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第14話 美しい隣人と浪漫の欠片(かけら)

 俺は河瀬さんに手を引かれながら何とか靴を脱ぎ、部屋の中へ上がる。  河瀬さんは俺を引っ張りながら廊下の真ん中まで行くと、そこに座り込んでしまった。 「河瀬さん、大丈夫?」  俺はオロオロと声をかけた。 「大丈夫」と河瀬さんはか細い声で言う。  全然大丈夫には見えない。  やはり、救急車を呼んだ方が良いのではなかろうか。 「一ノ瀬君も座って」  言われて俺は、座ってる場合か、と思いつつ、「はい」と言って河瀬さんの横に膝を抱えて座った。  河瀬さんを心配する気持ちでいっぱいで落ち着かない気分でいると河瀬さんが俺の顔を見ながら、「これから話す事、信じてもらえないかも知れないけど。聞いて欲しいんだ」と言う。 「真面目な話なんだ」  念を押す様に言う河瀬さんは真剣な目つきだった。  俺は頷くのが精いっぱいだった。  河瀬さんは俺と目を合わせるとこう言った。 「僕は人間じゃない」  え。 「それってどういう……」  河瀬さんの予想外の台詞に俺の言葉は続かなかった。  確かに河瀬さんの美しさは人間離れしているが、そういう事じゃ無いだろう。  河瀬さんは一呼吸おいて話を続けた。 「僕は……吸血鬼なんです」 「はぃ?」  吸血鬼。  吸血鬼って何だっけ?  俺は混乱していた。  河瀬さんの話は続く。 「吸血鬼って言うのは伝説や小説なんかで人間の生き血を吸う怪物ってあると思うんだけど、それは本当の事で。僕のエネルギー源は生きた人間の生き血なんです」  俺は黙って河瀬さんの話を聞いた。  それしかできない。 「僕は最近……というより、もう、半年くらい人間の生き血を飲んでい無いんだ。人間の血を飲む事を僕ら吸血鬼は食事、と呼んでいる。吸血鬼は人間の血を飲まなくても人間が食べる食べ物からもエネルギーを取る事は出来るけど、大したエネルギーにはならない。だから、最近元気が無くて」  ここで河瀬さんはため息を一つ吐く。  河瀬さんの話に俺は付いて行けていなかった。  河瀬さんが吸血鬼だなんて、そんな話を簡単に信じるほど、俺は夢見がちじゃない。  河瀬さんは俺に心配をかけまいとこんな荒唐無稽な話をしているのだろうか。 「あの、一ノ瀬君。此処までの話、大丈夫ですか?」  訊かれて俺は取り敢えず頷く。  全然大丈夫じゃ無かったが、そうするしかなかった。 「僕はもう、ずっと長い事生きて来た。僕達吸血鬼は人間の血を摂取する事でそれで得たエネルギーで不老不死を得ているんだ。怪我とかはするけど、直ぐに回復できる。ずっと若いままでいられる。でも、それは人間の生き血を飲んでいるからなんだ。今の世の中じゃあ、人間の生き血なんてそうそうあり付けない。それに、僕はね、長く生きて来て何だか疲れちゃったんだ。僕は人間が好きでね。それで、人間とは出来るだけ仲良くしたいなって思ってるんです。でも、いくら人間と仲良くなっても人間は、あっという間に亡くなってしまう。その事が何だか悲しくて、虚しくて。それに好きな生き物である人間の生き血を吸って生きている自分に嫌気がさして来たのさ。だから人間の生き血を吸う事を止めたんだ」 「こ、このまま河瀬さんが人間の血を吸わないると河瀬さんはどうなるんだよ?」  河瀬さんの言う事をまだ信じた訳では無いが、俺は質問していた。  河瀬さんは寂しく笑う。 「このまま、衰えて、醜く干からびて、最後は砂になって消えるんだ」  河瀬さんが天を仰ぐ。  口元に笑みを浮かべて。 「もうね、疲れたんだ。化け物の自分に。僕は生きていてはいけないモノなんです。だから、このまま消えようと思ってる。だから一ノ瀬君も……」 「だめ……」 「え?」 「消えちゃうなんてダメだ!」  俺は立ち上がった。  河瀬さんが俺を見上げている。 「生きてちゃいけない何てそんな事無い。河瀬さんは生きているだけで十分価値があるだ! 消えようなんて思うなよ!」  そうだ。  河瀬さんは生きているだけで価値がある。  こんなにも美しい人は他にはいない。  この美しさはこの世に無くなっちゃいけないものだ。 「一ノ瀬君……」 「河瀬さん、生きよう。俺には河瀬さんが必用なんだ!」  そう、俺には河瀬さんが必用なんだ。  寂しくて辛い一人暮らしも河瀬さんがいたからこそやってこれた。  河瀬さんは俺のオアシスだ。  それに河瀬さんの絵を俺は描きたい。  生きている美しい河瀬さんを絵にしたい。  このまま河瀬さんが消えてしまったら、それは叶わなくなってしまう。 「河瀬さん、人間の血を吸う事が難しいなら、俺の血を吸って下さい!」  河瀬さんが吸血鬼だなんて信じられない。  でも、河瀬さんが死のうとしている事は分った。  河瀬さんの事だから吸血鬼という耽美な表現で悲痛な思いを語っているのかも知れない。  どんな方法でもいい。  河瀬さんが生きられる方法があるなら。  例え河瀬さんのフィクションでも良いから。  そんな気持ちで出て来た言葉だった。 「一ノ瀬君……君、何でそこまで……」 「何でだっていいじゃ無いですか。河瀬さん、俺の血を吸って下さい。それで河瀬さんが元気になるなら俺は嬉しいから。河瀬さんに生きていて欲しいんだ。一生のお願い! 河瀬さん、生きて!」  俺は目を瞑り、河瀬さんに向かって両手を合わせた。 「一ノ瀬君……」  しばらくの間、沈黙が続いた。  それを随分と長い時間だと感じる。  時間が止まった様な、そんな感覚だ。 「一ノ瀬君、僕は化け物です。怖く無いんですか?」  河瀬さんの言葉でまた時間が回り始めた。 「怖くないです。河瀬さんは凄く綺麗だと思います」  自分でも何を言ってるんだという台詞が口から出た。 「綺麗って、僕が?」 「は、はい。河瀬さんは綺麗です。化け物なんかじゃ無いです。だからお願いします。自分の事化け物何て言わないで。消えるなんて言わないで下さい。河瀬さんが消えちゃったら……俺は……俺は一人ぼっちに……」  そうだ。  河瀬さんがいなくなっちゃったら、友達も家族もいない中で、俺はこの広い都会の街でたった一人になってしまう。  今、この世界で一緒にいて温かい気持になれるのは俺には河瀬さんだけなんだ。  今の俺には、河瀬さんが……。 「河瀬さん、嫌だ。消えるなんてっ……」  ああ、河瀬さん。  消えないでくれ。 「お願いします。側にいて下さいっ……」  祈る様な気持ちでそう言った。 「一ノ瀬君……」  河瀬さんが俺の名前を呼んで。  そして笑った。  眩しい笑顔。  目じりの皺が優しく刻まれる。  ああ、麗しい。  河瀬さんの皺さえも尊い。  こんな人がいなくなるなんて俺には本当に耐えられそうに無い。 「ありがとう。一ノ瀬君。僕、もう少し生きてみます。自分に価値があるのかどうか分からないけど、生きてみます。あと、少しだけ」 「え。ほ、本当に?」 「はい。本当です」 「よ、良かったぁ」  俺の体から力が抜ける。  俺はよろよろとその場に座り込んだ。 「それで、何ですが」と河瀬さん。 「はぃ?」  気の抜けた俺の口から気の抜けた声が漏れる。 「一ノ瀬君の血、本当に吸っても良いんですか?」 「は?」  俺は今、多分物凄く間抜けな顔をしている。  対して河瀬さんは真面目そのものの顔だ。 「え、あの。血を吸うって……本当に?」  おずおずと訊いた俺の質問の答えは。 「はい。吸血鬼ですから」だった。

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