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第11話 朝の空気は澄んでいて、そしてとても濁っている

「はぁ……」  いったいこれで何度目のため息だろうか。  自分の部屋の中心で、作った雑炊を前に思いにふける。 「俺、何か失敗したかも」  さっきの河瀬さんとの事。  緊張と胸のドキドキでちゃんと話せなかった。  押し付ける様に河瀬さんに料理を渡してしまった。 「め、迷惑じゃあ、無かった……よな」  思考回路、一旦停止。 「あああああああああーっ!」と叫んでみる。  動悸、息切れする事数分。 「取り敢えず、食べるか」  雑炊を食す事にした。  さっきまで雑炊からは、コレ、熱いやつ、と言わんばかりに湯気が出ていたが、今は湯気は消えている。  冷めちゃったかな。  パクリと一口。  雑炊はほんのりと温かくて丁度良かった。 「ん、おいふぃい」  口いっぱいにほうばってしまったので言葉が上手く喋れない。  ここは大人しく食事に専念する事にする。  もぐもぐと口を動かしながら夢中で食べた。  自分で作った料理がこんなにも美味しい何て。  これは夢だろうか。  俺って天才?  これなら。 「これなら、河瀬さん、食べてくれるかな」  俺は壁を見つめた。  見つめた壁の先には河瀬さんの部屋がある。  河瀬さん。  どうか元気になります様に。  壁に向かって手を合わせ、俺は再び雑炊に食らいついた。  次の日。  眠たい目を擦ってゴミ出しをする。  ゴミ収集車が高速で来てしまうので出し忘れない様に用心しなければならないのだ。  と、言っても貧乏一人暮らしの男が出すゴミなんかたかが知れている。  一回くらい出し忘れたからといって別に、だ。  今日は俺が一番乗りらしく、ゴミ置き場には何も無い。 「はぁっ」とため息。  アパートの他の住人に会うとどうも緊張してならない。 「おはようございます」と相手は気持ちよく挨拶してくれるのだが、俺はロボットみたいにぎこちない返しをしてしまう。  人見知りの本領発揮だ。  でもゴミ出しの時は河瀬さんに会える時でもあるので楽しみでもある。  ゴミ出しは俺にとって天国と地獄だ。  ゴミ置き場にゴミを置き、カラス避けのネットをかける。  河瀬さん、来ないかな。  俺はちょっとその場にとどまった。  アパート階段を下りる音がした。  このアパートは階段は外階段だが、壁に隠れていて階段自体を外の通りから見えなくしてある。  その壁沿いにあるゴミ置き場からでは階段は死角になるのだ。  でも、鉄の階段を下りる音は聞こえる。  誰だ?  河瀬さんか?  それとも他の住人か?  ドキドキと胸が鳴る。  一人暮らしを始めてからドキドキし過ぎて俺の心臓にはかなりの負担がかかっていると見える。 「あ、一ノ瀬君」  出て来たのは河瀬さんだった。 「かかかっ、河瀬さ……河瀬」  昨日、手料理を渡した事により、俺の緊張は高まった。  ど、どうだったのか。  迷惑じゃなかったか。  それとも喜んでもらえたか。  知りたい。  でも、知りたくない様な……。  これぞ複雑な心境というやつだ。 「一ノ瀬君、昨日はごちそう様でした。雑炊、凄く美味しかったよ」  河瀬さんは今、いつもの眼鏡を掛けていない。  故に、笑った時の優しい目がハッキリと見える。 「あの。すんませんでした。いきなり料理とか。でも、あの……」 「一ノ瀬君、料理上手なんだね」 「え。え、そうですか?」 「うん。凄く美味しかった。それに、ずっとエナジーゼリーだけの食事だから雑炊で体、温まったし。本当にありがとうございます」 「いえ、そんな。あ、初めて作ったんです。料理」  俺は手を絡ませてもじもじとした。 「そうなんだ。初めてとは思えなかったよ」  河瀬さんの台詞に、じんわりと胸が熱くなる。 「あの、また料理、持って行っていいですか!」  勢いでそう言った。 「え」  河瀬さんは驚いている様だ。  俺は慌てて、「あの、まだ自分の料理に自信が無くて。あの、だから。味見して貰えると助かるんです。あの、食欲無いのは知ってます。でも、一口でも何か食べて欲しくて……そのっ」  俺は視線を下に向けて喋り倒した。  河瀬さんの顔なんて見ていられなかった。  ドキドキと、また心臓の音。 「ふふふっ」  笑い声がした。  顔を上げると河瀬さんが笑っていた。  何で笑っているのか皆目見当がつかない。 「あの、河瀬さ……かっ」 「良いよ」 「へ?」 「味見、良いよ。また一ノ瀬君の手料理食べたいから」 「え……は、はい」 「じゃあ、またね」  そう言うと河瀬さんはゴミ置き場のカラス避けのネットをはぎ取り、ゴミを捨てた。  今日はプラスチックゴミの日だ。  チラリと見れば、河瀬さんのゴミは透明な小さなビニール袋の中にエナジーゼリーが少しだけだった。  俺のゴミ袋も小さいが弁当の器やお菓子の袋などが入っている。  それなのに。  ゴミがエナジーゼリーのパックだけだなんて。  この人。  大丈夫か。  俺は河瀬さんの顔に視線を移す。  笑顔で誤魔化しているが、完璧に河瀬さんはやつれている様に見える。  これは俺の気のせいなのか。 「あの、河瀬さん、大丈夫ですか?」  訊いてみると「何が?」と言う返事が返って来た。 「何がって……」 「あ、おはようございますぅ!」  その明るい声に俺と河瀬さんの視線が声の主の方へと移る。  声の主は、俺も一度、ゴミ出しの時に会っている若い女の人だ。  この人もアパートの住人だ。  朝から短いミニスカートにサンダル姿で現れたその人を見て、俺は小さく会釈すると自分の部屋に向かって早足で行った。  階段を上る時、女の人の甲高い笑い声が聞こえた。  きっと河瀬さんと話してるんだ。  そう思うと何故だか胸が痛かった。

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