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第9話

 ぼうっと崇史の去って行った方向を見ていた天音は、ふいに後ろから流路に抱き竦められた。 「な、ちょっと、流路!ここ、店の前……!」 「……いいから。もう誰も来ないから……」  流路はそう言うと天音の手を握って店の方へ引っ張った。 「流路……良かったのか?あのひとと、昔はうまく行ってたんだろう?……俺よりも、大事にしてくれたり、するんじゃないのか?」  子供のように手を引かれながら、天音は尋ねた。 「崇史とはもうとっくに終わってたんだよ、天音。あいつにもそう言った。納得しないみたいだったけど」 「けどあのひと、流路のこと全然忘れてないみたいだったじゃないか。わざわざここまで探して来たんだろ?そしたら……」 「天音!」  びく、と脚を止めると、いつになく険い眼で見据えられた。 「分からない……?オレがどうしても好きなのは、お前だってこと」 「……けど……」  居住スペース側のドアを開けると、グイ、と流路に玄関に引き入れられた。そして、ドン、と壁に押し付けられる。 「お前が好きだって、言ってるだろ」 「だって……分からない」 「何が?」 「一体、俺のどこが好きなんだよ?あのひとの方がお前のこれまでのこと全部知ってて、元々男が好きで……。俺なんて、今なんて無職だし、今までは女の子と付き合ってたし、あの人が言ってたみたいに、頼りないし——」 「ばか、そんなのどうでもいい」  すると流路の唇が天音の唇を塞いで言葉を遮った。舌が喉に入り込みそうなほど深く口腔に入り込み、顎を大きくこじ開けられる。 「んんっ、んう……」 (こいつはいつも、こうして、最後まで俺の言うことも聞かずに——)  天音は息苦しさに涙目になる。唇と唇の間に隙間が少し空くと、 「りゅ、りゅうじ、ズルいんだよっ……!お前、いっつもそうやって、何も、俺に、言えなく、してっ……」  と、なんとか抗議の声を放った。 「天音が好きだからっ……。余計なことは聞きたくない」  そう言うと流路はまた唇を重ねてくる。 「はぁっ、流……」 「天音……!」  切羽詰まった顔をした流路に床に押し倒されて、汗で濡れたTシャツをたくし上げられた。「ちょ、俺、さっきさんざん歩いて来て…!汗、かいてるからっ……!」 「いい。天音の、いい匂いがする……」 「そんなの、するわけ、ないだろっ……!」  汗臭いだけなのになんで、そう思うのだけど、流路は天音の胸に唇をつけ、舌で突起を転がし始めた。 「んっ、うぅ……。ダメだって、なんだよっ、こんな、ところで……」 「天音が聞き分けないからだよ。オレの気持ち、分からせてやる……」 「……って、流路……!」流路の手が天音のハーフパンツのボタンを外し、勃ち上がりかかったものを握り込んだ。「あ、っ、はぁ……っ」 「天音…触らせて……」 「ん、んん……っ」  下着に流路の手が突っ込まれ、天音のものをギュウ、と掴んだかと思うと強く扱き始めた。 「あっ、ああ、んんっ……」 「天音…。声、可愛い……」 「んんっ、ばかやろ、っ……かわいくなんかっ……」 「かわいい……」  ぐいぐいと手を動かされて「はぁっ、ああ、だめだっ……」と声をあげていると、天音から溢れる先走りで濡れた手で流路が後孔に触れた。 「ああっ、ダメだって……!」 「いやだ、触りたい……!」  つぷ、と指が入り込む感覚があって「ンっ……」と身を捩らせた。 「天音……」  最近ずっと触られていたせいで、もう流路には天音のそのどこよりも敏感な箇所がすっかり暴かれてしまっていて、的確にそこを押してくる。「あ、っ、ああっ、あ……」天音は舌を噛んで自分の喘ぎを耐えようとした。 「天音、我慢しなくていいから……」 「うぅ、ばか、流路……」 「ごめんね、天音……」  口先では申し訳なさそうにしながらも、尚も流路は二本に増やした指でそこを揉み込んでくる。 「ンッ、ああっ、ダメだって、りゅう……っ。せめて、上の、部屋に…!」 「上、ならいい……?」 「……うん」 「じゃ、行こう」  そう言うと流路はひょいと天音を抱き上げた。半裸の状態で抱えられ、いたたまれない気持ちになる。恥ずかしい。力の差を見せつけられているみたいだ。どうしたって敵わない。  ……でもそれが、どうしても、嫌じゃない。  抱えられたまま階段を昇り、流路の部屋の大きなベッドに天音は横たえられた。  勢いよく天音の上に跨ってきた流路は、着ていたスタンドカラーのポロシャツをバサッと音を立てて乱暴に脱ぐと、ボトムスのジッパーを下ろした。 「天音……。挿れたい……ダメ……?」 「お前……っ。俺が嫌だったら我慢するって言ってたじゃん」  天音は上から押さえつけられて身動きが取れずに、口を尖らせた。 「……イヤなら、やらない。けど、ほんとは、したい……」 「……っ、狡いぞ、お前……!分かったよ……。いいよ、もう。挿れろよ……」 「いいの……?」 「け、決意が鈍るだろっ。あんまり、何度も確認するな……!」  その言葉を聞いて流路は、脱げかけていた天音のハーフパンツと下着を剥ぎ取り、Tシャツを手を上に上げさせて脱がせた。  呼吸を荒くした流路に、鋭く獲物を狙うような眼で射るように見つめられて、身が竦むと同時に身体の奥からぶわっと熱いものが込み上げてくるのを感じる。  再び股の間に指が入り込んで来て、また例の場所を探し始めた感触に下半身が焦れ、むずむずして仕方なくなってきてしまう。それでついに「も、いいからっ、早く挿れろってえ……!」と、天音は自ら口走った。 「いいの……?」 「いい、からっ……!」  すると、指を抜いた流路は跨ったままベッドサイドにあるチェストを探り、コンドームとローションらしきものが入ったボトルを取り出した。  組み敷かれた天音が、ごく、と喉を鳴らしながら、その様子に見入っていると、とろりと冷たい液体が窄まりから会陰の間に流され、コンドームを被せた流路のものにも垂らされる。 「天音……。どうしても辛かったら、言って……」 「ん、うん……」  硬いものが窄まりに当たる感触がし、天音は恐れを感じてギュッと目を閉じた。ぐ、と先端が狭い入り口を割って挿入はいってくる。 「ふぁ……。あっ、——」  声をあげているうちに、グッ、と更に奥まで大きな異物が潜ってくる感覚があった。 「うぅ……ぐっ」  あまりの圧迫感に目がチカチカして、全身がぶわっと粟立つ。 「はぁっ、ちょっと、入ったよ、天音……」  ちょっと?これで?これ以上、挿れられたら——。 「りゅ、流路、ま、まだ、動かな……」 「……うん、大丈夫。まだ動かないよ」  そう言うと流路が覆い被さってきて、天音の頭を抱えて包み込んだ。大きなものを呑み込んだ後孔がひくひくと悲鳴をあげるように震えている。けれど、そのどこかに、じんわりと快感が兆している気がした。  じっとしている流路の下で、その背中にギュッと腕を回してしがみついていると、ようやく異物感が少し薄らいで来る。  それで覚悟を決めた。 「流路……動いてみて……」  片耳に向かって囁く。  ぴく、とした流路が、「ん……天音……いくよ」と掠れた声で言い、グッ、と更に腰を沈めた。瞬間、びりびりとヒリつくような衝撃が走る。 「ン、んんっ……!」  じわ、じわ、とゆっくり流路の腰が前後し始め、柔らかな壁を摩擦する。しっかりと垂らされたローションのおかげか思ったほどの痛みはなくてホッとしていると、流路が、ひゅ、と抜こうとするそぶりを見せた。圧迫感が薄らいで安堵から溜め息を付くと、急に再び、ぐんっ、と貫かれる。 「んっ、ぐ……。ああっ、りゅう……やめっ……」 「あ、ごめん、天音……」  謝る言葉とは裏腹に、流路は身体を大きく前後させ、天音の中を激しく擦りだした。  強く中を擦る性器の括れが時おりあの浅いところにある場所を抉り、「あっ、ああ……!」と、より大きな声が出るのを抑えられない。 「天音、あまね……。いい?感じてる……?」 「んっ、んん……!」 「ダメ……?オレは、すごく気持ちいい……天音のナカ、熱くて、どろどろで——」  口元に僅かに笑みを浮かべながら、流路が責め立てるように言う。 「あっ、んぅっ、そ、ういうの、言うなって……!」  流路は身体を起こして天音の脚を両腕に引っ掛けて抱え、さらに中を強く掻き乱し始めた。 「あっ、やめっ、や、ああっ……!」  湧き上がってくる快感になんとか耐えていたのに、流路がふいに天音の性器を握り込んだ。 「や、だから、それ、やめっ……!」  激しく上下されたその手の中で快感が沸点に達して、先端から勢いよく熱いものが噴き出した。腹から胸の辺りにかけて、どろりとしたもので濡れる。 「あ……」 (俺、イッて……) 「天音……天音……」  流路は途切れ途切れに何度も名前を呼ぶ。  抽挿を繰り返され、達したはずなのにまだじわじわと天音の身体の芯には余韻が広がり続けた。吐き出し損ねた体液がまだだらしなく先っぽから漏れ、さらに腹を濡らす。 「天音っ——……」  そう言ってさらに律動を速めた流路は急にピタリと止まったかと思うと、大きく腰を揺らした。天音の体内がじんわりと温かくなる。コンドーム越しに吐き出された精液がたぷんたぷんと自分の中で波打つのが分かった。 「はぁ……っ、天音……ごめん、止まらなく、なった……」  まだ片手で天音の脚を抱えながら、流路は頬を紅潮させて長い前髪をかきあげた。まるで叱られた大型犬のように済まなそうな顔をしている。 「ごめんごめんて言うな、バカ……」  天音は少しだけ身体を起こして、ぐい、と流路の頭を引っ張って口を塞いだ。驚いたような顔をする流路のその上唇を歯で甘噛みしてやると、唾液が、つっ、と糸を引く。 「俺も……思ったより、大丈夫だったし、良かったから……。謝るなよ」 「分かった。ごめん……」 「ほら、また」 「うん、ごめ……。ちがう、ありがとう……」 「うん……」    お互いの身体を拭いたあと、大きなベッドに向かいあって寝転ぶと、流路は話し始めた。    崇史は海外で働きながら各地の花や植物を見て回り、旅をしていたが、そろそろ日本に戻ろうかと考えて、また流路のことを思い出したらしい。  帰国後、流路が暮らしていたマンションを訪ねたらしいが、そこは既にもぬけの殻になっていて連絡先もかつてのものと変わっていた。それで会うのを半分諦めていたところに大学時代の共通の友人から流路が会社を辞めてY県でカフェをやっているらしいと聞きつけて、〈森の音〉のホームページを探し当てた。  やって来た崇史は『またやり直そう』と言った。お互いに決まった相手がいないなら自分は都内から会いに来る。だから、またそうやって遠距離で付き合って行こうと。 『付き合ってるひとがいるから』と、すぐに断ったが、『それってたぶん、さっきのヤツだろ?なんとなく分かったよ。けど、オレの方がお前には合ってると思う』と、なかなか折れなかったらしい。 「『ノンケの男と付き合ったっていつか裏切られる』って言われたけど……。もしいずれ関係がダメになることがあったとしても、今、オレは天音といて幸せだから、諦めてくれって言ったんだ。それでも帰り際にああいう風に天音に突っかかってきて……ごめんな。気分悪くさせたよな」 「ううん。きっと……流路のこと、本当に好きだったんだな、あのひと。別れて何年経っても忘れられないくらい」 「そうなのかもな。けどオレは……はっきり分かった。天音のことがずっと好きだったって。崇史はいいヤツだったし、付き合ってるときはもちろん楽しかったこともたくさんあったけど……。それでも……崇史には悪いけど、もう何も心が動かなかった。それに、あいつと付き合ってた間も、たぶんどこかで——天音とまた会いたいってずっと思ってたんだ」 「流路って変わってるよな……。一体、そんなにどこが良かったんだ?俺の」 「天音の?全部だよ。初めて見たときから好きだった」 「初めてって、高三で同じクラスになったときだろ?」 「……違う。体育館で会ったとき」 「え?」 「体育館で、よくバレー部とバド部は隣のコートで練習してただろ。高二の夏くらいかな、バドミントンのシャトルがバレー部の方に入り込んでたときがあって……。オレが『これ、落ちてましたよ』って話し掛けたのが、天音だった」 「え。覚えてない」 「だろうね。なんてことのないことだったから……。シャトルを渡したら天音は『ありがとな、わざわざ!』って笑顔になった。で、それで終わっても良かったのに『バレー部の人ってデカいね?何食ったらそんなに育つの?』って聞いてきた。オレ、なんて返したか覚えてないんだけど……。屈託なくて、明るくて可愛い人だなって思ったんだ。その頃、もう自分は男が好きなんだってことに気付いてたから……」  天音は心底驚いた。全く記憶になかったことだったからだ。 「そんなこと……なんで早く言わないんだよ」 「それ以来、気になってバド部の練習をこっそり見たりしてたんだけど、天音、あんまりちゃんと部活に来ないし……。でもサボってるわりには来たら来たでみんなが嬉しそうにしてて、誰にでも好かれるヤツなんだなって思った。たまに体育館で姿を見かける以外は廊下ですれ違うくらいだったけど、それだけでドキドキしてたんだ。そしたら、高三で同じクラスになって、しかも前の席に座って、びっくりして……。視力は落ちてたけど黒板が見えないほどじゃなかったのに、話しかけるきっかけが欲しくて『何て書いてあるか教えて』って聞いた。天音は丁寧に教えてくれて、やっぱりいい子だなって思ったよ。オレのことは全然覚えてないみたいだったけどね」 「お前、そんなちょっと話したくらいのことがきっかけで、高二の頃から俺のことずっと好きだったってこと……?」 「うん、そう」  正直、なんて執着が強いヤツだと天音は半分呆れたけれど、それだけ想われていたことがじんわりと嬉しくもあった。 「流路って、案外しょうがない奴だな……」 「……うん。けど……それでも良ければオレと、付き合ってくれる?」 「ああ。……仕方ないからな」  天音が冗談ぽく言うと、流路は嬉しそうに頬を緩めた。  それからどちらからともなく、また唇を合わせた。さっきさんざんそれ以上にいやらしいことをしていたのに、流路の気持ちを聞いてからだったせいか、また新鮮に胸がトクン、と高鳴り始める。これは、やっぱり恋だ。  天音は自分が身体の関係から来た一瞬の熱に絆されてそう感じているのではなくて、本当に流路のことが好きなのだと思った。離れたくない。夏が過ぎても、できればこのまま流路とこうしていたい——。  翌週の月曜は流路がいよいよ澤木と二人きりで出掛ける日のはずだったのに、午前中に急にドタキャンになった。 『ごめんね、流路くん!せっかく予定空けてもらったのに、私がダメになっちゃった……。知り合いのツテで東京の小さな会社のホームページを作ることになったんだけど、急にその打ち合わせが入っちゃって……』半泣きでスマホ越しにそう話す澤木に「いや、そんな。大丈夫だから気にしないで」と、にこやかに流路は対応していた。通話の音声が大きくて、向かいのカウンター席で朝食を取っていた天音にも全て聞こえて来てしまう。  さらりと電話に応対する流路を見て、あんな風に〈いや、ドタキャンになってもオレは全然気にしてないよ〉みたいな態度を取られるのも澤木に取っては酷だろうな、とハラハラしながら聞いていた。 『また今度、予定合わせて行こうね、絶対……!』 「うん、そうしよう。出張、気をつけてね」 『うん、ありがとう。またね……!』  澤木の必死さが伝わってきて天音は自分の立場も忘れて気の毒になった。澤木は結構綺麗なひとだし、性格もいい。その気になれば彼氏なんてすぐできるだろう。こんな田舎の女性にしてはバリバリ働いている澤木は、逆にこの町の古風な考えの男性たちからはしっかりしすぎていて敬遠されてしまうのかもしれないが。 「澤木さんに言いそびれちゃったな。今日、言おうと思ってたのに」 「……だな。また、今度だな」 「うん。彼女が帰ってきたら来週か再来週の予定、また聞いてみるよ」  などと言っていたのに急に状況が変わったのは、水曜に店をオープンするやいなや、敷地にどんどん車が入ってきて若い客が急にたくさん来店し始めたからだった。  土日のランチはたまには常連客が誘い合って二十人を超える来店があることもあったが、平日はせいぜい十人から十五人程度 しか来ないのが通常だった。  なのに、その日は店を開けて十五分ほどでテーブル席が全部埋まってしまい、大勢の客がガヤガヤとメニューを見ては何やら話し合っている。 「やば、なんだなんだ?流路、最近何か取材とか受けたりした?」  なんとか笑顔を顔に貼り付けつつ水やお手拭きを各テーブルに運ぶと、慌てて流路に尋ねた。 「いや、なんだろなぁ。あのホームページだけで急にそんなに増えないだろうし……。誰かがアンスタグラムにでも上げたのかもな。そういえば先週、ここらへんでは見かけない若い女の子たちが三人くらいで来て、パンケーキの写真を撮ったりしてたよなあ」 「それかな……。今は、SNSで一気に情報が拡散するからなあ」  天音はオーダーを聞きに行ったり、サラダの盛り付けやドリンクの準備にとあたふたしていたが、流路は落ち着いたものだった。 「天音、サラダを持って行くときに『少しお時間かかります』ってみなさんにお伝えしてくれる?」 「分かった」  それからもどんどん客は来店し、店はかつてない盛況でまるで一気に人気店になってしまったかのようだった。  知らないところで何かが起こってるに違いない。十五時過ぎて最後に残った二十代前半に見える女子二人組に、グラスの水を足しに行くついでに天音は尋ねてみた。 「あの。今日はどうして〈森の音〉に来てくださったんですか?」   すると彼女らは顔を見合わせて目をぱちくりさせた。 「知らないんですか?このお店の情報、パケッターでバズってたんですけど。一昨日くらいからかな」 「え⁈本当ですか?」  天音も流路もSNSを頻繁にやるタイプではなく、森の音のアンスタのアカウントは作ったが営業日を知らせるくらいの状態で、パケッターに至っては二人ともアカウントさえ持っていなかった。 「ほら、見てください」 【半年前にオープンしたばかりの瑞坂町にある〈森の音〉に行って来ました!パンケーキ最高……!生地が他のお店と違うのかな?店員のお兄さんたちも素敵でした♡】  そんなつぶやきとともに、パンケーキと森の音の外観、そして流路と天音の後ろ姿を撮った写真があげられていた。 「この〈@CAFE-Maniaxx〉っていうアカウント、新規のお店だとか僻地にあるカフェなんかをいち早く紹介したりしてい て人気なんです。このつぶやきも一万リポストされてるでしょ?」 「うわぁ、本当だ……」 「カフェマニさんが取り上げたお店はすぐ人気店になっちゃから早く行かないと!と思って早速来たんです。そしたら今日、もう混雑してて……。本当はランチを食べたかったんですけど一度諦めて隣町の方で時間潰してから、こうしてお茶の時間に来たんですよ」 「そうだったんですか。ありがとうございます」  天音は二人に頭を下げてテーブルを離れると、慌ててパケッターを開いて流路にも見せた。 「ヤバいって、流路……!これ、どんどん拡散されてるから明日以降も人が増えるぜ……!」 「本当だな……。参ったなあ。たまたま休み明けで食材の発注もたくさんしてたから良かったけど、急に混んだせいでほとんど使い切っちまったし。こりゃ、仕込みも相当頑張らないと」 「大丈夫そうか?」 「そうだな、とりあえずアンスタに『混雑時は早めにメニューが売り切れることがあります』って書いておこうか。パンケーキも一日……そうだなあ、十五食くらいに限定するかな。今日もだいぶ断っちゃったし」 「そうだな。俺、後で更新しとくよ」 「ああ、ありがとう。よろしく」  やっと客が完全に引けた頃には十六時を過ぎていて、天音はドッと疲れてカウンターに突っ伏した。そんな天音をよそに澤木家が経営する卸店に急遽、野菜や食材を届けてもらった流路は平気な顔で明日の仕込みをし始めた。 「流路……さすが体力あるな」 「ああ……俺は料理に集中してるからいいけど、天音はキッチンの手伝いもホールの接客もやってくれてるから余計に疲れるかもな。ごめんな、ちょっとだけ手伝ってもらうつもりだったのに……まさかあんなに混むとはね」 「今日もお客さんたちみんな写真撮ってはアンスタ開いたりしてたから、きっとますます増えるばっかりだろうなあ。やっぱり今はどんな 僻地でも話題になれば人は来るんだよな……」 「困ったな。オレ、別に流行らせようと思ってこの店やってるわけじゃないんだけど」 「半分趣味だって言ってたもんな」 「あんまり忙しくなるともう一人雇わなきなゃいかないかもしれないし……。かといって、冬はここ閉めるつもりだから、安定して働いて貰えるわけじゃないから人選が難しいなあ……」  流路は渋い口調のわりには呑気な顔で言う。 「え、冬はここ、やんないの?」 「うん。だって、雪とか凄いぜ?こんなところまで車で来ようと思ったらスタッドレスタイヤでもチェーン巻いても大変だよ。田んぼや畑や ってるじいちゃんばあちゃんたちも冬は来ないだろうしな」 「あー、そっか……。だよなあ。あれ、そしたら……」 「ん?」 「俺、まずいよなあ。なんもしてないのにここに居候するわけにも……」 「天音……」 「ん、なに」 「夏が過ぎても、ここにいてくれるのか?」 「あ」  そうだった。夏まではいる、という話だったのを自分ですっかり忘れていた。本来なら東京に戻って就活をしなければならない立場だということを、うっかり流路とのあれやこれやにかまけて棚上げにしていたのだった。 「そうだった、俺、帰らなきゃ……」 「なんで。ここにいてくれよ」 「え、だってさ。俺、それじゃ単なる穀潰しじゃないか?流路はネットでトレードとかして稼げるけど、俺は副業もないし……」 「ヤダ。いてほしい」 「え、急にワガママ言うじゃん」 「別に天音は働かなくてもいいって言わなかったっけ?何もしなくても、いつまでいてくれてもいいんだって。オレたち付き合ってるんだ し……」 「え、けどさぁ。さすがに、バイトくらいはしないと……。でも、ここらへんじゃ冬にできるバイトなんてないだろ?」 「じゃ、オレが冬は都内に戻る。天音んち、まだ解約してないんだろ?」 「え、あそこに二人で住むの?それには狭いんだよな……」  すっかりこれからは二人で生活することに流路の中では決まっているみたいで、天音の胸はそわそわと浮き立った。 「じゃ、マンスリーマンション借りようよ。そうだな、十二月の半ばから三月の半ばくらいまで」 「なるほど……」  考え込んでいると、流路は仕込みの手を止め、キッチンから出てきて天音の隣に座った。  手を握られて、またドキリとする。 「オレはもう天音と離れたくない。やっと、付き合うことが出来たから……。離れても大丈夫だとは思うけど、オレが一緒にいて欲しい んだ」 「俺も……そりゃ、一緒に、いたい、けど……」 「働いてないと不安?」 「そりゃ、俺だって男だし……まだ二十代だしさあ。それに、会社員の頃はこれでもバリバリ働いてたんだぜ?」 「うん。AWK通信なんて大手だしな。その中でテレビCMを手掛けたりしてたんだから、天音は有能だったんだろうな」 「そ、そういうわけでもないけどさ。たまたま配属されただけだよ。けど結果、クビになってるし」 「それは他人のミスを被ったせいだろ。天音はすごいよ」 「いや、そんなこともないけど」  やたらと褒められてくすぐったい気持ちになった天音がもぞもぞし始めると、さらに手を強く握って流路は立ち上がった。 「もう、店、閉めようか」 「え、もう誰も来ないかな?」 「来ないだろ。若いお客さんたち、都内とか隣の県からみんな来てたもんな。遠方から来ようと思ったらこの時間からじゃ間に合わないだろうし」 「そっか」 「閉めて……天音といちゃいちゃしたい」 「……おまっ……!仕込みとかあるだろ……!」 「あとでやるからいい。じゃ、看板、片付けてくるから」  天音の手をするっと優しく解くと、流路は店の外に片づけに出て行った。  ——お前っ、それ、反則だろ……!  天音は自分の顔が真っ赤になっているであろうことに気付いて、いたたまれなくなって居住スペースに出る側の扉を開けて廊下に出た。 「もお……」  顔を両手で押さえて床に蹲る。なんなんだ、あいつは。俺をさんざんドキドキさせてどうするつもりだ。  しばらく膝を抱えてじっとしていたら、扉がガチャ、と開いて「なにしてんの、天音……」と流路に見つかった。 「だって……」 「しよっか、天音」 「……お前なあ。……昨日だって、さんざん……」 「でも、期待してただろ、天音も?」  ニコっと笑われて、天音は「ぐっ……」と喉を鳴らして唸った。 「……けど、メシも食ってないし……」 「後で、たっぷり作ってやるから」 「うう……」  流路の手が伸びてきて、天音の両脇に腕を入れて抱え上げた。そのままキスをされて、目を閉じる。 (ああ、もう。なんなんだよ……)  俺っていつもこいつに流されてるよな?そう思うのだけど、浴室に引き入れられ、流路の手にゆっくりと暴かれて、また天音はさんざん泣くような声を出した。  浴槽でも絶え間なくキスをされながら抱き締められ、もうこの腕から逃れることなんて出来ないのかもしれないと、とろりとした頭で考えた。そしてその日も天音は流路の部屋のベッドで腕に包まれながら眠った。 『そういえば崇史さんの写真、まだ残ってたよ』と意地悪で言ってやろうと思っていたのに、結局また言うのを忘れてしまった。

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