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第3話 隣人に見とれる事この上なし

 俺が戻ると、河瀬さんが本の入った段ボール箱を重たそうに持ち上げていた。 「一ノ瀬さん、これはどうしますか?」  訊かれて俺は「重たい物持たせてすみません」とまず深く謝る。  河瀬さんは優しく微笑み、「そんなに重たくないから大丈夫」と言う。  河瀬さんの優しい笑顔に思わずうっとりとしてしまう。 「あの、一ノ瀬さん、これは何処に?」  い、いけない。  ぼうっとしてしまった。  河瀬さんが戸惑っている。 「あ、ああっ。それは、そこの本棚にお願いします」と俺は早口で答えた。  何を何処に置くか、俺の頭の中でイメージは既に固まっていた。  お洒落な都会暮らしを満喫する為に引っ越しの日まであれやこれやと、この部屋をどんな風にするかずっと考えて来た。  俺の答えに河瀬さんは唸る。 「本の入った段ボール、六箱ありますから、多分、本棚に入りきらないと思うんですけど、入りきらなかった分はどうしますか?」  ああ、それは考えて無かった。  いくら頭の中でシュミレーションした所で現実はこんなものだ。  俺は、「うーむっ」と考える人のポーズを取る。 「あ、本棚の横に段ボールごと置いておいて下さい」  取り敢えず出てきた答えを口にする。 「分かりました。……本、好きなんだ」  河瀬さんが段ボール箱に詰まった本を覗き込みながら言う。 「はい、読書が趣味なので……」  俺はかなりの本好きだ。  実家の部屋は俺の本で埋まっていた。  その事で同室の兄と弟に凄く非難されて過ごした。  油断すると勝手に本が捨てられていたりしたものだ。  兄弟の気持ちは凄く分かる。  地震が来るたびに、本に埋もれて死ぬ事を考えるほどに俺の本は部屋を侵食していたから。  引っ越しの際に、かなり蔵書を減らして段ボール箱六箱に抑えたのだ。  本当は全部持って来たかった。  でも、家族に全力で止められたのだ。 「そんなに持って行ってもまた本は増えるでしょ」  母の鶴の一声で残りの本とはお別れした。  多分、もう兄と弟の手により処分されている事だろう。 「僕も、本、好きですよ。好きすぎて、部屋が本に埋もれちゃって、地震が来るたびに、本に埋もれて死ぬ事を考えてしまう」  そう言って、クスリと笑う河瀬さん。  あっ、同んなじだ。  そう思うと俺は小さく笑った。 「可笑しい?」  河瀬さんが訊いて来る。 「いや、すみません。俺も、前の部屋が全く同じ状況だったので、つい」 「そうですか……あっ、じゃあ、これ、片付けちゃうね」  河瀬さんは俺に背を向けると本棚に本を並べ始める。  河瀬さんも本好きか。  もしかしたら、本をきっかけに隣同士、仲良くなれるかも知れないな。  そう思うと、ちょっと明るい気分になれた。  さて、俺も片付け頑張らなきゃ。  俺は腕まくりをして段ボール箱のガムテープを剥がした。  俺と河瀬さんが片付けを始めて一時間が過ぎた。  俺は部屋の中を見回す。  二人で片付けているだけあって、大分片付いて来た。  これなら今日中に何とかなりそうだ。  俺は、食器を棚にしまっている河瀬さんを見る。  改めて見ると、本当に綺麗な人だな、と思う。  これだけ綺麗だとエプロン姿も様になっている。  流れに任せて、つい部屋に上げてしまったけれど、この人は一体どういう人なんだろう。  俺は、この人について、名前と隣に住んでいる事しか知らないんだ。  それなのに、引っ越しの手伝いなんかしてもらってる。  何だか変な感じだ。  そもそも、お隣さんがこんなに美形と知っていたら俺だってもう少しましな恰好をしていた。  今の俺と来たら汗で濡れた兄のおさがりのティーシャツとこれまた兄のおさがりの洗濯のし過ぎで色が薄くなったジーンズ姿だ。  引っ越し作業で汚れそうだからあえてこの格好にしたのだけれど、間違えだった。  河瀬さんの方は、別にお洒落をしているわけでもないのにエプロン姿が麗し過ぎて眩しいくらいだ。  顔が良いと何を着ていても様になる。  いや、顔だけじゃ無くて、河瀬さんはスタイルも良い。  腰が細くて滑らかな曲線を描いている。  肌も陶器の様だ。  ああ、河瀬さんを見ていると俺の悪い癖が出てしまいそうになる。  いや、ダメだ。  河瀬さんとは初対面なんだ。  俺は溢れ出そうな欲望を何とか抑えた。  俺が、悶々としつつ、ぼうっと河瀬さんを見ていると、河瀬さんと目が合った。  河瀬さんは不思議そうな顔をして俺を見た。  俺は慌てて目を逸らす。  河瀬さんも俺から視線を逸らした。  ずっと見てた事、バレてただろうか。  変に思われなかったか?  ああ、何だか心臓がドキドキする。  俺は再び緊張し出した。  もう、この場から逃げ出したい勢いだ。  俺は、ふるふると震えた。  緊張の為なの何なのか、俺のお腹がグゥッと音を鳴らした。  河瀬さんが顔を上げて俺を見る。  俺は恥ずかしさで、いたたまれなくなって顔を熱くする。 「一ノ瀬さん、お腹すいてる?」  訊かれて思い出す。  そうだ、俺はまだ昼飯を食べていない。  昼飯を食べようとしたところに、河瀬さんの所へ引っ越しの挨拶に行く事にしたのだった。  うかつだった。  他人の前で、しかもこんなに綺麗な人の前で腹の音を鳴らすくらいなら、昼飯を食べてから挨拶に行くべきだった。 「あっ、えっと……そう言えば俺、お昼まだで。お腹、すいてます」  俺が下を向きつつそう答えると、河瀬さんは、「そりゃ、ダメだよ。ちゃんと食べないと力が出ないよ」 と言った。  河瀬さんの言う通りだ。  ここはコンビニにでも食べ物を買いに行きたいところだが、河瀬さんを残して買い物に行く事なんて出来ない。 「後でちゃんと食べるんで大丈夫です」  俺は笑って言った。 「そんなのダメだよ。あっ、そうだ、一ノ瀬さん、パスタ大丈夫?」  突然のパスタ。  どういう話しだ? 「パスタ、大丈夫だけど……」 「良かった。僕の昼ご飯の残りがあるから、良かったら持って来るよ」 「えっ、そんな、悪いですよ!」 「大丈夫、沢山作ったから。今持って来るから待ってて下さい」  そう言うと、河瀬さんは風の様な素早さで部屋を出て行ってしまった。 「…………」  残された俺はしばらくフリーズしていた。

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