすぐイきそうになってる。こんなの…。 「天音……だ。好きだ……」  花火の音でその声は途切れ途切れに届く。 「りゅう、じ……」 「好きだ……!」 「な、んんっ……」  大きな手でねちねちと執拗に扱かれながらまた深くキスされて、脳内が一瞬真っ白になる。そして、「あ、あ……」と小さく声を出しながらガクガクと腰が震えて、先端から飛沫が地面と流路の手のひらに飛ぶのが分かった。 「ああ……」  天音は瞬時に絶望的な気分になって呻いた。扱かれて気持ちよくなって、友達の手に出してしまった。最低だ。  それなのに、また流路の手に顎を掴まれ、上を向けさせられると、再び口を塞がれる。  ああ、こいつ、どうして許してくれないんだ。こんなにしつこいヤツだったなんて。  流路が手のひらの中で天音の出した液体を弄んでいる音がくちゃくちゃと響き、恥ずかしさとまだ溶け残った欲が混じって堪らない気持ちになる。そして太腿に硬くなった流路のものが当たるのが分かって、また腰がモゾモゾと動きそうになってしまう。  長いキスをしたあと口を離した流路は、ようやく天音を解放するとテーブルに置いてあったフェイスタオルで手のひらを拭い、そのまま濡れた天音のものを拭いた。 「お前は、どうすんの……」 「ん?」 「……お前のは、そのままでいいの?帰れるのか、そんなんで?」  天音は少し反撃する気持ちになって流路を静かな目で見つめた。 「ん、オレは……大丈夫」 「大丈夫じゃないじゃん。そんなんじゃ歩けないだろ」 「しばらくすれば落ち着くから……」 「触れば?」 「ん?」 「俺、見ててやるから……自分で扱けば?それ」  流路は天音の顔を見て考えるような表情をしたが、「じゃ、もっかい、貸して」と言ってベンチに跨り、じり、と天音に近づいた。 「え、なに」 「天音がいけないんだからな……」  そう言って流路は自分の浴衣をはだけると、下着の中から性器を取り出し、天音の腰を引き寄せ、ベンチに跨らせた。  ぐっと腰を寄せられたかと思うと、流路は自分のものと天音のものを一緒に手で握り込んだ。 「あ、待てってば、俺、さっきイったばっかだから……!」 「……うるさい」  ぎゅうぎゅうと熱くて硬い流路のものが押し付けられ、緩んでいた性器がだんだんとまた硬さを取り戻していく。ぐっ、ぐっ、と力を込めて扱かれ、強制的に欲がまた高まっていく。 「ンっ、流路ってば、もう、やめ……!」  動けないながらも必死で抵抗の声を上げると、「は、あっ……」と、やがて小さく流路が息を吐いて、放たれた体液を器用に手のひらで受け止めた。  流路の出した生温かい液体が天音の性器を濡らし、びくびく、と、つられるように天音の先端からも精液が漏れ出す。  二回もイかされた天音が完全に放心していると、流路が覆い被さってきてベンチにそのまま倒された。 「あ、ちょ、りゅ……う……」  まだ足りないのか、流路が性器を天音のものに擦り付けてくる。そのまままた舌を入れるキスをされて、息も絶え絶えになる。 (あ、だめだ。このままだとヤられるかも………)  天音はさすがに危機感を感じた。けれど、力が抜けているあげく、流路がガッチリ上に被さって来ていて何の抵抗もできない。  しかし、しばらく腰を前後させていた流路がようやく動くのをやめ、今度は静かにキスをすると、「はぁ……」と息を吐いて天音の上で脱力した。 「気持ちよかった……」低い声が耳元で響き、「天音は……?」と尋ねてくる。 「俺は……」 「ん?」 「……なこと、分かるだろ」 「ううん、言ってくれないと分からない」  ちゅ、ちゅ、と耳の後ろから首筋に何度もキスが降ってくる。流路の重みと熱で押し潰されて、どろどろに溶けてしまいそうだ。 「……ん、言うから、そろそろどいて。重いし、暑い……」 「あ、ごめん」  素直に流路は身体を起こし、天音の上からようやく退いて、立ち上がった。 「あーあ、もう、お前が無茶すっから、汗でドロドロだし着付けも崩れたじゃんか……」 「ごめん……」  急にしゅんとした様子の流路をチラリと見ると、天音は流路に背を向けて浴衣の体裁をなんとか整えながら「俺も……」と言った。 「ん?」  そのとき、ドン、と、ひときわ大きな花火が上がった。続けてドン、ドン、と連続で上がり、空に花束のように花火が幾重にも重なっていく。打ち上げの頻度が上がったということは祭りの終わりの時間が近づいているのかもしれなかった。 「……俺も、流路のこと、……かも」  大きな音で語尾が掻き消されて、流路が「え、なんて」と尋ねてくる。 「だから……っ、もしかしたら……好きかも、つってんの!」  そのとき花火が一瞬やみ、天音の声は思いのほか大きく響いた。 「……ほんとに?」 「嘘で、こんなこと男とできるかよ……」  天音がベンチに座って俯くと、フワ、と背中から腕が回された。 「……嬉しい。オレも天音のことずっと好きだった」 「ずっとって……高校の頃から?付き合ってたヤツ、いたんだろ?」 「うん……。大学に入って……もう嫌われたんだから天音のことはいい加減忘れなきゃと思ってた。だから、大学のひとつ上の先輩と付き合ったんだ。こないだも少し話したと思うけど……その人、就職せずに海外を飛び回ってばかりいて。結局、オレの仕事が忙しくなって、帰国してもなかなか会えなくなって、別れることになった」 「……けど、その人ともっとちゃんと会えてれば、別れることはなかったんじゃないの」 「いや……。付き合ってたときは上手く行ってたし、自由人なとこも嫌いじゃなかったけど……。会えなくなって、その人に対する気持ちが自然と薄れてしまったんだ。オレ、その人と付き合ってても、やっぱり天音のことをよく思い出したりしてたし……。なんで、あのときもっと上手く気持ちを伝えられなかったんだろう、ってずっと後悔してた」 「……そうだよ。お前があのとき、急にキスしてくるから……俺、びっくりして。どうしていいか、どう振るっていいか分からなくなって……お前を避けた。……ごめん」 「いや。当然だよな。あんなこと、友達だと思ってた男に急にされれば……誰だって嫌だよな」 「……ちがう」 「え?」 「嫌じゃ、なかったんだ」 「天音……?」 「嫌じゃなかった。お前にキスされて、ぼうっとしちゃって……なんか気持ちいいなとか思っちゃって……そんな自分にびっくりしたんだ。そんなのヘンだろって。だから、逃げたんだ。お前からも、自分の気持ちからも」  ギュ、と天音に回した流路の腕の力が強くなる。時おり森の方から涼しい風が来るとはいえ、夏の夜は暑くて、流路の胸が触れた背中が熱くて、また心臓の鼓動が速くなってきた。 「天音。帰ろうか、そろそろ。帰ってから、もっと話、聞かせて」 「うん……」

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