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第13話 神よ! と叫びたい夜もある

 河瀬さんに夕飯を届ける様になってから八日目の夜。  俺は河瀬さんの部屋の玄関の前にいた。  今日も河瀬さんに夕飯を届けに来ているのだ。 「毎日夕飯をご馳走してくれてありがとうございます。これ、昨日頂いた茶碗蒸しの器です」  そう言って河瀬さんは紙袋を俺に渡した。  紙袋の中には器が入っている。  この器は昨日作った茶碗蒸しを入れる為に百円ショップで購入したものだ。  今は何でも百円ショップで買える時代。  良い時代に生まれたものだ。 「器、いつも綺麗に洗ってもらってすみません。あの、どうでした? 茶碗蒸し。電子レンジで作ったんですけど」  上目遣いに河瀬さんを見て俺は言う。  料理本に電子レンジで作れる茶碗蒸しのレシピが載っていてチャレンジしてみた。  食欲が無い時には茶碗蒸しは最適、と本に書いてあったので頑張って作ったのだ。  こうして毎日料理を届けているのだか、河瀬さんは日に日にやつれていく様に見える。  と、言うか、何だか老け込んでいってる様な気がする。  気のせいか、と思ったが、そうじゃない。  初めて会って以来、河瀬さんの顔を観察し続けた俺が言うのだから。  初めて会った時は河瀬さんの目じりに皺何か出来てなかったのに、今は笑うと目じりに皺が寄る。  心なしかお肌もカサカサしている様に見える。  何と言うか、一気に歳を取った様な。  そんな感じがする。  でも、皺があろうと、お肌がカサカサしていようと河瀬さんの美しさに陰りは無い。  逆に、これもありだ、と思える。  しかし、心配だ。  どれだけ疲れたらこんな風に一気に老け込んでしまうのか。  河瀬さんは何かの病気ではないのか?  ああ、心配だ。  心配し過ぎてつい、ハールドの高そうな茶碗蒸しにチャレンジしてしまったくらいだ。  ちなみに、今日のメニューはすり下ろしたニンニクを入れたワンタンスープだ。  ニンニクで河瀬さんの魂に渇を入れよう、と言う魂胆からニンニクの量をつい多めにしてしまった。  河瀬さんがニンニク臭くなったらどうしよう。  いや、たとえニンニク臭だろうと河瀬さんの匂いなら俺は問題ない。  と、いけない。  河瀬さんの、前で一人の世界に入り込んでしまった。 「茶碗蒸し、凄く美味しかったですよ」  河瀬さんが笑う。  俺の視線はどうしても、笑うと出来る河瀬さんの目じりの皺に行ってしまう。  その次に、河瀬さんの青白い顔。  河瀬さん。  顔色が優れないけど、それもまた素敵だ。  いや。  ダメだ。  そこじゃない。 「あの。河瀬さん、いや河瀬。大丈夫です? ずっと、体調悪い様に見えます」 「あ、ああ。心配してくれてありがとう。大丈夫ですよ」  そう言ってまた笑う河瀬さん。  その笑顔も無理をして作っている様に思えるのは気のせいなのか。  河瀬さんは大丈夫だって言ってるし、余計な事、言わない方が良い。  でも……。 「あの……」  俺が口を開いた瞬間だった。  河瀬さんが俺の方に倒れ込んできた。  俺は咄嗟に河瀬さんを受け止めたが、お、重たい。 「河瀬さん! 河瀬!」   河瀬さんに潰されそうになりながらも夢中で声をかけると河瀬さんは俺の腕の中で、「ううっ」とくぐもった声を上げた。  河瀬さんの顔を覗いてみると血の気が引いていた。 「きっ、救急車!」  俺はパーカーのポケットを片手で漁る。  ポケットには確かスマートフォンが入っているはずだった。  ポケットに手を突っ込んでいる俺のその手が掴まれた。  弱弱しい力だった。 「河瀬……さん?」  不安な声が俺の口から出る。 「呼ばないで。救急車……」と河瀬さんはか細い声で言う。 「で、でも……」  俺は河瀬さんの顔を見上げた。  河瀬さんは俺の体からゆっくり離れると「大丈夫です。ちょっとふらっとしただけだから」  そう言って笑った。  このまま消えてしまうんじゃあないか、と思わせる様な笑い方に俺の胸が痛む。 「ダメです。大丈夫何て嘘だ。救急車呼びますから!」  俺はポケットからスマートフォンを抜き出す。  119を押そうとした瞬間。  スマートフォンを持つ腕に河瀬さんの手がまた触れた。 「頼む。救急車は呼ばないで。本当に大丈夫だから」  辛そうな声で言う河瀬さん。 「だ、だって、河瀬さん、普通じゃあ無いです。このままじゃ、俺、心配で……死んじゃいそう」  死んじゃいそうなのは河瀬さんの方では無いのか?  そう思った瞬間に俺の目からは涙が溢れていた。 「い、一ノ瀬君……」  俺の目には呆然とした河瀬さんの姿がかすんで見える。 「河瀬さん。何か、病気じゃあ無いんですか? 病院に……行きましょうよっ……うううっ」  駄々っ子の様に言う俺。 「病気なんかじゃ無いから。心配いらない……げほっ」  咳き込んだ河瀬さんの口から血が出た。  俺はびっくりして目を大きく開いた。  こんなの、やっぱり普通じゃ無い。 「やっぱり病院にっ! 何か病気で。救急車、呼びます!」 「違うんだ!」  大きな声だった。  精一杯声を出したのか河瀬さんは、また咳をして、その後ゼイゼイ言っている。  何がどうなってるのか分からない。  河瀬さんに元気になってもらいたくて料理を作って来たけど、無駄だった。  俺は河瀬さんを元気にする事が出来なかったのだ。 「ごめん、河瀬さん」  涙と鼻水を垂らしながら俺は言う。 「なんで謝るの?」と河瀬さん。 「だって、俺、河瀬さんに元気になって欲しくて。でも、全然役立たずでっ……ごめんなさい。うううっ……」  河瀬さんが緊急事態だっていうのに。  俺は何を泣いているんだ。  一体何をやっている。 「一ノ瀬君……」  ほら、河瀬さんも呆れてる。 「河瀬さん、びっ……病院に行って。お願いしますっっ……」  後から後から流れ出る涙と鼻水にも構わず、俺は河瀬さんに頭を下げた。 「困ったな……」  河瀬さんが額に手を当てて言う。 「河瀬さん、病院にっ。ううっ。病院……うううっ……神様っ!」  神様、信仰は無いけど河瀬さんを助けて。  耳に河瀬さんから漏れるため息が入った。 「仕方が無いな……」  そう小さく言う河瀬さん。  俺は頭を下げたまま動けなかった。 「一ノ瀬君。話があります。家に上がって下さい」  そう、はっきりと言う河瀬さんの声が聞こえた。 「大事な話しがあります」  河瀬さんが俺の手を引く。  俺はふらふらと河瀬さんに手を引かれるまま河瀬さんの部屋の中に足を踏み入れた。

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